第36話 ハルト、捕まる(6)
「リーゼロッテ」
床に転がったままのハルトが、かすれた声をかけてくる。
暴行を受けたのだろう。服は黒く汚れ、体は青あざだらけになっている。周りに飛び散った吐しゃ物には血も混じっている。
リーゼロッテは机に置かれていた鍵を見つけて、ハルトの手足に付けられている枷を外した。
肩を貸そうとかがんだが、ハルトはおぼつかない足取りながらも自力で立ち上がり、リーゼロッテに向き直る。
「リーゼロッテ、ありがとう。それと、ごめん!」
そう言って、ハルトが頭を下げる。全身を駆け巡る痛みに耐えているのか、足が震えていた。
何か一言、言ってやろう。そう思っていたリーゼロッテだったが、懸命に頭を下げるハルトを前に、そんな気もどこかに消えてしまった。逆に、申し訳なさが湧いてくる。
「いや、私の方こそ、お前に外に出ないように指示をして、自分だけ飲みに行くのは悪かった。許してくれ」
そう言ってリーゼロッテも頭を下げる。怒られると思っていたハルトは、彼女のその動きに戸惑い、慌てて手を振り、「顔を上げてくれ」といった。
少ししてから顔を上げたリーゼロッテに、ハルトはどこかぎこちない笑顔を向ける。
「リーゼロッテは悪くないよ。俺のことを思って言ってくれたんだろ?」
「まぁ、それはそうだが。少し行き過ぎていた」
「いや、そんなことないよ。それよりも、今回のことでよくわかったよ。俺は明日から酒は飲まない」
リーゼロッテが驚いた表情を浮かべたが、すぐに表情が和らぐ。そして、ハルトの背中を押すように、「そうか」と呟いた。
見栄を張ったハルトは、本気で禁酒をするつもりだが、正直なところ自信はなかった。だから、
「ああ。もし俺が飲んだり、飲みそうになったら、容赦なく殴ってくれ」
と言った。
その言葉を真面目に捉え、「わかった」と頷くリーゼロッテ。それを見て「殴ってくれ」は言い過ぎだったかと思ったが、彼女に厳しく監視してもらう方がいいと思い、取り下げることはなかった。
彼の覚悟が決まったのを感じたリーゼロッテは、次は自分の番だと思い、ゆっくりと口を開く。
「せっかくだ。私も、この旅が終わるまで禁酒する」
「え? 本当か?」
「ああ、お前が禁酒しているのに、私が隣で飲んでしまうと、決意が鈍るだろう?」
ハルトは「リーゼロッテまで禁酒する必要はないだろ」と言いかけて、止まる。自分と同じで、リーゼロッテも覚悟を決めたのだ。それを無下にすることなんてできない。
「わかった。じゃあ、二人で禁酒しよう」
手を差し出すと、リーゼロッテは一瞬も迷わず、その手を握り返した。
「ああ。約束だ。ではこいつらを引き渡した後、禁酒記念に飲みに行こうか」
「禁酒記念で飲みに行くってなんだよ」
「明日から禁酒するといったではないか。なら、今日はまだセーフだ」
ハルトの「明日から」は、「今日は飲んでしまったから明日からしか禁酒ができない」という意味で言った。リーゼロッテもそれはわかっていたが、彼女もまた無類の酒好きだ。かつて取り逃がした犯罪者を捕まえた祝杯も兼ねて、先ほど飲み損ねた上物が飲みたかった。
「わかったよ。でも飲みすぎそうになったら、止めてくれよ」
「わかっている。私の方こそ、最後だからと言って飲みすぎないよう、気をつけなければいけないな」
二人は顔を見合わせて、笑顔を作った。




