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【書籍化】魔女軍師シズク  作者: 入月英一@書籍化
二章

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29/88

2-12

 愛馬の背の上で揺られながら、流れ行く景色を横目にしつつ、疾走する。

 ビュウと吹く向かい風に混じり、先導する部下の声が聞こえてきた。


「中隊長殿、あちらであります!」


 声を張り上げているのは、俺が中隊長を務める騎兵中隊に、遠征直前に配属されたばかりの新人であった。

 その新人、名前をロランという。ロランは興奮を隠せぬ声音を発しながら、遠目に見え始めた目標へと、指を差していた。


 俺の中隊、俺の名前を取ってアードラー中隊と呼ばれる部隊に与えられた任務は、斥候任務であった。

 速度を重視した軽騎兵一五〇名からなる中隊は、先日のトロボ川での追撃戦以降、更に敵領深く侵攻する本隊に先駆けて、進軍方向の偵察に従事していた。


 これまで運が良いのか悪いのか、中隊は敵と遭遇することもないまま、敵領深くへと先行していた。

 当然、部隊に損害は皆無である。もっとも、戦功も皆無であるが……。


 しかし、それも昨日までの話。

 中隊の中でも先行した部下たちが、“とんでもないもの”を見つけたという。


 その“とんでもないもの”とは何だと聞いても、部下の拙い報告では要領を得なかった。

 要領を得なかったので、こうして実物を見るため馬を走らせているわけだ。


 まったく嘆かわしい限りである。

 しかし、部下の興奮度合いから察するに、それは重大な発見に違いない。

 俺はそう当たりをつけた。

 

 ……そうとでも思わなければ、やってられなかったともいえる。


 徐々に、目標への距離が縮まる。まだ遠いが、それは丘の上に敷かれた陣営の様であることは見てとれた。

 敵陣の発見は、確かに重要なことだが……。部下のこの興奮具合はどういうことであろうか?


 さらに縮まる距離。そこで、何やら違和感を覚える。


「……うん?」


 まだ、その全容をよく窺えない。しかし、何かが違う、そう漠然と感じた。


 愛馬をさらに駆けさせる。いよいよ、その様子をはっきりと視認できる位置まで近づいた。

 俺はようやく愛馬の脚を止める。


「……確かにこれは、“とんでもないもの”だ」




 丘陵地帯、その複数の丘を跨ぐ、なんとも巨大な威容。大小様々な天幕が、それぞれの丘の上に設営されている。

 これだけでも大したものだ。中々お目にかかれる規模の陣営ではない。


 しかし、諸侯軍本軍の規模は、マグナ王国軍の情報参謀の見積によれば、三万近い軍勢となる。

 マグナ王国軍に劣るとはいえ、十分に大軍と言える規模。ならば、その陣営が大規模になるのは、当然のことである。

 だから、“とんでもないもの”と評する理由は別にある。


 あれは馬防柵? それに、その外側にはあるのは堀……か?

 アードラーは目を凝らしながら、敵陣の様子を観察する。


 固定された柵が陣営の周囲を囲み、その外側の足元には人工的に掘られたのであろう、空堀が張り巡らされている。


 陣営を敵の強襲から守るため、柵など簡易的な防備を拵えることはある。

 しかし、それにも限度があるというものだ。


 なにせ陣地を囲った柵と堀。その外側にも、それらを囲うように同じく柵と堀が設置されている。

 しかも一つ、二つではない。一、二、三、四……。瞬時にその総数が把握できないほど、何重にも張り巡らされているのだ。

 それなりに戦場経験を積んだアードラーでも、このような光景は初めて見た。


 さらにそれで終わりというわけでもない。

 その病的に、アードラーにはそう思われた。病的に、張り巡らされた柵と堀の内側には、数えるのが億劫になる程のやぐらがそそり立つ。

 

