神と神-04
七瀬七海が目を醒ます。
彼女が目を僅かに開けると、夕日による眩い光が真っ先に視界に入ってきて再び目を閉じたが、しかし自身に何があったかを思い出し、ハッと意識を取り戻した。
取り戻したからこそ、両手に痛みが走る。
彼女は両手を重ねた上で、掌に打ち込まれた杭によって固定されており、僅かに溢れ出る血が、やけに不快だった。
「目が醒めたか」
男の声が聞こえ、七海は目線を細めた。微笑む男は、足音を鳴らしながら七海へと近付き、彼女の顎を持った。
「良い面構えだ。囚われの姫君とは思えんな」
「きいゃああああーっ! レイプされるぅううううーっ!」
ただひたすらに叫んだ。冗談めいた口調ではあるが可能な限り大声で、誰かに聞こえる様に。
「ははっ、何とも勇ましいな娘。そんな所も愛いがな」
「なぁに余裕ぶってんのよ強姦魔! ていうか痛いじゃん、この杭抜きなさいよ……っ!」
「それは出来ん相談だな。しかし、余興も良かろう。しばし吾輩の話を聞かんか」
「何? 例の『私がこうなったのは悲しい過去があったから』的な!? 残念だけどアタシそういうの嫌いだから。悪役は素直に悪役やってろって話よっ!」
「娘よ、人の話を大人しく聞く気にはならんのか……?」
「じゃあさっさと話しなさいよ。どうせアタシ固定されちゃって動けないんだから」
なるほど、そうするべきだな。そうフォルネスは笑った。
「貴様は、神と呼ばれる存在を信じるか?」
「はぁ? アンタ、ヴァンパイアの癖して宗教勧誘やってんの? ヘタクソか、もっと会話して相手の情報を集めた上でクロージングしなさい。件数欲しいんでしょ?」
「良いから答えてみせよ」
クク、と笑ったままのフォルネスに言われて、七海はハァと溜息をついた後、彼の質問へ答えた。
「いるんじゃない? けどロクな奴じゃないわ」
「ほう。面白い事を言う。貴様ら人間にとって、神は信仰すべき存在だろう」
「そんなのね、個々が信じるモンに信仰するだけよ。
本当に何でもこなせる神さまなんてモンがいるなら、さっさとこの世を消しちゃってるはずよ。
だって人間なんて不完全な存在がこの地球を完全に支配してて、しかも人間って種族同士で争ってる現状、面白い筈ないじゃない。
アタシならさっさと滅ぼしちゃうわ。人間操って核戦争起こして絶滅させてやる」
「確かに! 貴様はやけに冷血よな、娘!」
腹を抱えて高笑うフォルネスに、七海は何だかおかしな気分を覚えた。
どうして敵である筈のフォルネスと仲良く談笑などしなければならないのだろうか。
この問いには、一体どういう意図があるのだろうと、図りかねているのだ。
「いや、面白い。しかし残念な事に、この世界を滅ぼさねばならん神は存在するのだ」
「ホントに宗教勧誘下手ねぇ」
「聞けと言う。――まぁ、神は本来【神霊】と呼ばれる概念で、人間には視えんものだ。
個々が概念を信仰する事によって力を得、神霊として意思を持つ。
通常は愛やら憎悪やら、そう言った感情を司る神霊が多いのだが、しかし珍しい例ではあると言え、所謂一つの存在が、神霊として昇華する事もある」
日本に伝わる八百万と同じく、この世界には様々な概念が存在し、そしてそれらを人間が信仰する事によって、概念は【神霊】として形作られるという。
フォルネスの言うように【愛】や【憎悪】と言った感情は、人間や生物が誰しも抱く感情であり、故に神霊は生まれると言う。
「人間が、神さまになれる事もあるって言うの?」
フォルネスの言葉を借りるのならば、少ない事ではあるが有る、という事だろう。
一人の人間が信仰される事によって、【人間】という位から【神霊】という位へ昇華される事もあると言ったのだ。
「その通りだ。――なぜこんな話をするのかと聞かれればな、吾輩も故あって、神霊へと昇華を果たしてしまったからだ」
「へー。『私は神様です』、ってか?」
「ああそうだ。その昔、ミューセルからこの人間社会へ侵略を試みた際、吾輩は多くの眷属を従えた。
エネミーとの負け戦の後だったからな、眷属共は生き残るために、多くの信仰を吾輩へ注いだ。
結果、吾輩は神霊へと昇華された。神霊は死にたくても死ねなくてな、初代アルタネイティブ・ヴァンプに討たれても、死ねずに蘇ってしまったのだ」
神霊になったと気が付いたのはその時だったと言う。
本来は虚力を得なければ飢え死ぬ筈のヴァンパイアという存在。アルタネイティブの持つヴァンパイアを討つ力を振るわれれば死する筈の肉体は、既に死ねぬ概念となっていたのだ。
