決戦前夜
翌日、弓道場に着くと、田中先生ではない女の人が待っていた。
「田中さんは、どうかされたんですか?」
お父さんが、心配そうに聞いた。
「気分がスグレないらしくて・・・」
(チャンネル秩父のこと、調べたのかな?)
なんとなく、そんな気がした。
お父さんは、その女の人に促されてお金を支払った。受付の人も、今日はそっけなく見えた。
女の先生に連れられて弓道場に入ると、黒い着物に灰色の袴を着た岩見沢先生が待っていた。頭はツルツルで、口の周りは白い髭で覆われている。着物の左側を脱いでいるので、肩と胸が見えていた。襟元の白が、気品を漂わせている。
一見すると穏やかな表情だけど、目は鋭く、そこはかとない威圧感を漂わせていた。それは、校長先生にも、サッカークラブの監督にも感じたことのない、別次元の感覚だった。
神聖。シンセイってなんだっけ?
「田中君から卓也君の事は聞いています。想像を絶するスピードで上達しているとか・・。」
岩見沢老人は、一見、優しい表情で僕の事を見た。
不思議なことに、全てを見透かされた様な気持ちになった。
「田中君がお休みということもあるので、今日は私が直接指導をします。弓道の道は永遠です。私もまだ道の半ばですが、まずは模範をお見せしましょう」
「よろしくお願い致します」
僕の口が、勝手に動いた。自動的に頭が下がる。
師匠と弟子。武道ならではのピーーンとした緊張感が、場内を支配した。
女の先生が、良く見える場所へと誘った。お父さんは、入り口の近くに立っている。硬い木のフローリングの上に、僕はきちっと正座した。背筋がピーーンと伸びる。
遠的。距離60メートル。的は100cm。
道場には、老師と僕とお父さんと女先生。静寂が辺りを包んでいる。
摺り足で、老師が中央に進んで行く。左手には竹弓、右手には2本の矢。
完璧な所作、緊張感はあるのに、力みは感じられない。
カシャ、カシャ、カシャ。
瞳孔からの映像が、僕の記憶バンクに収められて行く。
射法八節。足踏み、胴造り、弓構え、打起こし、引分け、会、離れ、残心。
目を閉じると、眼球が高速で動き、肩や、腕や、手や、指が、それらの一節、一節をバーチャルで再現し、シミレーションして行く。
その都度、肩や、腕や、手や、指や、弦の触れる腹や、矢の触れる頬に感触が残った。
パーーン。
矢が的を打ち抜く音までが、鮮明に記憶に移されていった。
その夜、夕食が終わっても、だれも話をしなかった。
テレビでは、着物を着た女の人が首を回しながら唸っている。
司会の人が、新曲だと叫んでたけど、前から知っている曲の様な気がした。おじいちゃんとお父さんは、魔女との対決の事を考えているのだろう。見るとも無しに、無言で焼酎を飲んでいた。
そんな事など知らない筈のおばあちゃんが、この夜に限っては、しっかりと周りの空気を読んでいた。
「沙織の部屋に、こんなもんが残っとったわ」
沙織とは、お父さんの妹の名前だ。白い着物と黒い袴。子供用の弓道衣だった。
「そう言えば、沙織は弓道やってたよね」
お父さんが、懐かしそうに言った。
「タクちゃん。ちょっと着て見るかい」
おばあちゃんの手を借りて、僕はその弓道衣に袖を通した。
「おー、なかなかの男振りじゃな」
おじいちゃんが、感心した顔で言った。
「あと、こんなもんもあったけどね」
それは、車のダッシュボードの中の写真で、おじいちゃんがしていた、日の丸のついた鉢巻だった。
日の丸の両側に、特攻の文字が輝いている。
突然、おじいちゃんがテレビの音量を上げた。そして、女の人と同じ様に首を回して唸り始めた。
誰が聞いても、おじいちゃんのキーは、かなり外れていた。
・・・・。しばらくの間、会話が途切れた。
居たたまれなくなった僕は、みんなにお休みを告げた。
いよいよ、決戦の時が迫っていた。