 まだ終わらない。今度は外側だ。そこには無数に散らばされた拒馬槍。

 いや、どうもそれだけではない。


「おい、近づいてみるぞ!」

「えっ!? あ、あそこに近づくんですか?」


 新人騎士ロランが素っ頓狂な声を上げる。

 気持ちは分からなくはないが、騎士がそんな情けない声を上げるものではない。

 実際、アードラーの眉はピクリと動いた。もっとも、怒声を上げるまでには至らなかったようである。


 流石にそんな声を上げたのはロラン一人だけだが、供回りの数名も不安げな表情を隠せてはいない。


「心配するな。矢の届く範囲までは近づかん」


 部下たちを従え、ゆっくりと敵の陣地に近づいていく。


「中隊長殿、こいつは……」


 供回りの一人、リー軍曹が、言葉尻を飲み込む。大方、厄介だとでも言いたかったのだろう。

 アードラーも同意見であった。


 大量の、それも巨大なモグラでも、アルルニアには生息しているのか?

 そんな下らない疑問がアードラーの頭を過る。

 そこかしこに、人一人が優に収まる穴が掘られていたのだ


 アードラーは下馬すると、その穴の一つを覗きこむ。

 案の定、そこには、先を槍のように尖らせた木の杭が中心に据えられている。


 ……落とし穴か。しかし、こうも掘られていては厄介だな。

 アードラーは苦い感想を抱く。


 この落とし穴、一切の偽装をしていない。

 通常なら、これに落ちる間抜けはそういないだろう。

 

 しかし、戦時は別だ。

 戦闘中兵士たちは密集した陣形で行動する。その中で一人、足を止めたり、穴を迂回したりというのは難しい。

 それに、もしそんなことすれば、全体の行動を阻害してしまう。


 敵陣への突撃、その行進は遅く、そして歪なものなってしまうだろうな。

 アードラーは、そんな自分の予想にげんなりした。

 しかし部下たちの手前である。表情に出さないように努めたようだ。


「戻るぞ、本隊に報告だ」


 敵陣のすぐ傍で、ゆっくりとするわけにもいかない。

 斥候狩りを目的とした敵騎兵部隊が、敵陣からいつ出てくるか分からないからだ。

 そうなっては面倒だと、アードラーは判断した。


 彼らは、中隊長の指示の下、元来た道を戻り始める。

 そして十分に距離を取ると、馬の脚を止め、再度敵陣の威容を振り返った。


「…………まるで、要塞のようだな」


 アードラーはポツリと呟く。


 その呟きは、なんとも的を得たものであった。

 そう、雫と同じ世界の、軍事に精通した者がこの陣地を見れば、ある言葉を思い浮かべたことだろう。――野戦築城、と。



 野戦築城、それは工兵による工事を施した防御陣地である。

 

