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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第九章 望まぬ侵攻

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 雨粒が葉を、石を、水面を叩く音がする。

 夜――冴えた空気を肌に感じながら、エレノアとメリッサは急ぎ城内を進んでいた。客間が並ぶ廊下まで来ると、メリッサはワゴンを廊下の中ほどに置きアリーチェの、エレノアはアーノルドの泊まっている部屋の扉をノックした。

 幸い両方から返事がもらえた。メリッサと目配せして、それぞれ入室する。

「失礼いたします」

「こんな時間にどうした」

「申し訳ありません――」

アーノルドはすでに寝着に着替え、ランプの灯りの中テーブルで読書をしていた。エレノアが密かにアレックスに頼んで選別してもらい部屋に並べておいた図書館の本だが、上手く好みに合ったらしい。

「お休みになる前でよかったです。先程から雨が降り始めましたので、花蜜(ネクター)ストーブの確認と、改めてベッドの準備をさせていただこうかと」

「ベッドの準備?」

「はい。今の時期、この辺りは雨が降ると冬のように冷え込むのです。アイロンと温石(おんじゃく)をお持ちいたしましたので、ご用意させていただきます」

「ああ――」

「失礼いたします」

エレノアは一度廊下に出るとミトンを着け、ワゴンから木の持ち手がついた鉄製のアイロンを手に取る。鉄を型に流して造られた鋳物(いもの)のアイロンは、火で温めるかストーブの上などで温めて使う。暖炉に火が入っていたので、冷めないよう一つはその手前に置き、一つは三角の形をした手持ちのアイロン台に乗せて、ベッドに向かった。

 掛け布団を半分ずつ開き、シーツにアイロンを当てていく。結構な重さがあるので、なかなかの重労働だ。アーノルドは本を閉じ立ち上がると、邪魔にならないよう天蓋の柱の影から話しかけてきた。

「こちらはそんなに寒いのか? 王都ではまだ夏の終わりだぞ」

「そうですわね――お天気がよければこちらも過ごしやすい季節ではあるのですが。北方にあるのはもちろんですが、シセラスは王都より標高も高く、もともと雨や雪が多い地域ですし――山から流れ込んでくる風もあって急に冷え込むことがあるのです。夏の嵐で凍死者が出たこともありますのよ」

「……」

「加えてトルテュフォレは古い石造りのお城ですから、よそと比べてしまうとどうしても……。こちらの客間の方はもう何代も前から少しずつ手を入れておりますので比較的過ごしやすいとは思うのですが、それでも慣れない方にはお寒く感じるかもしれませんので。お休み前にお邪魔をして申し訳ありません、すぐに終わらせます」

「……そうか」

せっせと手を動かすエレノアを眺めながら、アーノルドはそれきり黙り込んでしまう。その間にも、エレノアは二つのアイロンを交互に使い、ベッドを温めていく。しっかりと掛け布団で覆えば、しばらくは熱を溜め込んでくれる。

 温石(おんじゃく)もアイロンと同じく、火で焼いた薄い石を布で包んだものだ。

「どうぞ、やけどにお気を付けて。読書の間、指先を温めたり足元に置いてお使いください。お腹や腰のあたりに入れておくと、ほのほのとして全身温まりますのよ。花蜜(ネクター)ストーブも十分に燃料用花蜜が入っているようですので、完全に冷え込む前にお使いいただいた方がよろしいかと」

「ああ」

少しの間に、薪が弾ける音と雨の音が重なる。エレノアが作業を終えて立ち上がると、アーノルドは独り言のようにぽつりと呟いた。

「妹は、それほど寒い土地に嫁ぐのだな……」

「アーノルド様……」

うつむき加減に手の中の温石をぼうっと眺めるアーノルドの瞳は、最初の印象とは随分異なる。眉も緩やかに落ち着き、かたくなだった唇も、今はどこか迷いのようなものを含んでいるようだった。

「……そうかもしれません。けれど、人は温かいです」

「ああ。……そうかもしれないな」

 エレノアがやわく笑めば、ぽつぽつと、葉の雨露(うろ)が落ちるように、アーノルドは語り始める。

「私は……妹があんなにおしゃべりだとは知らなかった。あんなに人懐っこいとは思いもしなかった。クラウス君にからかわれてすねてみせるのも、会ったばかりのあなたに心を開いて話しかけるのも、私を――かばってみせたのも。私が知る妹ではありえなかった。私は……実を言うと、妹とこんなに話したのは初めてなんだ」

