神と神-01
瀬上ナオの様子がおかしい。
七瀬七海は授業を受けつつ彼の姿を見て、その理由を探った。
否。探るまでも無い。
憂いを含んだ惚けた表情。
時々胸を抑えて、溜息を溢す。
その可憐な姿を、七海はどう表現すれば良いかも知っている。
恋する乙女。それ以外表現しようのない姿を見据えて、ムスッと表情をしかめた。
「な、七瀬さん? どうしました?」
「え、ああ……何でもありません。ご心配をおかけして申し訳ございません、先生」
「よかった。体調が悪ければ言うのよ?」
「はい。ありがとうございます」
ニッコリと、英語教師の柴沼へ笑いかけると、彼女は表情を赤め、しかし正気を装って授業へと戻っていく。
そして数十分の時が流れると、授業が終了した事を知らせる鐘が鳴る。
昼休み。ナオはゆっくり立ち上がり、七海の元へ駆け寄ってくる。
「な、七海。ご飯、食べよ?」
「はい。どちらに行きましょうか」
「ボク、今日七海の分もご飯買ってあるんだ」
「そうでしたか、ありがとうございます。では食べに行きましょう」
「うん」
ナオの手に引かれ、屋上へと向かっていく二人の姿を、他の生徒たちはまるで「聖女たちの晩餐」を見る様な視線で見据えている。昼食なのだが。
そんな視線を無視し、屋上へと辿り付いた二人。
屋上へ出る為の扉に鍵をかけた七海は、周りを見渡して誰も居ない事を確認すると、ハァと溜息をついてナオに声をかけた。
「……で、何か相談事?」
「うー、分かる……?」
「分かるっての。マジで恋する乙女かアンタは」
「こ、恋なんか! ボクは七海一筋! 七海しか好きじゃないよっ」
「でも事実、アンタ志斎の告白を超嬉しそうにしてたし、メールの返信が遅いってだけで心配してんじゃない。一昔前の女子高生か」
ナオの購入していたコンビニのポリ袋に手を伸ばし、カツサンドを手に取った七海。
彼女は床にどっしりとあぐらをかいて座り込み、ナオは彼女の隣に、女の子座りで続いた。
「……別に、否定してるわけじゃないわよ? アンタ『女の子』として、志斎の事が好きになっちゃったんでしょ?」
「ち、違うもん。ボク、男の子だもん」
「こら、自分の気持ちに嘘つくな。それは志斎にも失礼だっての」
「うー……で、でもでも、おかしいもんっ! ボク男なのに、あんな筋肉隆々の大男を好きになるなんて!」
年頃の子らしい悩みだなぁ、と。七海は溜息と共に笑った。
「別にね、それは否定する事じゃないの。だってアンタは、男としてアタシを好きでいてくれてんでしょ?」
「そ、そうっ! ボクは七海が好き!」
「それが男としての瀬上直哉が持つ純粋な気持ち。
でもアンタの中には瀬上ナオっていう、女の子としての気持ちがあって、その気持ちは、志斎を好きになった。それだけじゃん」
「だ、ダメな事じゃ、無いの……?」
「人を好きになる気持ちが、ダメな筈無い。
もちろん浮気はダメだけど、互いに許容し合って、認め合っているなら、その気持ちを否定しちゃダメじゃん。
……ていうかアタシは、別にアンタと付き合ってるわけでもないじゃん?」
ほら食べな、とミックスサンドをナオに手渡した七海。
ナオは震える手でサンドイッチの封を開け、一口頬張った。
「……ま、何時かは答えを決めなさい。今後男として生きていくのか、それともアンタの中に眠る女の子としての気持ちを持って生きていくのか。
今は精神的に不安定な時期だから、それを兼ねる事は悪くないけどね。でも将来的には決めていく必要があるわ」
難しい事を言ったと思う。十四歳の男の子へ、お前の生き方はお前で決めろと、それを押し付けたのだ。
しかし、七海にはこれ以上の言葉が見つからなかった。
何せ七海は生まれてからずっと「女」として生きて来たつもりだ。
自分の中に男性的な自分があると思った事は無いし、今後も無いつもりではある。
「……ボク、七海が好き」
「そ。ありがと」
その思いは純粋に嬉しい。しかし。
「でも、やっぱりどれだけ考えても、志斎の事も、好き。これが恋なのか、何なのか……それは分からないけど、でも」