「吾輩が死ぬ方法は二つ。一つは同じ神霊に殺される事。しかしこれは難しいだろうな。
大抵の神霊は己の司る概念以外には無頓着だ。吾輩がどれだけ悪事を働こうが、この世界そのものを破壊しようとせん限りは、知らぬ存ぜぬを決め込むだろう」
「酷いもんね、神さまってのは、ホントに」
「くくっ、そうよなぁ。本来人間が信仰する神霊が、人間を守る気が無いのだ。気持ちのいいものではあるまい」
「もう一つは? ――アタシを捕えてるのは、そのもう一つを潰す為なんでしょ」
先を読んで、七海が確信を突いた。フォルネスは溢れ出る笑みを堪える事が出来ず、笑い散らした。
「本当に貴様は察しが良い! どうせならその意思だけでも残したいものだが――しかし、それは出来んな。
なぜなら、貴様も既に、神霊としての位に就いているのだから」
流石に、七海も声を詰まらせた。
「……アンタ、正気? アタシ、ごく普通の女子高生よ?」
「そうだな。
人々に愛され、人々に慈しまれ、そして人々を愛し、慈しみ返す、そんな女子高生だ。
そんな貴様は既に、神霊として昇華され、人間としての自分を殺している」
七瀬七海は、この零峰学園と言う小さな世界で、既に女神として人々に愛されていた。
否、零峰学園だけでは無い。
――彼女の姿を見れば、誰もが心を洗われる。
――彼女が声を発すれば、誰もが彼女の言葉に耳を傾ける。
――彼女が笑えば、女神の笑みと人々は崇拝する。
――彼女が泣けば、誰もが同じ悲しみを抱く。
そんな彼女が神として信仰されずに――どのような人間が信仰されると言うのだ?
「神霊が死ぬ為に必要な二つ目の方法は、信仰が無くなる事だ。
だが吾輩を崇拝する眷属は、忌々しいアルタネイティブ・ヴァンプやアルタネイティブ・セイントの功績により、少しずつ消されていく。
今はこの世界に元より存在する『吸血鬼伝説』と吾輩の存在が酷似している事から畏怖され、辛うじて存在が許されているが、このまま信仰される事が無くなれば、その時こそ吾輩は死ぬ」
死ぬ事、それが酷く恐ろしい。初めてフォルネスは笑みを無くし、七海の顎をグイと引いた。
「だから貴様の身体に、我が魂を宿すと決めた。
そして貴様の身体を盾に、アルタネイティブ・ヴァンプを最強の眷属・最強の兵器として育て上げ、この世界を滅さず、支配する」
「アンタが言った子宮って言葉の意味は」
「ああ、信仰を産む子宮という意味よ。貴様の身体であれば、貴様の姿であれば、何時でも信仰を得、生き長らえる事が出来るであろう。
アルタネイティブ・ヴァンプの力があれば、恐怖で人々を支配する事も可能であろう。これこそ立派な侵略というものだ」
「人間を絶滅させる事がアンタの目的じゃないの? ヴァンパイアだけの世界を作るって、それが目的じゃ無かったの?」
「愚かだな。そうなれば使徒共はどうやって糧を得れば良い? それに、その様な動きを見せれば、他の神霊が吾輩を殺す為に動こう。他の概念を殺す事にも繋がりかねんからな」
何も人間を屈しさせる方法は、絶滅だけではない。
生き長らえさせても尚、自由を許さぬ徹底的な侵略こそ、フォルネスの望む世界というのだ。
「しかし、貴様は神霊と言う位にはあれど、その肉体は人間のままだ。
――吾輩の依代として使うには、不十分でな」
七海の顎を引いたまま、フォルネスは彼女の首筋へ顔を近付け、そして――小さく口付けた。
歯の当たる感覚。七海はグッと力を籠め、歯を押し返してやろうと模索したが、しかしヴァンパイアとしての鋭利な歯は、七海の柔肌を簡単に貫いた。
血を吸われる――そう考えた七海だったが、逆に体内へ這入って来る異物感に、身体を震わせた。
「ぐ――が、ああァアッ!!」
ブルブルと震える身体、喉元まで込み上がって来る嘔吐感。
血流の循環する感覚が酷く気持ち悪くて、頭を左右上下に無理矢理振って、辛さを堪えようとする。
しかし、気持ち悪さは止まらない。むしろ無暗に足掻けば足掻くほど、嘔吐感は更に増していく。
「な……何、を……っ!!」
「吾輩の血を貴様に分け与えた。そうなれば貴様はヴァンパイアとしての肉体を得、この吾輩が依代とするに値する存在へと生まれ変わる。
まあ――普通の人間ならば気が狂って死ぬだろうが」
神霊として昇華された今の七海であれば、死ぬ事は無いと断言したフォルネスは――
今、屋上の扉を破壊して、こちらへと視線を寄越した一人の少女へ、笑みを浮かべたのだった。




