神と神-02
瀬上節子は夢を見る。
それは遠い昔の記憶。年数も思い出せない、まだ若かりし頃にあった、本当の事だ。
息子である瀬上章哉は、アルタネイティブ・ヴァンプとしての適性を見込まれ、十七歳の頃にヴァンプのアルターシステムを授かった。
母である節子は、それを誇りとした。
自分が男では無かったから、瀬上の一族は一度没落しかけた。
それをどれだけ詰られた事か。
それをどれだけ罵られた事か。
次に生まれた子供こそ、瀬上に相応しい子となろう。節子はそう言って、強かに瀬上の家で生き続けた。
そして同じ巫女の家系である男より子種を貰い、そして成した子供が大成を果たす。それが痛いほどに嬉しかった。
しかし、節子はそれ以上に、息子を愛してしまった。
一度は誇りとした息子の運命。だがそれは息子を傷付けるやもしれぬ、非人間としての道だった。
息子に幸せを授けて欲しい。
自身などどうでもいい。ただ愛する息子に、人間としての幸せがあって欲しい。
そんな願いの中、瀬上章哉は一人の女性に恋をした。
女性の名は、三日月六美。ヴァンパイアにより心を犯され、精神を殺された者だった。
六美は常人より多くの虚力を有していた。そしてヴァンパイアが彼女を捕食している時に章哉が駆けつけ、ヴァンプとしてそれを討伐した事によって、完全に心を殺される事は無かった。
しかしそれは、日常生活を送る上で困る事が無い、程度の幸いで、笑顔を魅せる事など、章哉の前でも、節子の前でも無かった。
章哉は、恋した女性の感情を、いつか取り戻せると信じ、戦いを続けた。
そして六美は、そんな章哉の姿を見据え、少しずつ心を取り戻していった。
そんな二人は、何時しか子供を授かっていた。
子供には直哉と名付けた。この名は六美が与えた物だ。理由は知らない。意味など知らない。
節子はただ、章哉が幸せであれば、それでよかったから、それを祝った。
ヴァンプとして戦う事に意義を見出し、そして決意を持って戦う事が出来るのであれば、それは喜ばしい事なのだと。
――しかし、六美は直哉を産んで一年も経たずに、他界した。
それもヴァンパイアだとか、聖邦協会だとか、そんな瀬上の運命に関係なく、ごく普通に、車に轢かれて、死んだ。
六美は、最後の最後まで、章哉に笑顔を見せる事無く、死んだのだ。
それから毎日、章哉はただ呪いの言葉を口にした。
――ああ、神よ! どうしてお前は、六美に哀しみだけを背負わせた!?
――ああ、悪魔よ! どうしてお前は、六美の悲劇に報わなんだ!?
――俺は貴様らを許さない! 一度とて俺に、六美の笑顔を見せなかった貴様たちを、俺は呪う、呪い続ける!
――この世の何もかも、消えてしまえばいい! 六美と同じ末路を辿ればいい!
――世界はいずれ、呪いによって浄化されるだろう!
節子は、愛する息子の嘆きを、聞いている事しか、出来なかった。
そして、誓ったのだ。
この手に収まり眠る幼子へ、いつの日か息子を嘆きに陥れた元凶を絶つ為、必要な教育を施そうと。
**
コンコンと、ノックの音で目が醒めた。
節子はスッと目を開いて、聖邦協会の報告書をデスクの引き出しにしまった後、ニコリと笑みを浮かべて、優し気な言葉を発した。
「どうぞ」
『失礼いたします』
対して聞こえてきた声は、スッと透き通るような女性の声だったが、しかし節子は笑みを卑しいものへと変えて、来室者を待った。
「ようクソババア」
「ようクソガキ。三日で再登場とは、この老害に従う心構えが出来たのかい?」
七瀬七海だ。彼女はチッと舌打ちをした上で「んなわけないじゃん」と汚い言葉を吐きながら、節子のデスクへドンッ、と強く手を置いた。
「単刀直入に聞くわよ」
「始祖・フォルネスについてかい?」
「知ってる?」
「知らん。嘘じゃないよ。私は、ヘタな嘘が嫌いさ」
「アンタが普段演じてる温厚な老人は、ヘタな嘘じゃないの?」
「そっくりそのままお返ししよう、文武両道・才色兼備で温和な女子高生」
言葉に刺はあるものの、節子は七海を気に入っていた。
ハッキリとした物言いと、強い自制心を持つ精神、何より彼女の真っ直ぐな瞳が好きなのだ。
「あれから三週間経った。ナオは使徒のヴァンパイアを狩ってるし、志斎は聖邦協会で収集できる情報を洗いざらい調べてくれてる。後はフォルネスの在処を見つけて、それを討つだけ。
アンタに従うつもりはこれっぽっっっっ、ちもないけど、事実としてアタシらは、アンタが望むヴァンパイアの駆逐に動いてる」
右手の人差し指と親指を可能な限り近づけ、しかし触れもしない一、二ミリで止めながら、節子へ見せつける七海。節子も彼女へ笑うのだ。
「そうだねぇ。私もアンタが素直に従うなんてこれっぽっっっっ、ちも思っていないが、しかし現実、そうなっている」
節子も同じ事をしてみせた。七海はフンと鼻を鳴らし、来賓者用のソファに腰かけた。
「ねえ、聞いていい?」
「何だいね。この老害に何か聞きたいのかい? 嘘かもしれない。隠し事をするかもしれない。それでもいいなら問うといい」
「ナオの母親って、どんな人?」
ピクリと、節子の表情筋が動いた。七海は気付いていなさそうだが、節子も隠すつもりはなかった。
「どうしてそれを聞くのかね」
「アイツ、母親の事、知りたがってた。アンタは隠すかもしれない、アタシを騙しきるかもしれない。
――でも、ナオはお母さんの温もりを求めてる。この三日間ずっと考えて来たけど、それを知る方法は、アンタに聞くしかないと思ったの」
「母親の温もり……か」
思い返せば、それは確かに節子も知らぬことだった。
六美は、直哉に愛情を注いで居たのだろうか?
