弓の修行
「君が、一之瀬さんのご子息か?」
弓道の胴衣を身に着けた岩見沢老人が、お父さんに尋ねた。
頭髪はすでに抜け落ちていたが、口の周りの白い髭が立派だった。
「お忙しいところ、申し訳ありません。私が息子の隆で、こっちが孫の卓也です」
「そうですか。で、本日のご用件は?」
「私の息子が、弓に興味を持ちまして。先生にご指導頂けないかと思いまして・・・」
「お孫さんは、弓道場は初めてですか?」
「はい。それにしても、立派な施設ですね」
「ここは、まだ出来たばかりでね。近的場も遠的場もどちらもそろっとります」
「はい?」
「ああ、近的場というのは、的までの距離が28メートルの射的場で、遠的場というのは60メートルの射的場ですな。隆さんは、弓道を遣っとらんのですか?」
「はい。申し訳ありません。父が弓師だというのに、お恥ずかしい話です」
お父さんは、そう言って頭を掻いた。
「それじゃあ、ちょっと見てみますか」
お父さんと僕は、弓の先生の後について行った。
先生は、スイスイと廊下を滑る様に歩いた。背中もまっすぐで、近所のお爺ちゃんたちとは明らかに違っていた。
忍者? そう、そんなオーラを感じた。
「これが近的場ですな」
弓道場に入る時、先生は奥の方に向かって一礼をした。お父さんも僕も、同じ様に頭を下げた。
夏休みの所為だろうか、道場には沢山の人がいた。そして、先生を見ると、みんながペコリと挨拶をする。
道場は、体育館の中の様な木の床の部分と、その先に土のところがあって、その先に小さな白黒の丸い的が立っていた。的の置いてある部分は、土で、その上に白い布が垂れていた。さらにその上には、小さな瓦の屋根があった。
「あすこの的までの距離が、28メートル。的の直径が36cmですな」
「ここから見ると、とても当たる気がしませんね」
お父さんの感想は、僕の印象と全く同じだった。
「80メートル先の直径90cmの的」
僕は、そのむずかしさをズシリと感じた。
その後の遠的場での光景は、僕の希望を完全に破壊させた。
「昔は、90メートルの遠的場もあったんですが、今では60メートルが一般的ですな」
僕の目標など知る由もない先生は、弓道の状況を淡々と説明している。
「遠的での的中率は、結構あるんですか?」
まるで僕の心を察した様に、お父さんが質問してくれた。
「遠的の的の直径は、100cmもあります。向き不向きはありますが、上級者の的中率は相当に高いですよ」
「そうなんですか」
お父さんの声が明るい。
「田中くん。こっちへ」
先生が、他の人を指導していた男性に声を掛けた。その人が、こちらに寄って来る。
「こちらは、弓師の一之瀬さんの息子さんで、一之瀬隆さん。それから、こちらがお孫さんの卓也君だ。卓也君に、一から弓を教えてくれないか」
「はい。分かりました」
田中さんは、お父さんと同じくらいの年齢に見えた。
「じゃ、こちらにどうぞ」
その後、色々な遣り取りがあった後、僕は道具を借りて、弓を教えて貰うことになった。場所は、弓道場ではない。
「申し訳ありません。今日は、弓道場は一杯で、ここしか空いてなかったものですから。でも、いつも四半的の練習に使ってますから、弓道場といえば、弓道場なんですけどね」
しはん・まと?
「あれ、お父さんは聞かれたことないですか?」
いやーー、すいません。お父さんが首を振る。
「日南が発祥の弓技なんですよ。もともとは、農家の遊びから始まったんですけど、場所も取りませんし、お子さんがやるなら、最適だと思います」
「あの俵が、的ですか?」
「そうです。約8.2メートルの距離があります。ただ、今日は1メートルの距離からやりましょう」




