2-11
北岸から人の波が押し寄せる。
南岸で待ち構える諸侯軍がやっとの思いで押し返しても、休むことなく第二波、第三波と、新たに押し寄せる敵勢の姿。
アヴリーヌ伯爵は苦々しげに、その光景を眺める。
「……ベルトラン」
「はっ」
「後どれだけ持ち堪えられるか?」
「…………良く踏ん張れても、今日一日が限度でしょうな」
「そうか」
アヴリーヌ伯爵は、側近の回答に短く相槌を打つと、空を仰ぐ。
太陽の位置から察するに、日暮れまで後四時間といったところか。
少なくとも、そこまで持ち堪えれば、敵の攻撃も一旦中断されるだろう。そうすれば、今晩夜陰に紛れての撤退が可能かもしれない。
ベルトランの回答通り、これ以上の防衛戦は不可能だ。ならば、今晩撤退するのがベストの選択だろう。
「問題は、本当に夕暮れまで持つかだな……」
「閣下、あまりそのような発言は……。兵の士気に関わります」
主君の呟きに、ベルトランが咎めるような声を上げる。
「そう案じずとも、お前にしか聞かせんさ」
アヴリーヌ伯爵は、肩を竦めながらそのように言い逃れた。
「閣下!」
アヴリーヌ伯爵とベルトランの会話に、第三者の声が加わる。
その声の主は、真っ青な顔でアヴリーヌ伯爵に駆け寄ってくる。どうやら、急ぎの伝令の様であった。
その姿を認め、アヴリーヌ伯爵はますます顔を顰める。
伝令の顔色に関わらず、この状況で持ち込まれる急ぎの知らせが、吉報であるはずもないから、まあ当然の反応である。
「…………何があった?」
いかにも聞きたくなさそうに、伝令に報告を促すアヴリーヌ伯爵。
伝令は真っ青な顔のまま報告を開始する。
「下流の渡河点にて、敵別働隊の渡河阻止に失敗! 防衛線を突破されました!」
考えうる限り、最悪の知らせであった。
アヴリーヌ伯爵は体をワナワナと震わせる。
「糞ったれ!」
アヴリーヌ伯爵は怒声を上げながら、傍らの簡易椅子を蹴っ飛ばした。
そして、気を静めるため、二度、三度と深呼吸をする。
「……………………ベルトラン、急ぎ撤退するぞ」
「はっ。しかし、容易ではありませんぞ」
「……………………」
ベルトランの言葉に、アヴリーヌ伯爵は押し黙る。
即座の撤退を決意したアヴリーヌ伯爵の考えは間違いではない。
敵別働隊の渡河を許した時点で、この場に留まるという選択肢は存在しない。
そう、この場に留まり続ければ、正面の敵で精一杯の自軍の無防備な所に、敵の別働隊が横槍を入れてくるに違いない。
そうなれば、自軍は一瞬で瓦解する。
故に撤退するしかないのだが……。それはそれで問題だ。
負け戦の際、最も損害が出るのは、敵に背を向けて敗走する時である。
敵に無防備の背中をさらすわけだから、当然のことだ。
今、全軍撤退すれば、川を越えた敵本軍の手によって、壊滅的損害を被る恐れがある。それは何としても避けたいところだ。
「……予備部隊も含め、全軍による全力突撃で、一度敵軍を押し込める。しかる後に、撤退を開始する」
「分かりました。直ちに準備します」
ベルトランが一つ頷くと、命令を実行すべくアヴリーヌ伯爵の前から歩み去る。
アヴリーヌ伯爵は、その背を見送ると、傍らの侍従に、自分の馬をひいてくるように命じた。
そして、腰の剣を鞘から抜き放ち、天に翳す。
その剣は、貴族が身につけるものとしては珍しく、一切の装飾が無い。どこまでも無骨な実用的な剣であった。
暫くその刀身を眺めると、アヴリーヌ伯爵は感慨深げに呟く。
「まさか、またこの剣を振るうことになるとは……」
そう、その剣は、アヴリーヌ伯爵が傭兵時代に戦場で使っていたものであった。
「閣下! 馬を引いてきました!」
「うむ」
馬を連れて戻ってきた侍従に一つ頷くと、剣を鞘に納める。そして身軽な動作で、馬上に跨った。
馬上から見下ろした陣中の様子は、これから行われる反攻突撃の準備に、一層慌ただしさを増していた。
「全く、傭兵業から足を洗ったというのに……。人生ままならぬものだ」
アヴリーヌ伯爵は愚痴を零しながら、苦笑いを浮かべる。
行き交う伝令の走る音。あちこちから上がる下士官の叫び声。突撃陣形へと整列していく兵卒らの足音。
