ねぇ、ミルフィー。私を助けてくれる?
ぼくは一縷の望みをかけて、一つ上の兄、ワインの部屋に行った。
叔母様はああ言ったけど……。
建国祭まで3日ある。
ワインは錬金術が得意だし、ぼくは聖属性だからちょっとだけ聖魔法が使える。
ぼくたちが力を合わせたら、もしかしたらマカロンも建国祭までに治るかもしれない。
そう思ってワインの部屋に来たのに。
「瘴気清浄機なら、もうマカロンの部屋で稼働してるぞ」
ワインは蚤の市で買ってきたらしいガラクタを分解しながら、邪魔をするなと言わんばかりの口調でそう言った。
ぼくと同じピンク色の髪。ちょっとだけ深い色の瞳。双子みたいねとよく言われるワインは、ぼくに似ていると言われるのを嫌って、わざと髪を短く切っているから、くせ毛がくるくるといたずらっぽくあちこちを向いている。
ぼくはがっかりして、なんだかよくわからないカラクリであふれたワインの部屋を見回した。
「ねぇ、じゃあ他に何かないの? マカロンが元気になるようなやつ!」
「一番はゆっくり寝て、栄養のあるものを食べて、心穏やかに過ごすことだろ」
「すぐによくなる方法!」
「俺は医者じゃないからな。そういうのはウェルシュに聞けよ」
「……瘴気清浄機って本当に効くの?」
そっけないワインにむっとして、ぼくは口をとがらせて言った。
ピタリとワインが手を止める。
「効くに決まってんだろ! 森が長い年月をかけて瘴気を吸い込んで、浄化してんのは知ってんだろ? 瘴気清浄機は、それをもっと早いサイクルで浄化する魔道具だ。浄化が成功している証拠に、一昨日までは汚染を示す赤いランプが灯っていたけど、今朝見に行ったら、緑になっていた」
「もっとわかるように言ってよ!」
「瘴気清浄機は、そこにどれくらいの瘴気があるかによって、ランプの色が変わるんだよ。黒が一番やばくて、次が紫。王都には結界が張ってあって瘴気が入ってこれないようになっているから、赤いランプが点くのは、マカロンからまだ瘴気が排出されているってことだ。それから、オレンジ、黄色、緑になるごとに瘴気は減って、青になったら完全に浄化されたってこと」
「マカロンは緑? じゃあさ、建国祭に間に合う?」
「瘴気自体は抜けるだろうな。でも失った体力はすぐには戻らない」
ぼくは頬を膨らませて、ワインの足を軽く蹴った。
「……なんで、船に瘴気清浄機を積んでなかったの?」
「積んでたに決まってんだろ! 特にマカロンの部屋には! でも、船には複雑な魔道具がたくさんあるから、魔道具同士が影響して誤作動を起こさないように、小型の物しか動かせなかったんだ」
ワインが細いドライバーを持つ手を止めて、唇をかんだ。
「ごめん……」
「別に」
ワインが小さなネジを引き抜き、歯車を取り出す。
ぼくはのろのろと椅子から立ち上がった。
「マカロンの所に行くんだったら、ギブソンを一緒に連れて行けよ」
ぼくは振り返ってドアの前に立つギブソンを見た。茶色い髪、おひさまみたいな金色の瞳。
ギブソンはまだ若いけれど、ぼくたち侯爵家を護衛してくれる第一騎士団の隊長だ。
「おまえも来年成人を迎えたら、男に戻るんだろう? だったら、いくら姉弟みたいに育ったって言っても、女性の部屋に一人で行くのはだめだ。ドアは完全に閉めず、ギブソンに扉の前に控えていてもらえ」
「……わかった。ギブソン、ついてきてくれる?」
ギブソンがにこりと人好きのする笑顔を浮かべて、右手でポンと胸を叩いた。
「もちろん。お任せください」
マカロンの部屋は、セージとタイムの匂いに満ちていた。
赤々と燃える暖炉の前には長い足付きの五徳が置かれ、銅のケトルがしゅんしゅんと湯気を上げている。
きっと窓際でホワイトセージとタイムの枝を燃やしたんだろう。お皿の上に柔らかな灰が静かに横たわっていた。
ぼくはワインに言われた通り、ドアを少しだけ開けて、隣の部屋に控えるギブソンに声が聞こえるようにした。
マカロンは羽枕にうずもれるようにして、すっかりと小さくなった頭を乗せている。
「マカロン」
ぼくは囁くように言って、汗にはりつくマカロンの前髪をそっと避けた。
「具合はどう?」
マカロンのまつげが震え、その下から春霞にけぶるような若葉の緑が覗く。
マカロンがかすれた息を吐いて、干からびた唇に薄い笑みをはいた。
「ごめんね、ミルフィー」
「……マカロン」
「舞姫ができるのは、ミルフィーしかいないの」