「……そうでしたか」

「妹は……間違いなく不義の子だ。その存在が母に知れてから、母はアリーチェの母であったメイドをすぐさま屋敷から追い出した。メイドは最後の最後まで、どうかアリーチェだけはと父に泣きつき、母のスカートに追いすがって懇願していた。結果、それだけは叶ったが……それ以来、アリーチェは教育の名の下に、母から謂れのない折檻を受けて育つようになった」

「……」

アーノルドのその言葉に、エレノアは小さく息を呑む。ティーパーティーで彼女自身が発していた言葉から、不遇な人生であったことは薄々と感じてはいたが……今のアリーチェに接していると、それらを忘れてしまうくらい振る舞いは明るく、快活であった。

 気まずくなって、エレノアもアーノルドが手でもてあそぶ温石(おんじゃく)に視線を落とす。

「……父の目が届かないところで幼い少女に怒鳴り散らしながら教鞭を振るう母も、うめき声一つ上げずうずくまって耐える少女も……私は、どちらを見るのも辛かった。さりとて母を止めれば余計に激昂して泣き喚く。正直……どうしていいかわからなかった。母は、血の繋がった私たち実の兄弟にとっては間違いなく……聡明で、慈悲深い女だったんだ」

「……」

「他の兄弟たちもそんな様を見ていたから、アリーチェとはほとんど関わらなかった。アリーチェさえ無いものとして扱えば、家族としては平穏だった。私は年も離れていたし、長男ということもあって、責任感から他の兄弟たちよりかは妹として接していたが……後から一人隠れて泣いていた幼いアリーチェに、泣く暇があったらとにかく本を読んで勉学に励めと、慰めるでもなく冷たく言い放った。それがいつか、妹の身を守ってくれるものになるはずだと、そのときの私は信じていたからな……。教育さえ与えられれば、さっさと家を出て自ら生活を成り立たせることもできる。父には可愛がられていたし、名門イラーリア家の血を引いていることには変わりない。働くにも口利きくらいはしてもらえるだろうし、無意味に母にぶたれて、姉や兄に無いものとされて過ごすより、そちらの方がいいだろうと」

「……」

「今でもそれは正しかったと思っている。思っているはずなのに――なんだろうな。よくわからない感情が、ここにいると湧き上がってくる。……妹はよくやった。今思えば、落書きをするような余裕も遊び心も持てぬまま、私たち兄弟の誰よりも努力し、私たち兄弟の誰よりも優秀になった。優秀すぎて疎まれることもあったようだが、それは妹自身の落ち度ではない。今はクラウス君とも出逢い、あなたのような――」

そこまで言いかけて、アーノルドは自嘲気味に笑い緩く頭を横に振る。

「……何を話しているんだろうな、私は」

「……アーノルド様。それを、アリーチェ様ご自身にお伝えしてみては? 今、何かを想いながら紡がれたお言葉は、あのとき……ティーパーティーのときとは、中身は同じでも、そのお心は随分と違うもののようにお見受けいたしましたけれど」

「ばかばかしい。今更こんなことを口にしたところで、長年のアリーチェのイラーリア家に対する確執は消えないだろう。実の母は行方知れず、父はアリーチェを可愛がりはしたが、こうした公の場にはともに立たない。私かて――何もしてやれなかった」

「そうかもしれません。でも……」

「余計な世話を焼くな、トルテュフォレの女主人。プライベートに入り込む人間は、嫌われるぞ」

「……はい……そうですわね。申し訳ありません、出過ぎた真似をいたしました」

 強くなった雨脚が、ざっと通り抜ける。

 顔を上げたアーノルドは昼間と同じ神経質そうな面持ちで、エレノアを見るでもなくその後ろの壁を見るような無機質なまなざしを向けてくる。

 だからエレノアはそれ以上を語らず、代わりに翌朝、ランプの隣に便箋とペン、インク壺を並べておいた。

 便箋は、不器用な感情を受けとめてくれる静の(おもむき)を宿した、秋草のやわらかい装飾のものを。インクは温かみのある、茶がかった濃いウォームグレイ。

 書くか書かないか、受け取るか受け取らないか、読むか読まないか、返事をするかしないか……それは、二人次第だ。ただ話をする間、ずっと〝妹〟と呼んでいた兄の、過去と未来をつなぐ何かになればとエレノアは祈った。