「そう、それは否定しちゃいけない。LIKEなのかLOVEなのか、それに答えを出す必要はあるけれど、仮にどっちでも、アンタの中で芽生えた、大事な気持ちよ」
「うん。分かってる。――このわけわかんない気持ちに、答えを定めていく。それが、大人になるって事なんだね」
「分かってんじゃん。なら話は早いわ」
「え」
七海は勢いよく残ったカツサンドを一口で頬張り、噛んで、飲み込んだ。
そして立ち上がると――給水塔の上に座り込み、七海とナオを見据える一人の男性へ、視線を送った。
「趣味が悪いわね、覗き見なんて」
「割って入るべきではないと判断したが、間違っていただろうか」
「ううん、ありがと」
豊穣志斎である。彼は給水塔から飛び降りると、ナオの前へ座り込んで、頭を下げた。
「己の想いは、直哉を惑わせてしまったようだ。すまない」
「そ、そんなっ! ぼ、ボクこそ、ごめんね。しっかりと告白の返事、出来なくて」
「構わんさ。それより、七瀬七海」
「ええ。志斎に聞きたい事があったの」
屋上の手すりに両手を置き、秋音市の全体を見据える七海。
彼女は風を一身に受け、どこから聞けば良いものかを思案していた。
「アンタ、穏健派とやらは?」
「大量の着信こそあるが、無視している。どうせヴァンプのアルターシステムを回収せよとの通達だろう」
「え、でも……神託じゃ、なかったの?」
ナオの問いに、志斎は一度頷くが、しかし否定の言葉を口にした。
「己は、己の定める神に従う機械だ。今は直哉の存在こそ、己の定める神だ」
堂々と言い放った彼の言葉に「よし」と頷く七海。
志斎はまだ穏健派に属してはいるが、しかし行動は控えるつもりらしい。
「ナオ、アンタあのクソババアと、あれから会った?」
「え、ううん。何も用ないし……会った方が良い?」
「いんや。会わなくていいわ、あんなクソババア」
「七海、人のおばあちゃんに酷い言い様だね……」
「じゃあ志斎、またアンタに幾つか質問。誤魔化さずに話してくれるかしら」
「何だ」
「一つ。瀬上章哉は、ホントにヴァンパイアとして覚醒したの?
二つ。ナオがそうなる可能性はあるって言うの?
三つ。この間ナオが変身した姿に見覚えある?
そんでもって最後に四つ。今後のヴァンパイア討伐に関して、終わらせる算段はあるの?」
矢継ぎ早に質問をしていく七海の言葉を、志斎はただ聞いているだけだった。
しかし彼女の言葉が途絶えた事を確認すると、ゆっくり語っていく。
「一つ目の質問はYESだ。瀬上章哉は確かに先代アルタネイティブ・ヴァンプとして、輝かしい活躍を残した。
己の用いるセイントのアルターシステムが開発できたのも、奴の功績あってこそだ。
しかし最終的にヴァンパイアとして覚醒し、聖邦教会の持つ防衛手段を悉く破った後、己が討伐を果たした。消えゆく姿も確認している」
「二つ目」
七海がただ言い放つと、志斎も続く。
「それもYESだ。ヴァンプの力にはまだまだ解析できていない部分がある。
ヴァンパイアへの覚醒に至る為に必要な契機も分からねば、安穏と『直哉は大丈夫だ』と結論を出すべきでは無い」
「ま、同感。三つめ」
「三つめはNOだ。正確に言うとヴァンプの力が解析できぬ理由として『ヴァンプの変身した姿が歴代でいずれも異なっている為』と答えられる。
今まで変身後に姿を変えた者は居ると言う事だし、それと同一であるとも、否定も出来ん」
「最後」
「最後はYESだ」
ピクリと、七海が視線を志斎へ泳がした。
「……YESとはねぇ」
「おかしい事では無い。元より終わりの無い戦いを延々と続けられるほど、人間は強くない。例え仮説であっても、結論へ至る為の道は持つものだ」
「仮説って言うからには、確証はないのね」
「無いと言えば嘘になるな。なぜなら試した事は無いし、仮に試したとして、己と直哉以外は返り討ちにあうだけだ」
「親玉がいるって事?」
七海も、仮説を立てて志斎へ問いかける。彼も頷き、つらつらと語っていく。
