ワルツ-08
向かった先は、ホテルの中にあるロビー。
カフェも兼ねているロビーで岩平がアイスコーヒーを二つ頼み、届くまでは沈黙が二人を包んでいる。
しかし岩平の目は、常に荘司を見据えていた。
アイスコーヒーが届く。
手を付ける事も無く、岩平は膝に手をやり、荘司の言葉を聞く態勢を整える。
「聞こう」
「まず、洋平の変化についてだが――すまない。それについては、話す事が出来ねぇ」
「父親である、俺でもか」
「ダメだ。これは俺の一存で決めていい事じゃねぇと思う」
荘司とて分かっている。
エネミーやアルターシステムに関する事は、部外者に語るべき事では無い。
無論、四六が彼に語る事を良しとしているのだとしても、それは四六がすべき事で、荘司が勝手に語る事は出来ぬ。
「ふむん。ならば聞かん」
「……いいのか」
岩平は洋平の父親だ。息子の身体が妙な変化を遂げている事を、知りたくない筈も無い。
「荘司が俺を騙そうとしているわけでは無いという事は分かる。
優れた精神は優れた肉体に宿るからな。荘司の筋肉が、俺に全てを物語るようだ。
お前は、決して俺を幻滅させぬと」
この人にとっては筋肉の成長具合が人を物語るらしい。
荘司は(俺、そんなに筋肉あるか?)と、少々肉体を鑑みてみるが、見本が洋平と岩平では、よく分からない。
「俺が聞きたい事――それは、洋平の事だ」
「どうだ、洋平は。強かに生きているか?」
「ああ。――病的な程に」
洋平は、あまりに【ヒーロー】という物に憧れを抱き過ぎている。
善と悪。これを知らぬ年では無い。
そして生存競争という、善とも悪とも取る事が出来ぬ、人間とエネミーの戦いにおいても、彼は【正義】を貫こうと、悩み、苦しんでいる。
彼は言った。
――親父が言ったんだ。
――ヒーローになりたかったら全てを守ってみせろって。
――ヒーローとはそう言う人の事だって。
彼は父親である岩平の言葉に従い、行動をしている。文字通り【病的】なまでに、盲信して。
「アンタは、子供の夢を壊したくなかったのか? だから洋平に、ただ全てを守ってみせろって、そう言ったのか」
「子供の夢は尊重すべきだ。しかし、洋平が今抱いているのは、決して夢では無い」
「夢じゃ無い?」
「洋平が目指した先には、何もない世界が広がっている。それは、今の洋平自身がよく分かっている事だろう」
「何もない、世界」
「洋平は正義など、この世にある筈がないと、既に気が付いているだろう。……しかし、ならばこそ想像する」
正義の存在が許される世界。
この世界の全ては、平和に満ちていて、ただ平和を壊そうとする【圧制者】が存在するのだとしたら、それを倒す事が、自らのすべき事と。
「動物には、大まかな括りで言えば善悪など無い。生きる事はそもそも戦う事。
弱い者は強い者に喰われ、そして生涯を遂げていく。ここに善悪など無い。
喰われる者が悪いわけでも、喰う者が悪いわけでもない。玄武高校は、この体現だ」
玄武高校――洋平と荘司が学び舎とする校舎は、なるほど確かに【弱肉強食】の世界だ。
強い者が生き残り、弱き者が散る。
洋平は、その世界を生きて来た。
何時だったか、カツアゲされそうになっても逆らわず、しかし相手に金を出す事も無く、ケロリとした態度で応じていた事を思い出す。そして、それは一度や二度の事では無い。
荘司が助けた事もあれば、助けずに静観してみた事もある。
彼は暴力を振るわれれば、決して容赦はしなかった。
かつて荘司にしたように、相手の拳を受け流しながら、カウンターを返すだけではあるが、しかし相手を打ちのめし、笑顔で去っていく。
「それは俺が命じた。玄武高校に入り、暴力を振るう者だけを倒せと。
そして弱き者を助け、悪を討てと。そして玄武高校の現実を変えてみせろ、とな」
「そんな事で、玄武高校の奴らが変わる事なんて、ある筈ない」
「だろうな。人間も所詮動物だ。一度拳を用いた圧制を知れば、打ちのめされても領土侵略に勤めるだろう――殺されるか、その一歩手前でも行かねば」
言い方は妙だが、言いたい事は分かる。
玄武高校では、暴力の強さにより、人を従える事が出来ると言っているのだ。
そして一度人を従えた者は、敗北しても尚、再び頂を目指していく。
「洋平が信じたいのは、人の心だ。
――人の心には争いを憎む部分があり、誰もが共通して持っているものだと。しかし、現実はどうだ」
洋平は玄武高校と言う小さな世界ですら、平和を作り上げる事が出来ない。
弱肉強食の体現を、作り変える事が出来なかった彼は――そう、言うならば神では無い。
ただ、一人の人間なのだ。
「洋平は、気付いているのに――自らの過ちから、目を背けている?」
「そう。本当に、バカな息子だ」
しかし、それを愛おしいと思わんで、何が父親か。
岩平はくしゃりと顔面を歪ませて、笑った。――荘司は、その笑みを見据えて。
「親父さん……やっぱり、アンタには、言うよ」
「洋平が今直面している原因か」
「そうだ。アンタには、知る権利と、義務がある」
「権利はともかく、義務か」
「アンタは根っからの父親だ。父親には、子の有り様を見届ける責任がある」
「いいのか。それはお前が語るべきではないのだろう」
「いいさ。どうせ俺と洋平はお払い箱だ。これ位の退職金はあっていいだろ」
一切口の付けられていないアイスコーヒーを、二人が一気に飲み干した。
喉の渇きが潤った事を確認し、荘司は今回の顛末を説明した。
**
目の前の女性と、肉体同士の交わりが行われ、ただ獣のようにワルツは腰を振った。
肉と肉の交わり。それと共に彼女の顔も赤く火照り、ワルツも深呼吸と共に、全てを解き放つ。
脱力感が、ワルツを強く襲った。
びく、びくと体が震えると、彼女はその足をワルツの体に絡ませ、離さないと言わんばかりに抱きしめた。
しばし、抱き合いながら時間が過ぎた。
幾分の時間が流れたか、ワルツにはそれを考える事も出来ないまま、彼女はワルツの身体から離れ、近くにあるティッシュを取り出し、二人の下腹部を拭いた。
「逞しかったわよ、ワルツ」
「あ……? オレの名前、お前に言ったか?」
「――言っていた。忘れちゃったかしら?」
「ああ、そうだな。お前の名前も、オレ知らねぇや」
「あらヒドイ。――野崎。野崎粧香よ」
「ノザキ、か。覚えとく」
「嬉しい。ねぇワルツ、もう一回しましょう。出来るわよね」
「ああ。なんか知らねぇけど、コイツは良い……まるで殺し合ってるみてぇに、ゾクゾクする」
「殺し合いなんて野蛮なものではないわ。育みよ」
「ハグクミ」
「そう。男女はこうして交わる事で、子孫を生み出す。
私達は女同士ではあるけれど、愛し合い、互いに理解し合い、交わる事で、愛を産んでいく」
「アイし合い、理解し合う――」
「私は貴方を愛しているわ。だからもう一回、交わりましょう、ワルツ」
「ああ。俺も、お前をアイしてる」
愛と言う観念。それを全て理解できたわけでは無い。
無いが――ワルツはその感情を決して悪い物だとは思えなかった。
彼女らは、再び交わり合う。
この時の彼女達は、確かに、愛し合っていたのかもしれない。