腫れて一重になった赤い目元。
「……大丈夫。すぐに良くなる。きっと間に合うよ」
ぼくは力なく投げ出されているマカロンの手を取って、ゆっくりと聖魔法を流し始めた。
ぼくの手は暖かいのに――マカロンの手はひどく冷たい。
暖かな聖魔法が流れてきて幾分か楽になったのか、マカロンがそっと目を細めた。
「ねぇ、聞いて。ミルフィー」
「ん?」
「昔——舞姫の資格を持たない令嬢が、良い縁談を得るために強引に舞姫を務めたことがあったの」
マカロンの爪の先が、少しピンク色になってきた。
「でもね。湖の乙女——妖精女王をその身に降ろすのは、膨大な魔力と清らかな魂がないとできないの」
「うん」
「ですか、マカロン、ミルフィーユ」
叔母様の厳格な声が脳裏によみがえった。
「叔母様が口癖のように言ってたね」
マカロンがちょっと笑った。
「その御令嬢はとても美しかったけど、残念ながら依り代の器じゃなかった。湖の乙女は降りることができず、季節は狂い、天気は洪水か干ばつの二極端になり、蝗害に襲われ、結果この国に大飢饉が押し寄せたの」
マカロンがひたとぼくを見つめた。
「ねぇ、ミルフィー」
「なぁに?」
「……私を助けてくれる?」
軽々しく頷くことを許さない強い瞳。
ぼくはハッとしてマカロンの瞳を覗き込んだ。
舞姫を夢見てキラキラと輝いていた幼い光はそこにはなく、今は強い瞳で決断を迫ってくる。
「夢だけでは貴族は務まりません」
叔母様の声が脳裏によみがえり、ぼくは泣きそうになった。
でも! ぼくがしなくちゃいけないのは、泣くことじゃない。マカロンを安心させてあげることだ。
ぼくはしっかりとマカロンの瞳を見つめて頷いた。
「もちろん!」
「じゃあ……」
マカロンの唇が笑みを作ろうとして失敗した。
「私の代わりに舞姫になって」
「……っ」
覚悟はしていたけど、すぐに頷くことはできなかった。
「その御令嬢は、国を危うくした罪で処刑されたわ。もちろん本家の人たちもろともね。でも聖24貴族を絶やすことはできないから……。分家の伯爵家を聖24貴族の一員にしたんですって」
マカロンが細い手で、びっくりするくらい強くぼくの手を握った。
「お願い、ミルフィー! 舞姫になるには、一年間の潔斎が必要なのは知っているでしょう? だから、今更他家に順番を変えてもらうことはできないの。でもあなたなら……! 私に付き合って、一緒に潔斎をしてくれていた、あなたなら……!」
笑うのに失敗したマカロンの無理に吊り上げた唇の端と、顎が引きつるように震えていた。
ぼくはそっと目を伏せて、マカロンの手をもう片方の手で包み込んだ。
どうしてこんなに細く、真っ白になっちゃったんだろう。
くるくるの毛並みのロバと子ヤギが大好きで、いつも領地を駆け回っていたマカロンは、日に焼けていて、ほっぺたにはかわいいそばかすがいっぱいあった。
ロバの赤ちゃんの額に頬を寄せ、満面の笑みを浮かべる、干し草と夏の花と太陽の匂いのする女の子だったのに。
そんなよそ行きの顔で、無理して笑わないでよ。
ぼくの方が泣きたくなって、ぐっと下唇を巻き込むようにして歯を立てた。
「ねぇ、ミルフィー。私は失敗したくないの。すべての人が飢えることがないよう、湖の乙女と盟約をして、立派に冬の王を送って、この国に春をもたらしたいの。でも……」
マカロンの目にじんわりと涙の幕が張った。
「でも、私の体は、それに耐えられない……!」
マカロンは瞬きをしなかった。だから、涙も流れることはなかった。
「ミルフィー、これを……」
マカロンがブレスレットを外して、ぼくの手に乗せた。
「これ……!」
マカロンが成人した日に、叔母様がお祝いに送ったブレスレットだ。
「私の代わりに、これを一緒に持っていって」
ぼくは揺れる瞳で、華奢なブレスレットを見つめた。小さなスズランがたくさんぶら下がっているような銀のブレスレットは、触れると澄んだ鈴の音を鳴らす。
しゅんしゅんとお湯が沸く。
冬の終わりの北風が窓をがたがたと揺らす。
ぼくはブレスレットを握りしめた。
「わかった。マカロン、ぼくに任せて!」
マカロンがくしゃりと笑う。その拍子に涙がこぼれ、マカロンは慌てて毛布にもぐりこんだ。
「お休みマカロン」
ぼくはそっとマカロンに声をかけると部屋を出た。
ドアを閉める瞬間。
毛布の下から聞こえてきた、押し殺したような泣き声に気づかないふりをして。




