だから、男だってば!
「父上……今、何とおっしゃったんですか?」
ぼくはあまりのことに耳を疑って、気が付くとそう返していた。
4月27日。
建国祭を3日後に控えた王都カルヴァドスーー。
北に位置するこの国の冬は長い。
今にも雹交じりの雨が降りそうなどんより重たい雲の下、馬車がひっきりなしに窓の向こうを行きかっているのが聞こえてくる。
ぼくはティーカップをローテーブルに戻すと、苦虫をかみつぶしたような顔で暖炉の前に座る父上を見た。
『王国の英雄』『白い魔術師』、たくさんの呼び名を持つ破天荒なお爺様の下で事務を一手に引き受けていた父上は、46歳だと言うのにその顔にはもう深いしわが刻まれている。
くるりと丸まった耳元のカールが二つ、頭を振る父上の動きに合わせてさわりと揺れている。
父上は首元のレース飾り《ジャボ》を緩めるように揺らすと、太いため息をつき、じろりとぼくを見た。
「何度も言わせるな。3日後の神事ではおまえが舞姫を務めるように」
「でも、ぼくは男ですよ!」
聞き間違いじゃなかった!
ぼくは立ち上がって抗議した。
隣から咳払いが聞こえる。
叔母様だ。
その瞬間、ぼくは反射的にソファーに座りなおし背筋を伸ばした。
叔母様が優雅な仕草でティーカップを置く。
「マカロンが臥せっているのは、あなたも知っていますね」
「はい」
「ならば、他に誰が舞姫になれると?」
「……シャ、シャーベット義姉さまは?」
「舞姫を務めることができるのは、聖24貴族直系の者だけです」
「でも……でも……。マカロンは舞姫になるのをずっと夢見ていたのに!」
「夢だけでは、貴族は務まりません」
叔母様の言葉にぼくはうなだれた。
叔母様の言うことはわかる。でも……!
「よりによって何でぼくなの? マカロンから夢を奪うようなことはしたくないよ!」
マカロンはぼくの従妹だ。
本当なら分家の子爵家の令嬢だった。
でも、母上は四人の男児をもうけたけど、女の子を生むことができなかったから……。
舞姫となるために、前舞姫の叔母様と養子縁組をして、うちの離れで暮らしていた。
「ぼくがマカロンと一緒に舞の練習をしていたのは、マカロンから奪うためじゃない。マカロンが楽しそうに舞姫になる日のことを話すから……」
いつしかそれを横で見届けるのが、ぼくの夢になった。
声が震える。
ぼくはそれ以上続けられず、ぐっと奥歯を食いしばった。
口を開けば、マカロンと一緒に過ごした10年があふれて、悪態をついてしまいそうだった。
叔母様がそっと息をついた。
「ならば、どれだけあの子がこの神事を大切に思っていたか知っているでしょう」
知っている。
だって、ぼくたちは何度も何度も、舞姫と聖騎士の『ごっこ遊び』をしてきたんだから!
「……できません」
ぼくは絞り出すような声で言った。
頬を紅潮させ、瞳をキラキラと輝かせながら語るマカロンの夢を聞くのが好きだった。
湖のほとりに腰を下ろし、そこにはいない湖の乙女に呼びかけ、二人でたわいのない歌を歌い舞を舞っては、見えない乙女を加え三人で遊んでいた。
ぼくはぎゅっと肩に力を入れ、うつむいていた。
叔母様も一歩も引かないと言うように、ぼくを射抜くような目で見ている。
父上がため息をついた。
「舞姫は、毎年聖24貴族が持ち回りで務めているのを、お前も知っているだろう?」
「はい……」
「今年の持ち回りは、我がシュクレ侯爵家だ。他の家に頼むわけにはいかん。義務の放棄と取られ、どんな罰が下されるかわかったものではないからな」
「でも……バレたらどうするんです? こんな格好をしていても、ぼくは男なんですよ?」
叔母様が呆れたような声で言った。
「鏡をごらんなさい、ミルフィーユ。ミニバラのような淡いピンク色の髪、新緑の瞳。紅を刷いたと見まがう、まろやかな頬。どこをどう見たら、男性に見えるというのです」
父上が続けた。
「こんなこともあろうかと、お前はまだブリーチング《男子初装の儀》を済ませておらん。対外的には『無性』だ」
「こんなこともあろうかって……?」
ぼくの声が衝撃に震えた。
「……もしマカロンに何かあったらどうする? 誰が舞姫を務める? お前は母の酔狂だけでその格好をさせられていると思っていたのか?」
「……っ!」
目の前が真っ暗になった。
ぼくは、初めからマカロンのスペアとして育てられたなんて!
