神と神-03
「分かっているではないか、我が血族の老婆よ」
不意に、声が聞こえた時には。
節子の胸に、無数の杭が打ち立てられていた。
「な、――っ!」
驚き、立ち上がった七海。しかし彼女の視線に、声の主はいなかった。
「貴様の前ぞ、七瀬七海」
七海が腰かける来賓用ソファの体面にあるもう一つのソファで、ただゆったりと腰かけ、笑みを浮かべる男が居る。
男は、全身を黒一色で染めた衣服と、反して輝く白髪を持った美少年だった。
年は幾つか分からない。直哉とそう変わらぬ年に見えたが、しかし口調には、年月によって培われた重みがある。
「ア、……アンタ」
「貴様らが探し求める名こそ、我が名だ」
「始祖――フォルネス、っ!?」
七海の前にいる男こそ、始祖・フォルネス。
かつてこの世界に進攻し、そして討ち滅ぼされた筈の男。
「クソババアに何したっての……? アンタの言う通り、アイツはアンタが残した血から生まれた子供でしょ……!?」
「その通りだ。あの老婆は我が血族の悲願を達した。瀬上直哉という最高の眷属と、七瀬七海という最高の子宮を用意し、吾輩の願望に殉じた。――だから、褒美をくれてやったのだ」
「――褒美だぁ!? あれの、どこが褒美だってのよッ!?」
節子の胸より伸びる杭は、数えきれぬ程の殺意によって突き立てられている。
そして彼女は、もう言葉を発する事も無い、ただの死体と成り果てたのだ。
「褒美だろう。なにせ王である吾輩直々に、手を下してやったのだからな」
「、っ!」
七海は、フォルネスへと近付き、彼の頬を、ただ殴った。
ゴスッ、と。乾いた音だけが、理事長室に響く。
しかしフォルネスは笑みを崩す事など無い。まるで児戯を慈しむ親の様に、ただ笑うだけだ。
「愛い女よ。我が末裔である瀬上直哉が惚れただけはある。
――しかし眷属である奴が、こんな極上の子宮を使う事は許されない。貴様は、吾輩が愛そう。どうだ、嬉しかろう」
「嬉しい訳がない。お前なんぞにアタシの処女やるかボケ」
「良いぞ良いぞ。貴様の罵倒も、我が寛大な心には心地よい」
フォルネスは立ち上がり、そして七海の額に人差し指を突きつけた。七海はそれだけで意識を失い、そしてフォルネスへ身体を預けた。
――そこに、零峰学園の理事長室にある窓ガラスを叩き割って、来室する大柄な男が一人。
男は、豊穣志斎。
フォルネスの敵となるべき、アルタネイティブ・セイントに変身を成す男だ。
「まさかこの秋音市に居たとはな。――遂に見つけたぞ、始祖・フォルネス」
「貴様が紛い物か。名は確か」
「豊穣志斎。貴様の魂を、神へ返還させる男だ」
志斎は両手の中指に装着したアルターシステムを繋ぎあわせ、手首を捻る。
「変身」
〈HENSHIN〉
機械音声と共に放たれる光。光が収束し、弾けた時、フォルネスの眼前にいるのは、アルタネイティブ・セイントである。
「七瀬七海を放せ」
「剥がしてみせよ。それが出来た時、貴様は初めて吾輩の好敵手となろうよ、紛い物」
フォルネスの言葉に異論は無かった。
セイントはフォルネスの顔面へ素早い一撃を叩き込むと、七瀬七海の身体を突き飛ばし、ソファに投げ捨てた。
「これで好敵手だな」
「認めよう、アルタネイティブ・セイント。しかし貴様では、些か役不足よな」
理事長室のドアを叩き破り、広い廊下へと出た二者。
本来は生徒や教員が居るべき校内であるものの、しかしセイントの目に映る光景は、ただ床に臥せ、酷く衰弱した様子の人々であった。
「貴様」
「勘違いするな。この様な下賤な者共の血はいらん。全員吾輩の気に圧され、気絶しているだけよ。
しかしこの学び舎には多くの使徒を呼び寄せた。放っておけば、ただ食い物にされるだけだろう」
「訂正しよう。貴様を神へ返還なぞせん。ただ殺してやろう」
「宣ったな。ならば成してみせよ」
「そうするつもりだ」
顔面を殴りつけた自身の拳を強く押し込み、廊下の端から端までフォルネスを吹き飛ばしたセイント。
しかし彼は笑みを崩さず、姿勢を崩さず、ただ壁に足をつけた。
「貴様のアルターシステムも、吾輩の血より生まれたモノだ。であるならば、これが何かも分かろうものだが」
フォルネスの足元より、無数の杭が姿を現し、彼を守る様に突き立てられた。
「ヴァンプの剣と同様の力を持つ杭だな」
