決戦の日
静かに目を開くと、霧の上にラベンダーのお花畑が浮かんでいた。
その中央に、恐ろしい顔のオオカミが立っている。狼の化身ダグラーだ。
結婚式だというのに、戦闘用の鎧を身にまとっていた。彼の周りを武装した犬の化身達が取り巻いている。
ダグラーは、僕から受けた傷をあの鎧で隠している。僕は勝手にそう思った。
僕はと言えば、白い着物に黒の袴の弓道衣を着用し、頭にはおじいちゃんの鉢巻きを巻いている。
「君の射的が成功しても、奴は素直にあの地を引き渡したりなどしないだろう。ただの茶番だったと言うことだ」
ロビンが、腕組みしたまま吐き捨てた。ロビンの横では、ナデットが難しい顔をしている。見渡すと、こちら岸にも沢山の妖精の騎士たちが、武器を手にして立っていた。
「やるだけ無駄だ。失敗すれば姫を奪われ、成功しても得られるものは何も無い」
ロビンが繰り返す。ナデットを説き伏せているのだろう。
「どう思う?」
ナデットが、僕に聞いた。
「射的に成功すれば、結界は解かれるのか?」
大人の弓を弾ける為に、僕の身体はお父さんくらいに成長していた。それに引き摺られて、声も言い方も大人のそれになっている。
「あのプレートを破れば、結界も破れる」
「だったら、遣ろう。それを合図に、一斉に攻撃を開始する」
ロビンが、驚嘆した顔で僕を見た。ホンの3日前の一之瀬卓也とは、全く違っていた。
「出来るのか?」
ロビンは、まだ信じていない。
「正射必中」
老師に頂いた言葉を口にした。
指導中、プレッシャーに負けそうな顔をした僕に、老師は力強くそう言い放った。
正しく射れば、必ず当たるという意味だ。
僕の言葉を待っていた様に、ナデットが右手を上げた。射的を行うという合図だ。
向こう岸のダグナーが、勝ち誇った様にほくそ笑んだ。
(引っ掛かったな、一之瀬卓也)ダグナーの合図で、まるで十字架の様な装置が運ばれて来た。
白いドレスの女の子が、Tの字に手足を縛られ、頭の上に、銀のプレートが固定されている。
少女は、悲しげに下を向いていた。
僕は、その少女を知っていた。
しかし、今は何も考えなかった。ただ、あのプレートを射抜くだけだ。
白と黒の弓道衣が、僕の心を不思議なくらい落ち着かせてくれている。
弓は、あの大弓を左手に持っていた。ナデットが指を弾くと、ダックスフントの妖精が、2本の弓を口に銜えて持って来た。妖精たちに依って磨き抜かれた矢だ。
僕は、それを右手に持った。
足元を見ると、一畳分の畳が敷かれている。
僕は、足袋の裏で安定具合を確認した。問題がないと判断すると、弓を構える方向に姿勢を正した。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
まず最初に、周りの妖精たちの、息遣いを感じた。
やがて、遠くの鳥のさえずりを近くに感じた。その感覚は、やがて向こう岸のダグナーの心臓の響きまでも感じ取った。
しばらくすると、それらが混然と一つにまとまり、ただの雑音になっていく。
僕は、それらが収まるのをまって、静かに目を開いた。
そして、ゆっくりと足踏みを行った。下半身を安定させると、胴造りをし、弓構えで漠然とプレートを眺めた。
引分けの時に、突然、的であるプレートが僕に囁き始めた。
「お前には無理だ。お前には無理だ・・・」
魔女の魔法かも知れないし、僕の心の乱れかも知れなかった。
両肩に力みが生まれた。はっきりと震えも感じた。このままでは失敗すると思った。
僕は再び目を閉じた。
ウイーーーン。
頭の中のコンピュータが、老師のデータベースにアクセスした。
そのイメージをベースにして、的までの距離や方向のデータ、現時点での僕の筋力などを計算し始めた。
チーーーーン。
心の目を開けると、辺りは暗闇だった。
遠くに満月が浮かんでいる。まるで、一人でポツンと真夜中の草原に立っている様だった。
「会は、永遠の引き」
データベースの老師が囁いた。その言葉の通り、僕は満月に向かって、矢を引き続けた。
ギシ、ギシ、ギシ。
弦がしなる音が続いている。しかし、矢じりの先は、微動だにしない。
一瞬、弓手の先で風が止まるのを感じた。
「放てっ」
老師の声がした。僕は、一気に矢を放った。
ヒューーーーーー。
闇を切り裂く音がした。残心の姿勢のまま、僕は何も考えず、何も期待しなかった。
永遠に、時が止まった様に思えた。
パーーーンという、小さな音がした。
うおおーーーっ、という歓声が僕を包んだ。
「進めーー」
ナデットと、ロビンが、声を振り絞った。
ドドドドドーーー、という地響きが、ワーーっという歓声とともに辺りにこだました。
夢から目覚めた様に目を開けると、あの岸へと続く道が出来あがっていた。
羊に跨って駆けてゆくロビンが振り返った。指笛をピューーっと鳴らすと、ついて来いと手招きをした。
メーーエ。
青い耳の羊が駆け寄って来た。僕は残っていた1本の矢と弓を左手に持つと、羊に飛び乗った。
「ハッ」
羊の腹を蹴ると、メーーっと、一鳴きして全力で走り出した。