初めからぼくの存在が、マカロンから舞姫を奪うかもしれないものだったなんて……。
喉が引きつった音を立てる。目の奥がじんわりと熱くなる。
ぼくは何も言えず、絨毯を睨みつけた。
「ミルフィーユ。あなたの戸籍の性別欄は空白となっています。忘れ去られた古い法律ですが、男子初装の儀を済ますまでは、性別は固定されておらず無性扱いとなります。舞姫が無性であることを禁ずる法律は、王宮にも、教会にもありません」
何かを言いたいのに!
何を言いたいのかぼくにもわからず、ぼくはただもごもごと口を動かし――自分を見下ろした。
ヒップがアヒルの尻尾みたいにふくらんだ淡い菫色のドレス。幾重にもレースの重ねられたバッスル。くるくる跳ねるピンク色の髪はリボンでまとめられ、柔らかく胸元に垂らされている。
「ぼくがこの格好をしているのは、生まれつき魔力が弱かったからだと聞いていました……。悪い精霊に連れていかれないように、魔女様の加護を願って女装をしているんだと……」
「確かに、幼い頃はそうでした」
叔母様の声に、ぼくはきつくこぶしを握り締めた。
おかしいとは思っていた。
体の弱い男児を女装させるのは、本当に存在する古い文化だけど、普通は6、7歳でドレスを脱ぎ、男性名を名乗るって書いてあったから!
「あらぁ、いいじゃない! だって、こっちの方が似合うんですもの。わたくし、ずっと女の子が欲しかったのよ? ねぇ、ミルフィー。16の成人まではドレスを着ていてちょうだい!」
母上は元王女様だ。
その母上のおねだりは、ほぼ命令だった。
ぼくは、なじるような目で叔母様を見た。
「……叔母様は、本当にぼくが舞姫をしてもいいんですか?」
事故で夫と赤ん坊を同時に亡くし領地に帰ってきた叔母様が、マカロンを本当の娘のようにかわいがっていたのを知っている。
「ミルフィーユ。あなたなら立派に冬の王を送り、湖の乙女と盟約を結ぶことができましょう」
いじわるを言うつもりでそう言ったのに!
叔母様がいたわるような声音でそう言うから……。
ぼくはいたたまれなくなって、大きなリボンのついた絹の靴を机の下でもぞもぞと動かした。
「……失敗しても怒らない?」
「失敗すれば、我がシュクレ家が終焉するだけのこと」
うっ。
「冬の王を送ることができず、湖の乙女より祝福を授かることができなければ、領地を取り上げられる格好の理由となります」
暖炉の中で、パチリと薪がはぜた。
白大理石で作られた豪奢な暖炉の上には、王家から賜った美しい絵付けの白磁の皿が飾られている。
その上に誇らしげに掲げられたお爺様の肖像画を見上げ、ぼくは下唇を巻き込むようにしてかみしめた。
誰も手を付けないティーカップから、じんわりとアップルティーの香りが漂っている。暖炉の上でかちりと時計の短針が鳴った。
どこか遠くで春雷が聞こえた。
ぼくは二人の視線から逃げるように、春の小花と小鳥の描かれた薄黄緑色の壁紙をじっと見つめていた。