刻一刻と、反攻突撃への時が近づいてきていた。
****
トロボ川よりさらに南。メデス辺境伯領奥深くの丘陵地帯。
ここに、アルルニア諸侯軍の本陣が置かれている。
私は二人を背後に従え、その本陣の中を歩いて回っていた。
いわゆる視察というやつである。
重箱の隅をつつくかの如く、問題箇所が無いかを見て回っているわけだ。
時間をかけて拵えた本陣だが、万が一ということもある。
たった一つの綻びも見逃さないと、執拗に視察するのは勿論、我が身可愛さ故のことである。
私のいる、この本陣が陥落するようなことは、決して許すわけにはいかない。
後ろに随行する面々は、うんざりとした顔つきだが、そこは我慢してもらおう。
私の安全は、全てにおいて優先される。
そう、少なくとも私の判断基準に照らし合わせれば……ね。
そもそも動機はどうであれ、私のこの視察は、諸侯軍全体のためにもなる。
うんざりした顔つきになられるのは大いに心外だ。
護衛なら、黙ってついてこいってね。
いや、彼らが不平不満を言っているわけではないけれど……。
「よーし、ここも問題なし」
日本人らしく指差しチェックと共に、声を上げる。
うんうん、良くできているわ。
なかなかどうして、諸侯軍の兵士たちは、いい仕事をしてくれたようだ。
私の心は、大いに満足である。
もっとも、私の指示に従い、多大な時間と労力を費やした兵士のみなさんがどう思っているのかというと……。
うん、きっと、壮大な仕事を成し遂げた達成感に包まれているに違いない。
「魔女殿!」
一人の兵士が駆け寄ってくるのが遠目に見える。
駆け寄ってきている男の名はフランツ。
元々、フィーネ騎士団の一員であり、今は傍らに立つ二人と同じく、私の護衛役を務めている兵士だ。
現在の私には、常に護衛が何人か付くようになった。
コンラートの命によるものである。
何とも私も偉くなったものだ。いやいや、まいったね。
まあ、危険な戦場だ。護衛が付くこと自体はありがたい。
ありがたいが、しかし、不満もある。
コンラートではなく、どうやら、ライナス団長の差し金のようだが、護衛任務に就く彼らに、私をそれとなく監視するように言い含めているようだ。
どうやら、ライナス団長は私を危険視しているみたいだ。
まったくけしからん。私のような善良な娘を疑うような真似をするなんて。
激おこぷんぷん丸である。
えっ!? 何、古いって? ……ほっといてくれ。
ゴホン、まあ、ライナス団長の思いも分かる。
普通、主君の傍に得体の知れない人間を置きたいとは思わないでしょう。
その上、彼は、私と藤堂さんを重ね合わせているのだ。
……うん、そりゃ警戒するよね。ホント、無理もない。
はあ、確かに不満ではあるが、実害があるわけでもなし。
ここは我慢してあげますか。
「魔女殿、確認してきました」
「そう、ご苦労さま。それで、どうだったの?」
私は、私の目の前まで駆け寄ってきたフランツを労うと共に、質問をする。
「はい。やはり先程到着したのは、トロボ川より撤退してきたアヴリーヌ伯爵の軍勢でした」
陣内の視察の途中に、本陣に北の方角から味方と思われる部隊が到着しているのが目に入った。
そこで、護衛の一人であるフランツに確認してきてもらったのだ。
「そう。だけど、随分と少勢だったようだけど……」
先程見た光景を思い起こしながら呟く。
「はい。戻った兵は、おおよそ二〇〇〇名程度のようでした」
「二〇〇〇……か。アヴリーヌ伯爵は?」
「御無事のようです」
……トロボ川に布陣した当初の兵数の五分の一だけしか戻らなかったか。
散々にやられたと見える。
そんな中、無事帰還したアヴリーヌ伯爵も、随分と悪運が強い。
ふーむ。兵の損失は確かに手痛いが、想定内の損害ではある。
少なくとも、彼らは十分な時間稼ぎをしてくれた。ならば、問題は無い。
「視察は中止。本営に戻ります」
そう言って、歩き出す。
アヴリーヌ伯爵が戻ったとなれば、彼の報告がてら、軍議が開かれるだろう。
いよいよ、マグナ王国軍が、この本陣まで攻め寄せて来る。
ふん、来るなら来い。備えは十分にした。
私は迷い無く、本営までの道筋を歩いて行った。




