表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第八章 嵐のガーデン・ティーパーティー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/54

 エレノアの目から、大粒の涙があふれる。秋の露のように透き通った丸い雫が、まつげをかすめてぽろぽろとこぼれていく。

 一度は引いたはずのそれは今度は熱を帯びて、脈々と受け継がれてきた血潮の熱さを内側からエレノアに示してくれた。それはきっと瑪瑙めのうを溶かしたような、目にしみるくらいにまばゆい深紅の流れに違いなかった。

 見守る人々は様々な表情で――しかし、涙は長くは続かなかった。それは静かに、自然と引いて。その頃にはエレノアも、赤く腫れぼったい目以外はいつもと変わらぬ笑みを湛えて、ヘンドリックと向かい合うことができた。

 鼻をすすれば、青く甘いジャンティアナの花の香りが喉奥に抜ける。

「わかりました。……でもそれは、今までとなんら変わりありませんね。わたくしは修行中の身で、まだ学ぶこともたくさんある。日々それをこなしていくだけだと、理解していたはずだったのに。……わたくしは誰になにを言われようとも、なにを疑う必要も、最初からなかったのですね」

「左様です」

ヘンドリックもまた、どこか祖父と似た微笑びしょうを浮かべ、いつもと同じように頷く。

 思えばあのソワレと出逢った夜に、すでにリュカも同じ場所まで導いてくれていた。祖父から連なりその遺志を継いだ人間は、今この場所で、なすべきことをなせという――当たり前のことをエレノアに説いていたのだ。

 そこに近道や抜け道はない。ただエレノアが疲れて倒れそうになったときは、必ず支えてくれる誰かがいる。

 ヘンドリックは再度アーノルドに対し、礼を取る。

「たとえ記録がなくとも、エレノア様の中にはたしかに、連綿と続いてきたこのトルテュフォレとレコンフォール家の歴史が流れております。そしてそれは、この城に住まう精霊たちによって護られてきたもの。レコンフォール家最後の子であるエレノア様は特別に加護厚き方なれば、それを害することは只人ただびとには叶わぬこと。――帳簿や証文などは間違いなくお渡しいたします。あなた様の役割は、そこにこそあるはず。それで、この場は収めていただくことはできませんか」

しかし、アーノルドはなおも食い下がってきた。

「――それで上手くいたつもりか」

あの鋭利な、氷の破片のような色の瞳で嫌そうにロングテーブルの人形を一瞥し、静かな怒気を声に乗せる。

「精霊の住む城だかなんだか知らないが、私は片田舎の城の歴史だの伝統だのに興味はない。あなたもあなただ、トルテュフォレの女主人。上に立つ者ならば、そのような目に見えない曖昧で感傷的なものに、己の人生をゆだねるべきではない。それでもなお今のままあろうとするならば、私はなおさら得体のしれない人間が、国の金を好き放題にしていることに腹が立つ。――私は幼い頃から金という数字を学び、金という数字だけを扱い生きてきた。私がじかに目に映す数字だけが私の真実と正義であり、そこには個々人の想いなど必要ない。そんなものをいちいち気にしていたら、私たちの職務は成り立たない」

「歴史や伝統も、数字でございます。しかしながら、それを興し、継承し、伝え、積み重ねていく数多の人間の想いといとなみは、あなた様の扱う数字と比較できるたぐいのものではありません」

「詭弁だ。――私は、あなたたちを告発する」

「ご随意に。ただしその際は、私も容赦はいたしません。あなた様がトルテュフォレとレコンフォール家の流れの末を断つおつもりならば、私は名門イラーリア家の源流を絶ちにまいります」

「なんだと……」

「ヘンドリック――」

アーノルドとエレノアが同時に声を震わせる。それは、アーノルド自身が軽んじたもの自身を重石おもしに、一門が築いてきたそれらすべてをいしずえから瓦解させるという宣告だった。数百年に及ぶ血統も、栄誉も、すべて――。

