わらわは妖精の女王として今ここに、この剣を授け、そなたの望む贈り物を授けましょう
わらわは妖精の女王として今ここに、この剣を授け、そなたの望む贈り物を授けましょうフクロウが鳴いていた。
外はもうすっかりと暗くなり、明かりのない馬車の中は怖いくらいに真っ暗だった。
ぼくはそっと胸を押さえ、浅い呼吸を一度止めて、ゆっくりと息を吐きだした。
「失礼いたします」
落ち着いた、だけど、きびきびした声がドアの外から掛けられる。
「教会に到着いたしました。ドアをお開け致します」
ぼくは返事をすることができない。外にいる人は一拍置いて、ゆっくりとドアを開けた。
森の中は濃い神気が漂っていた。
寒い。
ぼくの腰くらいの位置に溜まった霧が、ゆったりと森の中を泳いでいる。
まだ月の昇っていない空はぼんやりと青白く、木の葉の隙間から天の川が覗いているのが見えた。
ぼくはランタンを持った修道士に導かれ、古い教会へ向かった。
500年前、聖24貴族が石を積み上げて作った手作りの教会は、霧のせいで半分湖に沈んでいるように見える。
修道士がドアを開く――
錆びた音を立てて開いたドアの隙間から、オレンジ色の燭台の明かりが流れ込んできた――!
古い風が動き、乳香の香りが泳ぎ出る。
教会の奥には、無数のキャンドルに照らされた女神像が、両手を広げ立っていた。
ぼくは裸足のまま、教会の中に入った。
霧にしっとりと濡れた石づくりの床は凍てつくほど冷たく、一足進むごとに凍り付いてしまうような気がする。
女神さまの横には、大きな古い絵画が掛けられていた。
魔女様と聖24貴族の絵だ。
ぼくは、子供の頃から繰り返し教会で聞かされた建国神話を思いだした。
500年前——。
隣国に新たな王が立ってから、悲劇は始まった。
新興宗教に傾倒した王は、魔力を持つ人々を恐れるあまり、罪人のように自分の前に並べては、ヒステリックな声で罵り、自ら剣を突き刺し殺害していたらしい。
だから魔女様たちは海を渡り、この島に来た。
ぼくはベンチの隅に座る背の高い人影を見つけ、足を止めた。
燭台の光の届かない影に紛れるように、黒いマントを羽織った男性が座っている。
黒い短い髪、すらりと高い背。後ろからでもしなやかな筋肉の付いているのがわかる、たくましい肩——。
辺境伯だ。
「闇を集めたような黒い髪。血のような赤い瞳。辺境伯はその怜悧な美貌と相まって、吸血鬼公と呼ばれております」
ウェルシュの言葉を思い出し、ぼくはごくりとつばを飲み込んだ。
ぼくの足音が止まったことに気が付いているはずなのに、辺境伯はただ黙って前を向いている。
どうしよう……。
ぼく、この人と一緒に神事をしなくちゃいけないの?
ウェルシュには、「見た目がちょっと怖いだけの人?」なんて言ったけど、とんでもない。
抜き身の剣のような殺気が染みついている。
膝が震える。前に進まなくちゃいけないのに! 体が竦んで動くことができない。
その時だった。
小さな光が、ふわふわと女神像の前から飛んできたのは。
小精霊——。
ぼくはとっさに手を伸ばしかけた。でも……。
小精霊がにこりと笑って、辺境伯の黒髪を引っ張る。
ぼくは息を飲んだ。
小精霊が一匹来たのをきっかけに、たくさんの小精霊たちがふわふわとやって来て、辺境伯の髪を引っ張り、マントの中に隠れ、笑いながら悪戯をし始める。
ぼくはホッと息を吐き、ベールの向こうで笑みを浮かべた。
女神像の前に法皇様が待っている。
ぼくは背筋を伸ばして女神像の前に行くと、腰を深く折ってお辞儀をした。
「舞姫よ」
重々しい声で法皇様がぼくを呼んだ。
「剣を――」
献台の上には宝剣が安置されていた。
ぼくは立ち上がると、両手で湖の水をすくうように下から鞘を持ち上げると、息がかからないよう頭の上に捧げ持った。
これが――聖剣……!