「始祖・フォルネス。それがほぼすべてのヴァンパイアの元だ。これを討てば、子は起源を失い、自然と死滅していく事だろう」
「ちょっと情報が足りないから教えてくれる? なんで元祖を殺せば子も死ぬのよ」
「ヴァンパイアは通常の生命体では無い。基本的には元となる親・真祖があり、親が生み出した子・使徒へ虚力を分け与え、生き長らえさせている。所謂眷属という形だ。
子は人間から虚力を奪い、奪った虚力を親へ献上する。そして親は献上された虚力の何割かを子へ戻し、子は戻された虚力を元に生き長らえる」
でも、と。七海はそこで口を挿んだ。
「聞いた話じゃ、ヴァンパイアは本能的に虚力の多い女性を孕ませて、子を産ませるみたいじゃない。それは子供が行っていいの? 子が親になっちゃダメじゃないの?」
「否。それは始祖であるフォルネスも承知している筈だ。ヴァンパイアの血族を増やし、何時の日か人間社会を駆逐する為に必要な手法だ」
「じゃあ始祖であるフォルネス倒しただけじゃ、全ヴァンパイアを駆逐できないじゃない」
「確かにそれだけで全てを駆逐し切る事は出来ない。しかし初代が始祖・フォルネスを討った戦争の後、二代目が行った政策は『真祖の駆逐』であった。
その結果現在まで生き残っているヴァンパイアのほとんどは、フォルネスを基礎とした使徒のヴァンパイアに他ならん。
フォルネスを真に討つ事が出来れば、ほとんどの使徒は死滅し、残りは僅かとなろう。
そうなれば、決して終わりの無い戦いでは無くなる、という事だ」
なるほど、と。そこで七海は納得した。
確かにナオの祖母である節子の言葉とも矛盾はしない。
節子が嘘をついている可能性を鑑みて訊ねてみたが、意外な収穫だと七海はニンマリと笑顔を浮かべた。
「よし、ならこれからの行動は、始祖・フォルネスを探す事ね」
「そうだ、そちらは己が動こう。穏健派の情報も過激派の情報も、ある程度は己の元に入るからな。直哉はしばらく、現在懸念すべき使徒の討伐に当たってほしい」
「わ、わかった!」
コクンと頷いたナオと、目を合わせる志斎。彼はナオの頭を撫でた上で、屋上のフェンスに足をかけた。
「すまない。己は直哉に降りかかる災厄を、ただ見ている事しか出来ん」
「それは、ボクの責任だよ。志斎のせいじゃない」
「いざと言う時は、己が直哉を殺そう」
それが己の信仰する神へ出来る、唯一の奉公だ、と志斎は口にした後、強くフェンスを蹴り付け、どこかへと跳んでいくのだった。
「ナオ、アンタはしばらく、あのクソババアと話す事をやめときな」
「七海、おばあちゃんと話して、そこまでヴァンパイアの情報を知ったんだよね? まだおばあちゃん、隠してる事があるんじゃ」
「そうね、隠してる事はあるでしょ、きっと。
――でもアイツのムカつくところはね、良い嘘を付かない事、悪い隠し事しかしない事なの」
嘘と隠し事は違う。
もちろん互いに「良い嘘」や「良い隠し事」はある。
それを否定しては、七海の存在自体を否定する事だ。
しかし――節子の付く隠し事は「悪い隠し事」だと、七海は断言した。
「アイツはアンタを、可愛い孫だなんて、思ってない。いくらでも、悪い隠し事をするでしょうね」
「……そっかぁ」
「悲しい?」
「そりゃ、ね。唯一の肉親だし」
「瀬上章哉は、ヴァンパイアになって死んだ。――じゃあ、アンタのお母さんは?」
「死んだって」
「どうして?」
「知る必要なんてないって、おばあちゃんは言ってた。パパの事もね。だからおばあちゃんに聞いても無駄だと思う。
でも、別に知りたいと思ってないよ。パパの事を知ったんだから、ママの事だって、その内分かるでしょ」
ナオは笑顔を浮かべてそう言ったが、しかし七海には分かった。
「……ナオ」
「なに、七海」
「アンタのついた嘘は、悪い嘘だよ」
知りたくないわけが無い。
その思いから、目を逸らす必要など無い。
十四まで生きた子供が、親の温もりを知らぬなんて――それは辛く、悲しい事なのだから。