「馬鹿な。こんな辺境に建つ城の、一介の執事にそんなことができるわけ――」

「いいえ。必ずや致します」

その、地に沈むような、老年の男が発した重い声に、初めてアーノルドが動揺の色を見せて半歩を退く。その直後――

「もうよろしいですわ、お兄様!」

「は?」

――代わりに、飛び出してきたのはアリーチェだった。

 アリーチェはアーノルドを制止するようにその背に抱きつく。それにアーノルドは細い目を見開き、先ほどよりもずっと驚いた様子でアリーチェを見遣った。

 アリーチェは子供が大きなぬいぐるみを抱くときのようにアーノルドの腕をぎゅうっと胸に抱き、エレノアを、そして一部始終を見守っていた客人たちをぐるりと見回す。

「エレ姉様も、使用人の方も――街の皆様にも、わたくしからお詫び申し上げます。兄は言葉は厳しい人間ですが、どなたかを貶めようなどという悪意を持った、酷薄こくはくな人間ではないのです。ただイラーリア家の人間として、融通が利かないくらい実直で、職務に忠実なだけ。ですがそもそも、こうなったのはわたくしのつまらぬ性根のせいなのです……!」

「アリーチェ……それは、どういうこと?」

突然のことに唖然としていたクラウスが、アリーチェの傍らまでそっと歩み寄る。それにアリーチェは視線を泳がせ、気まずそうに兄の腕に顔を隠すと、絞り出したような声で語り始めた。

「だって――だって。――クラウス様が故郷のお話をなさるときは、絶対にエレ姉様のお名前が出てくるんですもの……! クラウス様ったら、本当に楽しそうにエレ姉さんエレ姉さんって、それでわたくし少し意地悪をしようと思って、お父様とお兄様がいらっしゃるときに、このお城の話をしてしまったのです! でもまさか、こんなふうになってしまうなんて……ちょっと困らせるだけのつもりだったのよ。本当にごめんなさい……!」

「え――」

「つまりそれは……」

思わず顔を見合わせるエレノアとリン。

「やきもち?」

「やきもちですわ……」

そしてメイドたちとシセラス淑女レディたちのささやきが重なると、まるで示し合わせたかのような、客人たちの大きなため息が一つとなって空気を揺らした。

「なんだよ、ただのやきもちかよ」

「人騒がせなお嬢様だな……」

「まあ、可愛らしいじゃありませんか」

「年上のお姉さんに憧れたとき、俺もあったからなあ」

 あちこちから漏れ聞こえる、どこか安堵したような声音でささやかれる、大人たちの人生の一端の甘酸っぱい物語。

「クラウス――」

これにはエレノアの方がなぜか羞恥心を覚えてしまい、慌ててクラウスに詰め寄った。

「あなた――婚約者の前でそんな、別の女性のことばかり話していれば、嫌になるに決まっているでしょう。いくら色恋事にうといわたくしだって、それくらいはわかります」

「エレ姉さん……ごめんなさい。でも、シセラスの人間にとって、トルテュフォレは生まれたときからずっとそこにあって、おとぎ話みたいに語られる特別な場所だから。それにここは王都とは離れているし、嫁いできたらアリーチェも寂しい思いをするかもしれない。そんなときエレ姉さんがいてくれたら、僕も安心だし嬉しいなって……」

「それは――そうかもしれないけれど」

「いや違うでしょ。寂しい思いをさせないように、まずはあんたが側にいて話を聞いてあげたり一緒に出掛けたりしてあげなさいよ。冬なんか雪が積もったらほとんど家にこもるんだし、なんかあるでしょ。趣味とか」

「それは、もちろん!」

呆れたように吐かれたリンの言葉にクラウスは何度も頷き、飼い主に叱られた犬のようにしゅんとうなだれてアリーチェに詫びる。

「ごめんね、アリーチェ。僕が無神経だった……。今度は話だけじゃなく、シセラスの街を案内するよ。シセラスは一年を通してロゼッタの花が美しいんだ。どこの家の庭にもロゼッタの花が植えられて、シセラスは北国の花の街とも言われてる。暖かい季節は一緒に花を見ながら散歩に出掛けたり、ピクニックに行くのもいいな。馬に乗って遠駆けするのもいいし、冬は一緒に本を読んだり楽器を奏でたり、盤や札遊びも好きなだけ付き合うよ。――そうだ、今度は二人だけのティーパーティーをしよう。暖かい部屋で白銀の景色と、白や青の美しいロゼッタの花を眺めながら」