普通ならば注ぐだろう。普通ならば優しく、母の胸に抱き寄せ、温もりで子を育てるのが親だろう。
しかし、六美は普通の人間として生きられる女では無かった。
そして――あまりにその生涯は、酷く痛ましい生涯だったのだから、それを知りたいとも、思えなかったのだ。
「旧姓、三日月六美。そして後に瀬上六美となった女だ。ナオが一歳に満たない頃に死んだ」
「どうして? それはヴァンパイアのせいなの?」
「違うよ。六美はただワゴン車にはねられて死んだ。ごく普通の、当たり前の人間として死んだ。これは嘘じゃない」
「分かる。アンタが嘘ついたら、きっとすぐわかるだろうし」
「同類だしね」
「うっせー、クソババア」
何だか、本当に口煩い祖母との会話に思えてきて、七海はプイと顔を背けた。背けたからこそ見えない。節子が優しい笑みを浮かべていた事など。
「そうだねぇ。お前さんに似ていたと思う」
「はいウソー」
「声で分かるんかいね!?」
「考え事タイムがあった。アンタ嘘つく時ちょっと時間が空くわ。ゼロコンマ三秒くらい」
「末恐ろしい子だねぇ……じゃあ嘘つき続けるから、それで察する事だね」
「はいよ」
「天真爛漫、唯我独尊、世界と神に愛され、悪魔に拒絶され、そして好きでも無い男との子を産んで――幸せそうに死んでいった」
そんな節子の嘘に――七海は少しだけ、泣きたい衝動を覚え、しかしそれを堪えた。
「どうした、どうして泣きそうになる」
「うっさい……クソババア。そんな人生、どこが幸せよ……っ、アホか、!」
「感受性高い子だねぇ。どうしてそれで、人を騙せる」
「――アンタと、一緒よ。人を騙す事は、自分を騙す事って、知ってて。
でも、騙すって言葉には、優しい意味も、あるんだって……知ってるから」
「そうだね。悪い嘘もある、悪い隠し事もある。けれど、全てがそうじゃない。
優しい嘘もあって、優しい隠し事もある。アンタは優しい嘘と、優しい隠し事を続けて来た女神さ」
だから人々は、七瀬七海という一人の少女を信仰する。
七瀬七海と言う少女に、こうあって欲しいと言う願望を、人々は願った。そして七瀬七海は優しい嘘として、その願望に従い、そうした。
七瀬七海という少女に、こうあって欲しいと言う願望を、人々は願った。そして七瀬七海は優しい隠し事として、その願望に従い、そうなった。
全て、人に願われたから。願われた事を知ったから。それを叶えねばと、理解したから。
それは悪意だろうかと問われれば、節子は否と答えよう。
人の為に、自分自身を騙す嘘を、隠し事を続けられる者など、普通は存在し得ないのだから。
――対して自分はどうだった?
瀬上直哉に、本来与えねばならぬ教育を、父についての思い出を、母の温もりを、隠し事とした。
世間様に、零峰学園の理事長であるべき人間だと知らしめる為、温厚な老人であると、嘘を付き続けて来た。
それは善意だろうかと問われれば、節子は否と答えよう。
「私はそうじゃない。人を陥れる嘘を、人を裏で動かす為の隠し事を続けて来た。それが、アンタと同じであるもんか」
「……クソババア」
「慰めはいらないよ。なんたってこれは、私が選んだ道なんだ。今更改心なんざするもんか。
最後までナオを陥れて、ヴァンパイアをこの世から全て消し去るまで、私は呪い続ける。そうしなきゃね……章哉の呪いは、消えないんだ」
「ナオの父親は、この世を恨んだの?」
「ああ、そうだ。恨んで、憎んで……嘆き続けたよ」
「だからヴァンパイアに成り果てたの? だから人々を殺そうと誓ったの? そんなアンタが愛した子が、どうして」
「たった一人の女性を、愛したからだ。
たった一人で世界を、守り続けて来たからだ」
愛した分だけ、守ってきた分だけ、瀬上章哉は世界に愛されるべきだった。人々に守られるべきだった。
けれど、この世界は彼を愛さなかった。人々は彼を守らなかった。
だから彼は、恨んだ、憎んだ、嘆いた。
そして最後には、人としての矜持を捨て、化物に成り果ててしまった。
――それを、一体誰が咎められると言うのだろう。




