2-12
愛馬の背の上で揺られながら、流れ行く景色を横目にしつつ、疾走する。
ビュウと吹く向かい風に混じり、先導する部下の声が聞こえてきた。
「中隊長殿、あちらであります!」
声を張り上げているのは、俺が中隊長を務める騎兵中隊に、遠征直前に配属されたばかりの新人であった。
その新人、名前をロランという。ロランは興奮を隠せぬ声音を発しながら、遠目に見え始めた目標へと、指を差していた。
俺の中隊、俺の名前を取ってアードラー中隊と呼ばれる部隊に与えられた任務は、斥候任務であった。
速度を重視した軽騎兵一五〇名からなる中隊は、先日のトロボ川での追撃戦以降、更に敵領深く侵攻する本隊に先駆けて、進軍方向の偵察に従事していた。
これまで運が良いのか悪いのか、中隊は敵と遭遇することもないまま、敵領深くへと先行していた。
当然、部隊に損害は皆無である。もっとも、戦功も皆無であるが……。
しかし、それも昨日までの話。
中隊の中でも先行した部下たちが、“とんでもないもの”を見つけたという。
その“とんでもないもの”とは何だと聞いても、部下の拙い報告では要領を得なかった。
要領を得なかったので、こうして実物を見るため馬を走らせているわけだ。
まったく嘆かわしい限りである。
しかし、部下の興奮度合いから察するに、それは重大な発見に違いない。
俺はそう当たりをつけた。
……そうとでも思わなければ、やってられなかったともいえる。
徐々に、目標への距離が縮まる。まだ遠いが、それは丘の上に敷かれた陣営の様であることは見てとれた。
敵陣の発見は、確かに重要なことだが……。部下のこの興奮具合はどういうことであろうか?
さらに縮まる距離。そこで、何やら違和感を覚える。
「……うん?」
まだ、その全容をよく窺えない。しかし、何かが違う、そう漠然と感じた。
愛馬をさらに駆けさせる。いよいよ、その様子をはっきりと視認できる位置まで近づいた。
俺はようやく愛馬の脚を止める。
「……確かにこれは、“とんでもないもの”だ」
丘陵地帯、その複数の丘を跨ぐ、なんとも巨大な威容。大小様々な天幕が、それぞれの丘の上に設営されている。
これだけでも大したものだ。中々お目にかかれる規模の陣営ではない。
しかし、諸侯軍本軍の規模は、マグナ王国軍の情報参謀の見積によれば、三万近い軍勢となる。
マグナ王国軍に劣るとはいえ、十分に大軍と言える規模。ならば、その陣営が大規模になるのは、当然のことである。
だから、“とんでもないもの”と評する理由は別にある。
あれは馬防柵? それに、その外側にはあるのは堀……か?
アードラーは目を凝らしながら、敵陣の様子を観察する。
固定された柵が陣営の周囲を囲み、その外側の足元には人工的に掘られたのであろう、空堀が張り巡らされている。
陣営を敵の強襲から守るため、柵など簡易的な防備を拵えることはある。
しかし、それにも限度があるというものだ。
なにせ陣地を囲った柵と堀。その外側にも、それらを囲うように同じく柵と堀が設置されている。
しかも一つ、二つではない。一、二、三、四……。瞬時にその総数が把握できないほど、何重にも張り巡らされているのだ。
それなりに戦場経験を積んだアードラーでも、このような光景は初めて見た。
さらにそれで終わりというわけでもない。
その病的に、アードラーにはそう思われた。病的に、張り巡らされた柵と堀の内側には、数えるのが億劫になる程の櫓がそそり立つ。
まだ終わらない。今度は外側だ。そこには無数に散らばされた拒馬槍。
いや、どうもそれだけではない。
「おい、近づいてみるぞ!」
「えっ!? あ、あそこに近づくんですか?」
新人騎士ロランが素っ頓狂な声を上げる。
気持ちは分からなくはないが、騎士がそんな情けない声を上げるものではない。
実際、アードラーの眉はピクリと動いた。もっとも、怒声を上げるまでには至らなかったようである。
流石にそんな声を上げたのはロラン一人だけだが、供回りの数名も不安げな表情を隠せてはいない。
「心配するな。矢の届く範囲までは近づかん」
部下たちを従え、ゆっくりと敵の陣地に近づいていく。
「中隊長殿、こいつは……」
供回りの一人、リー軍曹が、言葉尻を飲み込む。大方、厄介だとでも言いたかったのだろう。
アードラーも同意見であった。
大量の、それも巨大なモグラでも、アルルニアには生息しているのか?