「クラウス様……嬉しい!」

ひっしと抱き合う若い恋人たち。きゃあっとあの黄色い歓声が上がり、

「くだらん……」

「ばかばかしい……」

初めて意見が一致したらしいアーノルドとリンが、重なってしまった言葉とともに互いに視線を交わす。どちらもむきになって舌戦ぜっせんを交えてしまったことを思い出して、そんな自分自身に呆れているようだった。

「――気は済みましたか」

 そして伸びやかで芯のある、壮年の女性の声が、場を引き締めるように静かに響く。

「母さん」

「ブライアおば様……」

このシセラス地方を治める女領主、ブライア=ガルニエ。森の深奥しんおうにも似た、静謐でたゆみない存在感を纏う、堂々たる女性だった。

 ブライアはアリーチェとクラウス、アーノルドに歩み寄る。

「アリーチェさんもよくお聞きなさい。我がシセラスは、王都から離れたこの北の地にて、長い時をこのトルテュフォレ城とともに歩んでまいりました。この地に生きる人間もまた、この城とこの城にある精霊に見守られながら生をつないでいる。それを軽んじることは、シセラスの民の根源ルーツを否定することと同じ。とても紙切れ一枚でどうにかなるものではありません」

「お義母かあ様……」

「あなたも息子が選んだ女性。今はまだ王宮での立場もありましょうから、あなたがすることを義母ははとして止めることはいたしません。ですが王都に戻られたら、兄妹仲良く重々上役(うわやく)に申し伝えなさいな。トルテュフォレとレコンフォール家は潔白であり、人民の信望厚く、これ以上の手出しは無意味だと」

「……」

「……それは、監査の結果次第です」

引き際と悟ったのか、アーノルドはそれ以上を語らず黙す。ブライアもそれ以上を問わず、エレノアとヘンドリックに向かい合う。シックな紫のベルベットドレスと浅い金糸の刺繍が動きとともにきらめき、二人を讃えた。

「相変わらず、見事の一言に尽きますわ。ヘンドリック」

「お褒めにあずかり光栄です」

「そしてエレノアも――あなたには申し訳ないことをしました。ですが今の移ろいゆく世では、これから先も間違いなくこういったことは起きるでしょう。いいえ、言い方を変えましょうか。新たな世では、いっそう古きもの、変わらぬものを責め、軽んじる者が増えるでしょう。ですがあなたは今現在、この古城トルテュフォレに残された唯一の子。もしもあなたがこの城にあり続けたいと願うのなら、もっと強く、そしてしなやかに成長なさい。わたくしもまた、あなたのお祖父様からあなたを託された者。命ある限りは、ずっとあなたを見守っていきますからね」

「ブライアおば様……。――はい」

クラウスと同じ、琥珀色の瞳が穏やかに光を宿す。短い返事ではあったが、ブライアはそこに宿ったエレノアの万感の想いをたしかに感じ、受け取ってくれたようだった。

「――皆も、息子たちのいらぬ騒ぎで不安にさせてしまいましたね。今日は年に二回しかない、せっかくのトルテュフォレ・ガーデン・ティーパーティーです。この素晴らしい庭と花を愛でながら、最高のお茶とお菓子、品のあるおしゃべりを楽しみましょう。そして叶うならばどうか、我が息子クラウスと婚約者アリーチェ=イラーリアを、温かく迎え入れてやってください」

ブライアが客人をぐるりと見回し高らかに宣うと、客人たちからも拍手が湧き起こる。それにクラウスは照れくさそうに頭をかき、アリーチェは兄を窺いながらも、はにかんだようにシセラスの住人に深々と頭を下げた。

 エレノアもまた一度顔をぬぐうと、自らの治める使用人、ヘンドリックやウィシュカ、メリッサたちと目配せし、「トルテュフォレの女主人」としてブライアの、そして若き恋人たちの前に歩み出て、改めて礼を取る。

 「――ブライア=ガルニエ侯爵、ならびにご子息のクラウス=ガルニエ卿、婚約者フィアンセのアリーチェ=イラーリア様。改めて、ようこそトルテュフォレ城へお越しくださいました。本日はお二方のご婚約を祝い、トルテュフォレ一丸となり特別な催しをご用意させていただきました。――どうぞお越しの皆様も、お近くのテーブルまでお進みください。このシセラスを花の街たらしめたガルニエ侯爵家に、ますますの繁栄の花が咲き誇りますよう、皆様もご一緒にご観覧ください」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