領主様のお許しが出ましたら、ぜひに
ぼくはマカロンの部屋を出ると、ウェルシュの部屋に向かった。
ウェルシュはマカロンのために領地から連れてきた女性騎士で医官を務めている。
キラキラと輝く理知的なマリンブルーの瞳。女性なのに短く整えられたプラチナブロンド。
瑠璃色の細身の軍服。ジャケットには左右の金ボタンをつなぐような飾り紐が渡されており、深紅の袖口を金のモールが縁取っている。
腰には巻いたシルクのサッシュベルト。華やかな顔を縁取る首元のレース飾り《ジャボ》。
医官を示すネックレスがなければ、どこかの王子様だと勘違いしてしまいそうなほどカッコいい。
ぼくが女装の達人なら、ウェルシュは男装の麗人だ。
ウェルシュに招き入れられた部屋は、暖炉の薪の匂いと爽やかなハーブの香りがした。
どうやらウェルシュは部屋で薬を調合していたらしい。机の上には乳鉢や天秤、分銅やハーブが広がっている。
「忙しい時にごめんね、ウェルシュ」
「いいえ、ミルフィーユ様の御用でしたらなんなりと」
ウェルシュは女性にしては低いベルベットのような声でそう言うと、ぼくの前にカモミールティーを置いた。
マカロンの部屋と違って遠慮がないのか、ギブソンは躊躇することなくウェルシュの部屋に入り、ぼくの後ろに控える。
口が広く浅いピオニー型のティーカップからは、青りんごにも似た爽やかな香りが漂ってくる。
ぼくは一口飲んで、緊張に乾いたのどを潤すと、ウェルシュがカップを置いたのを見計らって話しかけた。
「マカロンの具合はどう?」
「ワイン様の瘴気清浄機のおかげで、瘴気は順調に抜けていっております。あと二日もすれば、体を起こすことができるようになるでしょう」
「そう……よかった。でも、どうしてマカロンだけがこんな目に……」
ぼくも同じ船に乗っていたのに。
「恐らく船酔いが原因で、体の抵抗力が弱っていたのでしょう。風邪と同じです。普段であれば抵抗できても、体が弱っていると払うことができず、蓄積されて毒となってしまうのです」
「でも、黒の森に集まる瘴気は、辺境伯が浄化してるんでしょ? なのに、どうして……」
「枯れ木を燃やせば煙が出る。魔獣の呼気で瘴気が生まれる。魔女様が浄化なさる前は、呪われた島として捨て置かれていたこの地です。辺境伯家が先陣を切って浄化されているとはいえ、瘴気をゼロにすることはできません。ただ可能な限り瘴気を薄め、森に流すのが限界なのでしょう」
「……そっか」
辺境伯もさぼっていたわけじゃないんだ。それが知れただけでも、もやもやしていたものが一つなくなった。
「ねぇ、じゃあさ! いっそのこと魔獣を滅ぼしたら、瘴気に悩まされることもなくなるんじゃない?」
「確かに瘴気はなくなるでしょう。ですが、今度は隣国の脅威が迫ることになります」
「どうして? だって、辺境伯領の出島では隣国と貿易をしてるんでしょう……?」
「そうですね。ド・シュクレ侯爵領から塩が産出される前は、塩を手に入れるために、隣国と貿易をしなければなりませんでしたから」
「魔女様が隣国から渡ってきた500年前と違って、今は仲良くなったんじゃないの?」
「表向きはそうですね」
「表向きは?」
「隣国はこの地を見下しています。かの宗教観では、魔獣は穢れです。魔獣がいなくなれば、今まで握手していた手に武器を持って攻めて来るでしょう。魔獣は隣国に対する最初の防波堤です」
必要悪ってわけか。
領地にはめったに魔獣がこないからぼくは見たことがないけれど、恐ろしい魔力をまとった怪物だって聞いている。
その怪物と対峙している辺境伯って、実はすごい人なのかな?