そんな下らない疑問がアードラーの頭を過る。
そこかしこに、人一人が優に収まる穴が掘られていたのだ
アードラーは下馬すると、その穴の一つを覗きこむ。
案の定、そこには、先を槍のように尖らせた木の杭が中心に据えられている。
……落とし穴か。しかし、こうも掘られていては厄介だな。
アードラーは苦い感想を抱く。
この落とし穴、一切の偽装をしていない。
通常なら、これに落ちる間抜けはそういないだろう。
しかし、戦時は別だ。
戦闘中兵士たちは密集した陣形で行動する。その中で一人、足を止めたり、穴を迂回したりというのは難しい。
それに、もしそんなことすれば、全体の行動を阻害してしまう。
敵陣への突撃、その行進は遅く、そして歪なものなってしまうだろうな。
アードラーは、そんな自分の予想にげんなりした。
しかし部下たちの手前である。表情に出さないように努めたようだ。
「戻るぞ、本隊に報告だ」
敵陣のすぐ傍で、ゆっくりとするわけにもいかない。
斥候狩りを目的とした敵騎兵部隊が、敵陣からいつ出てくるか分からないからだ。
そうなっては面倒だと、アードラーは判断した。
彼らは、中隊長の指示の下、元来た道を戻り始める。
そして十分に距離を取ると、馬の脚を止め、再度敵陣の威容を振り返った。
「…………まるで、要塞のようだな」
アードラーはポツリと呟く。
その呟きは、なんとも的を得たものであった。
そう、雫と同じ世界の、軍事に精通した者がこの陣地を見れば、ある言葉を思い浮かべたことだろう。――野戦築城、と。
野戦築城、それは工兵による工事を施した防御陣地である。
敵の機動を妨害するための障害物、柵や塹壕、鉄条網や地雷などの設置。
流石に、地雷などという物は、この世界にはまだ影も形も無いが……。
また、接近する敵を撃滅するための火点と防護施設の設置。それらは、接近経路への火力指向を考慮した地点に築かれる。
銃なども存在しないので、ここでいう火力とは弓矢などがメインとなる。
それらを構築し、攻撃・防御共に効果的な陣地を形成する。それは、まさしく、野外に築き上げた簡易的な要塞であった。
日本史では、織田・徳川連合軍が、武田軍を破った長篠の戦いが、この野戦築城の萌芽とする説がある。
勿論、それ以前にも、より小規模なものであれば存在したのであろうが……。
一方、この世界においては、アードラーの驚きが示す通り、ここまでの徹底した防御陣地という物は、前例がないものであった。
ならば、その概念を持ち込んだ人間は、当然一人しかいない。
「これも、噂の魔女の仕業なのでしょうか?」
ロランは恐る恐るそのように口にした。
「馬鹿を言うな、ロラン。魔女などという者は存在しない。ただ、敵軍に少しばかり小賢しい知恵者がいるだけだ」
心底呆れたといった体で、そのように言い返すアードラー。
勿論、その態度は、意図して行ったものだ。
兵士というのは、迷信にこだわるものが多い。
それは、常に死と隣り合わせの環境に身を置くためだろう。
彼らの信じる迷信が、軍にとってプラスになるものなら構わない。
例えば、乗騎を大切にすれば、不思議と矢に当たらない。
それは、馬が主人を守る為に、矢の軌道を逸れるように走ってくれているからだ。などというものだ。
しかし、軍の士気を下げるような迷信は、断じて広めるわけにはいかない。
「さあ、馬鹿を言ってないで、本隊に報告だ。なぁに、優秀な参謀方なら、あんな小細工、すぐに突破口を考えつくはずだ」
そう気楽な声音で口にすると、もう雑談は終わりとばかりに、馬の脚を速めるアードラー。
アードラー中隊は、報告のために本隊への道を駆け出して行った。
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「良かったのかい、リルカマウスちゃん? 敵の斥候を見逃しても」
「問題ないでしょう。あの斥候が持ち帰った情報なんて、敵の本隊が到着すれば、すぐに分かる程度のものでしょうし」
すぐ隣に立つコンラートの問い掛けに、そのように返した。
そもそも、どうやって追いかけようというのか。
私は敵斥候が去って行った方向を見る。
先程まで、本陣の前をちょろちょろしていた敵の斥候は、既に目視できない距離まで遠ざかっていた。
「それにしても敵さんも驚いただろうね。この陣地を見て」
「そうでしょうね」
入念に築き上げた防御陣地だ。その威容は一目で分かる。
「しかし、それだけに心配だな」
「心配? いったい何が?」
隣のコンラートの顔を見上げた。
「いやね、本当にこの陣地に攻撃を仕掛けて来るだろうか、なんてね。」
冗談めかしたように話しながら、笑みを浮かべるコンラート。
「……………………」
確かに、よほどの馬鹿でなければ、この陣地に攻め入る危険性は理解できる。
この野戦築城、こちらから攻めることは当然出来ない。
つまり、敵の攻撃待ち一辺倒。攻撃してもらえねば、何の意味も無い。
しかし、ここを素通りして、リーブラに向かうのも難しいはずだ。
パッと思いつくだけでも、二つの問題点がある。
主要街道を塞ぐ形で、防御陣地を形成していることが一点。
他のルートから攻め入るのは不可能ではないが、大軍ではやはり厳しい。
後背に敵の大軍を残したまま行軍するとは考え辛いのが、もう一点。
行軍中、私たちに後背を突かれる恐れがあるし、何より、間違いなく補給路を荒らされることだろう。
敵の輜重隊を、私たちが見逃す理由は何処にも無い。
それでも現実的な方法を考えれば……。そうだな、軍を二分するかな。
一軍に、私たちの防御陣地を包囲させる。もう一軍が、リーブラへと進行する。
なるほど、現実的な対処方法だ。
だが、諸侯軍本軍の足止めをしようとすれば、それなりの軍勢をここに残すこととなる。
残った兵力だけで、リーブラを陥落させれるだろうか?
やはり、厳しいと言わざるを得ないだろう。少なくとも、長期戦になるのは間違いない。
ならば問題ない。
私の目的は、敵の大軍を前線に釘つけにすること。
ここで睨み合おうが、違う形になろうが、その目的が叶えばいい。
勿論、欲を言えば、この防御陣地に無謀な力攻めをした挙句、敵軍が多大な犠牲を払ってくれた方がありがたいけどね。
まあ、コンラートの言う通り、望み薄かしら……ね。
「別にそうなっても、問題ありません。というか、貴方もそれぐらい分かっているでしょう?」
「さあ、どうだろう? 君と違って、おつむの出来はよろしくないんだ」
またふざけた言動をするコンラート。
全く、決戦の時が近づいているというのに……。
この能天気さは、能天気に振る舞えるのは、大物と言ってもいいかもしれない。
しかし、こちらの神経を逆なでするのだ。私の精神衛生上よろしくない。
「馬鹿言ってないで、しゃきっとして下さい! しゃきっと!」
バシン、バシンと、苛立ちを晴らすために、馬鹿の背中を叩く。
「痛い、痛い! 何をするんだい、リルカマウスちゃん!?」
私は抗議の声を無視すると、踵を返して歩き出した。