湖の乙女が辺境伯の祖先である聖騎士に授けた宝剣だ。
ぼくの腕が震えたのは重さのせいだけじゃない。
辺境伯がぼくに先立って教会のドアを開けてくれた。
ここから先は法皇様は来ることができない。
ドクン、鼓動が駆けだす。ぼくは震える息を辺境伯に気づかれないよう、足早に通り抜けた。
辺境伯の体温が、ぼくに移りそうになるほどの距離で――扉を押さえてくれる辺境伯の横を通り抜ける時、深い森の匂いと柑橘系の爽やかな香りがした。
ぼくは霧の中を泳ぐように進み、湖に向かった。
ベール越しに見る湖は小精霊たちの光に照らされ、まるで天の川が落ちてきたみたいに見えた。
辺境伯が草を踏む音が聞こえる。マントを翻す音が聞こえ――その場に跪く気配がした。
ぼくはゆっくりと振り返ると、今日初めての声を出した。
「顔を上げなさい」
ゆっくりと辺境伯が顔を上げる――。
あまりにも美しい男性がそこに跪いていた。
まるで血管が青く透けて見えるような――星影に照らされてなお白い、『この世の物とも思えない』と噂される恐ろしいほどに整った怜悧な顔。
ぼくを見上げる鋭い赤い瞳——。
吸い込まれてしまいそう……。
ぼくは知らず震える息を吐いた。
長いまつ毛の奥の瞳は精霊の光を受け、炎のようにきらめいてる。
小精霊がぼくの顔の前で宙返りをするように飛んで笑い、ぼくはハッと我に返ると慌ててセリフを紡いだ。
「島の呪いを浄化し、今にも消えんとするわらわを救いし、魔女の騎士よ」
辺境伯の強い瞳に中てられ、ぼくはどこか夢見心地で――子供のころから幾度となく練習したセリフを言った。
「わらわは妖精の女王として、今ここにこの剣を授け、そなたの望む贈り物を授けましょう」
「ならば、湖の乙女よ」
耳に心地の良い低音が、まるで秘め事のような音量で紡がれる。
「この地に祝福を。飢えと病を払い、今年一年の実りを約し給え」
ぶわっと、背筋を何かが駆け上った。
足先から青白い光がふきあがり、ぼくの体を包み込む――!
なに、これ?
手が震える。息が苦しくなる!
これが、湖の乙女……?
まだ召喚の儀をしていないはずなのに!
ぼくの耳元で、澄んだ笑い声が聞こえた。
どこかで聞いたことがある――それも何度も!
優しい、包み込むような慈愛に満ちた、だけど悪戯な声!
辺境伯の顔に緊張が走るのが、他人事のように分かった。
ふわりと首に腕をまわして、後ろから巨大な聖力を持った見えない誰かに抱きしめられているような気がする。
あまりにも強い波動は熱く冷たく――透明な女性がぼくの体に重なるようにして入ってくる。魂が二重になったようにぶれる!
辺境伯はそれを見て、素早く立ち上がると一度深く頭を下げぼくから剣を受け取った。
すれ違いざまに、心配そうな視線をぼくに流し――
「すぐに終わらせる」
辺境伯が剣を抜き、湖に向かう。
ぼくは震える足を叱咤して後ろに下がると、トネリコの幹に手をついて支えるようにしながら辺境伯を眺めた。
いつしか湖の霧は晴れていた。
辺境伯はすらりと剣を抜くと、胸の前に掲げ低い伸びやかな声で聖句を紡いだ。
それは圧倒的な美の暴力だった。
古の騎士の衣装をまとった辺境伯が、空気を切り裂くようにして剣をふるい舞う。
まるで500年前に迷いこんでしまったような――幻想的な光景が目の前にあった。
辺境伯が大きく足を踏み出し、剣を薙ぐ!
青白い軌跡が線のように宙に描かれ、光の粒が星屑のように空に昇っていく。
辺境伯の魔力が、結界を紡いでいるんだ。
きっと広場から見たら、たくさんの流星が王都中の空を巡り落ちていくように見えるだろう。
冬の王が祓えに抗うように北風を吹き、舞い上がった霜の粒が辺境伯の魔力を受けキラキラと輝く。
暗い森には、風が木の葉を揺らす音と、凍えるように鋭い魔力が空気を切り裂く音だけが響いていた。
ぼくは幼い頃マカロンと一緒に、草原に寝転んで読んだ絵本を思いだした。
辺境伯は――ぼくたちが、ページが擦り切れるほどにめくって読んだ絵本の騎士そのものだった。
どれくらい、そうして剣舞を見ていたのだろう?
やがて辺境伯は剣を鞘に納めると、こちらに向かって歩いてきた。
ぼくは圧倒されて、数歩後ずさった。
辺境伯とぼくの視線が絡む。
その一瞬が、永遠にも感じられた。
どこかの枝でフクロウが鳴いた。
ぼくはハッと我に返ると、慌てて首を垂れそうになり――寸でのところでとまった。
今のぼくは、シュクレ侯爵家四男ミルフィーユじゃない。湖の乙女だ。
辺境伯が呼吸一つ分だけ立ち止まり、ぼくの様子を窺い通り過ぎていく。
辺境伯の武骨なブーツが枯葉を踏む音が遠ざかっていった。
次はぼくの番だ!
ぼくはそっと右手でブレスレットを包み込むと、小さく呟いた。
「行こう。マカロン!」