「ねぇ、辺境伯ってどういう人なの?」
「ふむ……」
ウェルシュが言葉を探すように、視線を上にそらした。
「黒の森が『帰らずの森』と呼ばれているのはご存じですか? 魔女様の加護を授かっている辺境伯領の人間は瘴気に対し強い抵抗力を持っていますが――長い年月の間に瘴気の影響を受け、この世の物とも思えぬ相貌になったと言われています」
ウェルシュは努めて淡々と言っていたけれど、その声にはどこか言いづらそうな響きが含まれているように感じた。
「辺境の地でしか生まれえぬ、闇を集めたような黒い髪。血のような赤い瞳。辺境伯はその怜悧な美貌と相まって、吸血鬼公と呼ばれております」
「吸血鬼公……」
ぼくは女神教の教会で聞いた神話を思い出し、ごくりと喉を鳴らした。
「霧に姿を変え、忍び込めないところはなく、蝙蝠に姿を変え人間の血を吸って仲間に変える、あの……」
「いえ、さすがにそこまでは……。人間ですので……」
「じゃあ、見た目がちょっと怖いだけの人?」
「……ええ、そうですね」
ウェルシュがどこかホッとしたような晴れやかな顔で苦笑した。
「建国祭は二日にわたって開催されます。初日は湖での神事です」
「うん」
ぼくがマカロンの代わりに踊るやつだ!
「その日は朝から蜂蜜の入ったカモミールティーしか、お口になさることはできません」
「うん。舞姫は、湖の乙女の依り代だから、潔斎をしなくちゃいけないんだよね」
「そうです。神事は夜——陽が完全に沈んだ21時からになります。まずミルフィーユ様は辺境伯と一緒に、湖畔の教会で祈りを捧げていただきます。その後、辺境伯と共に湖に赴き、神話に倣い、宝剣を授けていただきます」
「神殿の奥深くに秘されている聖剣でしょ!」
「そうです。その後は、まず辺境伯が湖の乙女を呼び出す場を整えるために、破邪の剣舞を舞い、王都に新たな結界を張ってくださいます。ミルフィーユ様はその後、湖で舞いを奉納し乙女に祝福を授けていただく、という流れになっております」
「……わかった」
本当は自信がない。
でも、ぼくがやらなくちゃ。
ウェルシュが笑みを含んだ声で言った。
「大丈夫です。ミルフィーユ様。私はずっとお傍でお二人を見てまいりました。ミルフィーユ様とマカロン様ほど精霊に愛された人はおりますまい」
低い落ち着いたウェルシュの声に、幼いころの日々を思い出す。
裸足で踏んだ草原の若葉。足元に咲くたくさんの小さな野の花々。ぴかぴか光りながら、じゃれついてくる小精霊たち。
「何も心配せずに、思うように舞えばよろしいかと」
「……もし、失敗したら?」
「その時は、お供いたします」
ガツンと頭を殴られたような気がした。でも、ウェルシュは笑っているんだ。
何で、ぼくより男前なんだよ。
「ずるいよ、ウェルシュ」
「もちろん、私もお供いたしますよ。ミルフィーユ様」
頭の上から、ギブソンの笑みを含んだ声が落ちてきた。
「……やだよ!」
ギブソンとウェルシュが苦笑する。
「だって、ぼく失敗しないもん! だから、二人もぼくと一緒に死ぬことはないよ! どうせお供してくれるんだったら、いつか出島に行きたいからついてきてよ!」
「出島、ですか……」
ギブソンが硬い声を出す。
この国で唯一、隣国との貿易の扉を開いている辺境伯領にある出島——そこに行くには、黒の森を超えて行かなくちゃいけない。
「領主様のお許しが出ましたら、ぜひに」
ウェルシュが胸に手を当て、からかうような誓いを立ててくれる。
「まぁ……そうですね。私も、領主様のお許しが出ましたら、お供いたします」
ギブソンが肩をすくめて言った。
そういうところだぞ、ギブソン! ウェルシュの男気を見習ってよ。
ぼくたちは顔を合わせてくすくすと笑った。
ウェルシュが腕を伸ばし、スツールの上にあったガラス細工のボンボニエールを取ってテーブルの上に置く。
「勤務中ですので、誓いの盃をすることはできませんが」
ボンボニエールの中には、淡いパステルカラーの金平糖がたくさん入っていた。
ぼくたちは1つずつコンフェイトを取った。
盃を上げる代わりに、コンフェイトを持った手を少し持ち上げて。
ぼくたちは、笑顔のまま口に入れた。
甘いトゲがゆっくりと口の中でほどけていく。
「ぼくに任せて! 歴史に残るような凄い奇跡を起こしてみせるから!」