   ・◆・◆・◆・


 その後、アーノルドは半月以上をトルテュフォレで過ごした。

 その間に待ちきれなくなったクラウスがアリーチェを訪ねてきて、日中のトルテュフォレはどことなく賑やかだった。

 昔、エレノアの祖父やガルニエ侯爵らが会合している間、エレノアと一緒になって城内を駆け回っていたクラウスは、放っておいてもアリーチェを連れ城内の古い絵画や彫刻を観賞したり、城周りの秋の森を散策したりと自由気ままに過ごしていた。また偶然に開かれていた、聖堂の子供たちの手習いにまで顔を出していたらしい。ついにお城にお姫様が来たと、子供たちは大騒ぎだったという。

「――クラウス。あなた毎日のようにここに来ているけれど、ブライアおば様はご存じなの? ただでさえ秋はシセラスの社交シーズンなのに……大学も大丈夫?」

 連日訪れたときはさすがに不安になってエレノアもそう問うてしまったが、反面、クラウスはけろりとして笑っていた。

「大丈夫、ちゃんと行くべきところには行っているよ。大学はきちんと手続きしてあるし、それに僕、一年くらいは先行して単位取ってあるから大丈夫。でないと、さすがに母さんも許してくれないから……」

「まあ――そうなの? すごいじゃない、クラウス、あなたすごく優秀だったのね! 大学って何かに特別秀でた方ばかりなのでしょう? そんな中で先んじているなんて、本当にすごいわ!」

「えっ、そんな」

突然の絶賛に、クラウスは頬を赤くして照れくさそうに笑む。

「実を言うと、それは……アリーチェがいたからなんだ。アリーチェは飛び級して大学を出てるんだよ……それでもう王宮で働いてる。だから僕も、情けない姿を見せるわけにいかないんだ。帰ったらまた、遅れを取り戻さないと」

「そう――。ふふ、なんだか急にあなたが頼もしく見えるわ。いい人に巡り逢えてよかったわね……クラウス。きっと大変な思いもなさってきたでしょうに、アリーチェ様はそのご苦難やご心痛をおくびにも出さない。誰にでもできることじゃない――とても素晴らしい方よ。大事になさい」

「うん。エレ姉さんにそう言ってもらえると、なんだかすごく嬉しいな――彼女を選んだことは絶対に間違ってないって、僕も思ってるから」

晴れやかにそう言うクラウスは、とても誇らしそうにも見えた。少し会わないうちに急に大人びてしまったようで、エレノアは寂しくも――不安にも感じた。自分だけ取り残されてしまったような心地になって、いつまでも幼い子の姉気分でいたことが、ひどく情けなく思えた。誰も何も言わないが、自分で気付いてしまったことがみじめだった。

 その日はぽっかりと宙に浮いた感覚のまま、クラウスを見送った。

 深夜、冷めかかった風呂に半分沈みながら考える。

 幼かった少年は愛する人を得て、いつの間にか凛々しい青年になっていた――なら、自分は?

 このトルテュフォレという居心地のよい場所で、ずっと少女のように生きてきた自分は、いつか愛する人を得て、女という存在になれるのだろうか。その人と体を重ね、母という存在になれるのだろうか。

 むきだしの乳房と足を眺めながらそれを考えているうちに、全身の肌の裏を何かが這いずるような薄ら寒い不安に包まれて、エレノアは怖くなって考えるのを辞め目を閉じ、ざばりと湯から上がった。


 一方でアーノルドは、アリーチェに邪魔者扱いされながらこれ幸いとばかりに二人について回り城の状態確認を済ませ、残りの時間は執務室にこもっては、たまの息抜き代わりにヘンドリックを捕まえて食糧や燃料の貯蔵庫、酒蔵を検分していた。