「その通りだ。愚かな人間はヴァンプの持つ輝きの剣を、聖剣と信じるだろうがな」
「人がそうと信仰したモノは、やがて同じ意味を成す。しかし貴様の持つそれは、本来貴様に打ち込まれるべき、退魔兵装であろうに」
「吾輩が魔物? 違うな、吾輩は正真正銘の、神だ。貴様が信仰すべき存在ぞ」
それ以上喋るな、と。セイントが声に出す前に、彼女は駆けていた。
自身を追いかける様に次々と打ち立てられる杭の雨を避け、殴り、蹴り、少しずつフォルネスへと至る道を往く。
「良いぞ、その調子だ下郎!」
「っ!」
フォルネスの声に反応し、セイントは廊下を強く蹴った。
疾く駆けたセイントの身体が、一瞬で眼前にあった事を、フォルネスも見切れなかった。
「――おお、速いな」
「何分、これだけが得意な下郎だからな」
ワン、ツー。連続で打ち込まれたセイントの掌底が、フォルネスの腹部と顎を強く打ち付けた。
彼は次第に笑顔を無くし、自身の背後にある壁へ、手を押し付ける。
背後にある壁より、長く伸びる杭が、セイントの腹部と脚部を貫いた。
痛みはあるが堪えている暇も無いと、セイントは杭を拳で叩き折ったが、しかし一秒遅く、続いた杭が左方より叩き込まれ、左脇腹から右脇腹へ貫通した。
「どうした雑魚。先ほどまでの威勢はどうした」
「まだ、まだ」
うねる様な声を捻りだしたセイントの拳がフォルネスへと延びるものの、しかし寸前に拳を貫く杭の一突き。
地面から伸びた杭は、そのままセイントの身体を天井へと叩きつけ、落とすが、更に追い打ちと言わんばかりに背中に突き刺さった杭が、セイントの身体を更に動かし、窓ガラスを叩き割って、彼を零峰学園の中庭へ投げ捨てた。
「……詰まらん。やはり人間の作り上げたアルターシステムでは、この程度か」
ぐったりと倒れ込んだセイントの姿を一瞥した後、ゆっくりと歩き出して、先ほどの理事長室へと入っていくフォルネス。
彼は来賓者用ソファで寝静まっている七海の身体を優しく抱き寄せ、理事長室を出た。
向かう先は、屋上である。
**
――ント。イントっ、セイントッ!
誰かが自身を呼んでいる気がする。
アルタネイティブ・セイントは、ゆっくりと目を開けた。
眼前には、瞳に涙を溜めたアルタネイティブ・ヴァンプが居た。
体中の痛みから、自身が始祖・フォルネスと対峙し、敗北した事を思い出して、起き上がる。
全身を貫いた杭は、退魔兵装としての力を持っていた。だからこそ信仰深い豊穣志斎という人間には効き目が薄くはあったが、しかし物理的な暴力によって与えられた、全身を劈く様な痛みが、彼を苦しめた。
「た、立ち上がっちゃダメだよっ、そんなに血だらけなのにっ」
「問題ない――後数秒で動けるまでには治ろう」
痛みは少しずつ減っていく。アルターシステムには、人間の本来持つ細胞分裂を繰り返し、体内器官の再生を図る治癒機能がある。傷の治りは常人より速い。
「でも治癒を使ったら、寿命が……っ」
人間が本来行える細胞分裂の回数には上限がある。個体差こそあるが、アルターシステムを用いた治癒能力は若干ではあるものの、寿命を減らしていく事が不可避であるのだ。
「ここで死ぬよりはマシだ」
しかし、遂に限界が来た。セイントにまとわれた装甲より煙が僅かに上がり、変身可能上限を超えている事を示していた。
「ここまでか」
セイントは一度アルターシステムを外して、変身を解除する。
指輪は再度はめ直すものの、しかし身体的な状況から再度の変身には時間がかかるだろう。
「要救助者は」
「そっちは数えきれないよ。部活してた人が無数に倒れてる。むしろ意識がある人の方が四人くらい」
「フォルネスの殺気に圧され、尚も意識を保てる人間か。強いな」
出血多量によって僅かにふらつく体を制しながら、志斎が歩き出す。
意識を失うまで七瀬七海が気絶していた筈の来賓者用ソファに目をやるが、しかし彼女の姿は無い。場所を変えたようだが、フォルネスはまだ校内に居る筈だ。
「……校舎に、強いヴァンパイアの反応があるね」
「フォルネスだ。場所は分かるか」
「多分、屋上」
「七瀬七海も、おそらくそこに居る。彼女の事を、フォルネスは子宮呼ばわりしていたぞ」
「――七海に子供を産ませる気なんだ、フォルネスは」