 敵の機動を妨害するための障害物、柵や塹壕、鉄条網や地雷などの設置。

 流石に、地雷などという物は、この世界にはまだ影も形も無いが……。


 また、接近する敵を撃滅するための火点と防護施設の設置。それらは、接近経路への火力指向を考慮した地点に築かれる。

 銃なども存在しないので、ここでいう火力とは弓矢などがメインとなる。


 それらを構築し、攻撃・防御共に効果的な陣地を形成する。それは、まさしく、野外に築き上げた簡易的な要塞であった。


 日本史では、織田・徳川連合軍が、武田軍を破った長篠の戦いが、この野戦築城の萌芽とする説がある。

 勿論、それ以前にも、より小規模なものであれば存在したのであろうが……。



 一方、この世界においては、アードラーの驚きが示す通り、ここまでの徹底した防御陣地という物は、前例がないものであった。

 ならば、その概念を持ち込んだ人間は、当然一人しかいない。



「これも、噂の魔女の仕業なのでしょうか?」


 ロランは恐る恐るそのように口にした。


「馬鹿を言うな、ロラン。魔女などという者は存在しない。ただ、敵軍に少しばかり小賢しい知恵者がいるだけだ」


 心底呆れたといった体で、そのように言い返すアードラー。

 勿論、その態度は、意図して行ったものだ。


 兵士というのは、迷信にこだわるものが多い。

 それは、常に死と隣り合わせの環境に身を置くためだろう。


 彼らの信じる迷信が、軍にとってプラスになるものなら構わない。

 例えば、乗騎を大切にすれば、不思議と矢に当たらない。

 それは、馬が主人を守る為に、矢の軌道を逸れるように走ってくれているからだ。などというものだ。


 しかし、軍の士気を下げるような迷信は、断じて広めるわけにはいかない。


「さあ、馬鹿を言ってないで、本隊に報告だ。なぁに、優秀な参謀方なら、あんな小細工、すぐに突破口を考えつくはずだ」


 そう気楽な声音で口にすると、もう雑談は終わりとばかりに、馬の脚を速めるアードラー。



 アードラー中隊は、報告のために本隊への道を駆け出して行った。



****



「良かったのかい、リルカマウスちゃん? 敵の斥候を見逃しても」

「問題ないでしょう。あの斥候が持ち帰った情報なんて、敵の本隊が到着すれば、すぐに分かる程度のものでしょうし」


 すぐ隣に立つコンラートの問い掛けに、そのように返した。

 そもそも、どうやって追いかけようというのか。

 私は敵斥候が去って行った方向を見る。

 先程まで、本陣の前をちょろちょろしていた敵の斥候は、既に目視できない距離まで遠ざかっていた。


「それにしても敵さんも驚いただろうね。この陣地を見て」

「そうでしょうね」


 入念に築き上げた防御陣地だ。その威容は一目で分かる。


「しかし、それだけに心配だな」

「心配? いったい何が?」


 隣のコンラートの顔を見上げた。


「いやね、本当にこの陣地に攻撃を仕掛けて来るだろうか、なんてね。」


 冗談めかしたように話しながら、笑みを浮かべるコンラート。


「……………………」

 

 確かに、よほどの馬鹿でなければ、この陣地に攻め入る危険性は理解できる。

 この野戦築城、こちらから攻めることは当然出来ない。

 つまり、敵の攻撃待ち一辺倒。攻撃してもらえねば、何の意味も無い。


 しかし、ここを素通りして、リーブラに向かうのも難しいはずだ。

 パッと思いつくだけでも、二つの問題点がある。


 主要街道を塞ぐ形で、防御陣地を形成していることが一点。

 他のルートから攻め入るのは不可能ではないが、大軍ではやはり厳しい。


 後背に敵の大軍を残したまま行軍するとは考え辛いのが、もう一点。

 行軍中、私たちに後背を突かれる恐れがあるし、何より、間違いなく補給路を荒らされることだろう。

 敵の輜重隊を、私たちが見逃す理由は何処にも無い。


 それでも現実的な方法を考えれば……。そうだな、軍を二分するかな。

 一軍に、私たちの防御陣地を包囲させる。もう一軍が、リーブラへと進行する。


 なるほど、現実的な対処方法だ。

 だが、諸侯軍本軍の足止めをしようとすれば、それなりの軍勢をここに残すこととなる。

 残った兵力だけで、リーブラを陥落させれるだろうか?


 やはり、厳しいと言わざるを得ないだろう。少なくとも、長期戦になるのは間違いない。



 ならば問題ない。

 私の目的は、敵の大軍を前線に釘つけにすること。


 ここで睨み合おうが、違う形になろうが、その目的が叶えばいい。


 勿論、欲を言えば、この防御陣地に無謀な力攻めをした挙句、敵軍が多大な犠牲を払ってくれた方がありがたいけどね。

 まあ、コンラートの言う通り、望み薄かしら……ね。


「別にそうなっても、問題ありません。というか、貴方もそれぐらい分かっているでしょう?」

「さあ、どうだろう? 君と違って、おつむの出来はよろしくないんだ」


 またふざけた言動をするコンラート。

 

 全く、決戦の時が近づいているというのに……。

 この能天気さは、能天気に振る舞えるのは、大物と言ってもいいかもしれない。

 しかし、こちらの神経を逆なでするのだ。私の精神衛生上よろしくない。


「馬鹿言ってないで、しゃきっとして下さい! しゃきっと!」


 バシン、バシンと、苛立ちを晴らすために、馬鹿の背中を叩く。


「痛い、痛い! 何をするんだい、リルカマウスちゃん!?」


 

 私は抗議の声を無視すると、踵を返して歩き出した。


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