 またしきりに画家の部屋を見たがったので、すべての絵には布をかけ、絶対に道具やカンバスには触れないことを条件にエレノアは許した。

「……本当にいたのか」

机の上に置かれたままの道具や置いていった荷物。使い古された数冊のスケッチブック、布をかぶった三枚のカンバス。花蜜絵の具の独特な匂いが残る部屋で、それらを順番に見回しながらアーノルドは意外そうに呟いた。

「疑っていらしたのですか?」

「なんせ城の住人以外、ティーパーティーに来ていた人間も誰も姿を見ていないようだったからな。――それでその画家は、わざわざ食材を余分に仕入れてまで、豪勢な衣食住を提供する価値がある画家なのか?」

「わたくしではなく、王都にれっきとしたパトロンの方がいらっしゃって、その方の庇護を受けていらっしゃいます。その方が――なかなかぞんざいに扱うことのできるお方ではございませんので、画家様も必然的に」

「なるほど。どこぞの貴族か豪商の道楽か見栄か――城を訪ねてきたのも、その後ろ盾があって断られることはないと踏んだからか」

「……かもしれません。市井(しせい)の方には、少々荷が重い相手ですので」

「ほう。なお名を出さないということはつまり、王都の名門、イラーリア家の人間にも言えない相手か」

「いえ。その方が誰であろうと、わたくしが独断で第三者の方にお名前をお伝えしていいものか……」

「こちらは公的機関だぞ」

「わかりました。言い方を変えます。わたくしがお名前を上げるには、格が違いすぎて恐れ多いことにございます。お相手にもお時間を頂戴する事態になる可能性があることを鑑み、そのことを踏まえ一度こちらから確認を取り、後日改めてお知らせ申し上げる形にしてはいただけませんでしょうか」

「……たしかに触れない方が、良さそうだな」

無意識にスケッチブックに伸ばしかけていた手を引き、アーノルドは不機嫌そうに顔をしかめる。

「――では、宿泊費などもそのパトロンが?」

「現在は、画家様がパトロンの方にご送金を乞うお手紙を差し上げており、宿泊費などのご相談を含めてその方からのお返事待ちです。おそらくはその方の個人資産からの出資だとは思うのですが、画家様自身もパトロンの方に関してはあまり語らず、ご本人も方々を巡って絵をお描きになる方なので、お帰りもいつになるか……」

「これだから自由人という部類の人間は嫌いだ。そのくせ無駄に知恵がある、一番厄介で面倒なタイプだ……。ともあれ画家と不自然な食料品の仕入れについては了解した。が、監査報告に添え書き程度はするぞ。忌々しいことに、こういう相手は大抵ないものにされてしまうが、触れないのは私の正義と主義に反する。……いいな」

「それは……致し方ないことかと。むしろここまでこちらにご配慮いただきつつ、なお書こうというのなら、いっそご立派にも見えます」

「結構だ。そう言ってもらえるなら、それだけで胸がすく」

アーノルドは落とし所を見極めるように、エレノアを窺いながら言葉を発している。幸か不幸か、思惑はエレノアも同じだ。レオンシュバンツ(獅子の尾)を踏まぬよう、トルテュフォレにおかしな疑念を抱かれぬよう、またフィオレロとリリアンの件も明かさぬよう――言葉の綱渡りをするしかない。

 後からヘンドリックにも相談したが、金の問題だけに絞ればおそらくはライオネル家かレオンシュバンツ本人がどうにかするだろうとの話に落ち着いた。出どころは向こうであるし、幸いこちらはまだ銅貨一枚たりとも受け取っていない。向こうはすべての事情を知っているし、もしもヴァイスが本当に諜報もこなすような人間なら、なおさら面倒事は無いものにするだろう、と。ソワレの入城時期については使用人たちも多少口裏合わせをしたが、紙面上は本当にぎりぎりだとヘンドリックにも大きく息をつかれた。


 そのソワレも無事に回復し、最後の方はエレノアやヘンドリックに代わり日常の雑務をこなしてくれて、これには本当に助けられた。

 そうして嵐の名残も少しずつ消え行き、使用人たちの生活も穏やかなものに戻りつつある。

 結局アーノルドが手紙をどうしたのかわからないまま、エレノアは兄妹と同じ空間で、かちかちと進む時間に追われるようにして日々の仕事に向かっていた。

 そうして監査の日々もいよいよ終わりに近付き、出立の朝は静かに訪れたのだった。

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