ヴァンプが卑しさを感じる様に表情を歪めたが、しかし志斎はどこかおかしいと感じていた。
「……奴は、今更使徒を増やす必要があるのだろうか」
そう、既に彼は多くの使途を従えている。
確かに七瀬七海が持つ常人の数十倍にも匹敵する虚力からして、彼女に子を産ませれば、更なる力を持つ使徒を使役する事もできようが、しかし故に問題が一つある。
「七海が子供を産めば、たぶん人間として成長するよね」
「そうだ。そうなれば、初代アルタネイティブ・ヴァンプと同じ存在を生み出すやもしれんのだ」
ヴァンパイアと人間の間に成された子供は、本来ヴァンパイアとして生まれる筈である。
しかし子種を植え付けられた人間の虚力が多ければ多い程、子は人間として生まれる可能性が高まる。
かつてフォルネスは、瀬上尚子の肉体に子種を植え付け、子供は初代アルタネイティブ・ヴァンプとして育った。
そして一度は敗北を味わった筈なのに、再び自身を脅かす存在を作るとは思えない。
「何にせよ、放っておくわけにはいくまい」
「そうだね。急いで追いかけよう」
いや、と。志斎はそこで否定を口にした。
「己は足手まといだ。この校舎にやってくるであろう使徒を倒す。ヴァンプ、お前がフォルネスを討て」
ヴァンプの表情が、僅かに不安を浮かべた。
セイントでも勝てなかった存在を、自身が討てるのだろうか、と考えているのだろう。
「七瀬七海を、守るのだろう」
志斎の言葉に、ヴァンプは一度口を開いたが、しかし表情を引き締め、屋上へ向かう為に、翻る。
だがその前に、言わねばならぬ事があると、足を止めた。
「志斎」
「どうした直哉」
「ボク、志斎の事、好き」
「己も直哉の事を愛している」
「ボクの中にある、女の子としての感情は、志斎の愛を受け止めたい」
「そうか。それは喜ばしい事だ」
でもね、と。ヴァンプ――否、直哉は口にした。
志斎を見る事無く、ただ拳を強く握りしめながら。
「男の子としてのボクは、やっぱり七海が好きなんだ」
「――そうか」
「だから、ボクは志斎の愛を受け止める。けれど、その愛に報いる事は、出来ない」
「何を迷う。何を悔やむ。直哉は男だ、七瀬七海と言う素晴らしい女を愛し、何を卑下する事がある」
「っ、でもボクは、君の愛を――!」
「愛は報われるものではない。ただ覚えるべき感情だ。
愛し合う事は素晴らしき事だが、しかしだからと言って、必ずしも愛し合うとは限らない」
だからこそ、己はただ直哉に言おう――志斎は、直哉の小さな体を後ろから抱きしめ、耳元で囁く。
「己は、瀬上直哉という人間を愛している。
この想いを、受け取ってくれるだけでいい。
知ってくれているだけでいい。
それで己は、初めて【機械】としてでは無く、【人間】として生きる事が出来るのだから」
「、っ。……ボクも、志斎を愛してるっ。切ない位に……悲しい位に……っ」
「ああ。それは、己も嬉しい。ようやく己は――人間になれたのだな」
志斎は、慣れぬ笑みを浮かべる。しかし直哉は、僅かに涙で頬を濡らす。
――愛はかくも、切ないものだ。
直哉はそう覚えて、ほんの少しだけ……大人になった。
志斎の抱き締める力が弱まると、ヴァンプは彼の腕を振り払い、走り出す。
そして志斎も、自身へと歩み寄って来る一つの存在に気付き、振り返る。
十数体程のヴァンパイアが、既に人の姿を止め、志斎に殺意を向けている。
奴が我々を殺す者だと、殺さなければ殺されるぞと、始祖であるフォルネスに命じられているのだろう。
治癒はまだ万全では無い。しかしそれが逃げる理由になるだろうか。
否。断じて否。
豊穣志斎は、両手の中指に装着したアルターシステムを整え、二つを合致させる。
〈Alter・on〉
手首を捻り、ただ呟いた。
「変身」
〈HENSHIN〉
放たれる機械音声と共に、自身の身体を包む光。
輝きの温かさに目を閉じながら、志斎は――
アルタネイティブ・セイントへと変身を果たした事を確認して、目を開く。
「我が名は豊穣志斎。この姿は、アルタネイティブ・セイント――貴様らの命、神へ返還させる」
地面を蹴って、ヴァンパイアへと駆けていくセイント。
そんな彼女の雄姿は、彼女が愛した存在が、見ることは無い。
しかし、それでいい。
――孤独な戦いには、慣れているのだから。




