第35話 ハルト、捕まる(5)
ハルトは泣いていた。
これまで順調だった。だから慢心して、また酒を飲んで、調子に乗ってギャンブルに興じて、やらかしてしまった。それも取り返しのつかないところまで突っ走ってしまった。自分自身が不甲斐なくて、周りの男たちに冷笑されていることなど気にもせず、嗚咽を漏らしながら涙を流す。
「いい加減に諦めて現実を見なさい」
その言葉を聞いて、ハルトの思考が暗い闇に落ちていく。
そもそも自分がメアリーを助けるなんてこと自体が思い上がりで、無理なことだったのだ。だから自分がこの場で死のうが、何かの手段を使って脱出しようが、メアリーの生死は何も変わらない。もう、決まっていることなのだ。だから、ここで終わらせてしまってもいいだろう。
そんな彼の脳裏に、またメアリーの、今度は誇らしげな顔が浮かぶ。ハルトのことを話すとき、彼女は決まってこの表情になった。そして、
「私にとって、ハルトさんが勇者なんです。どれだけダメな人になっても、それだけは変わりません」
と言って回っていた。
メアリーがなぜハルトのことを勇者と言っているのかは、誰も知らない。
だが、メアリーにとっての勇者は間違いなくハルトで、どんなに裏切られても堕落していても、彼女は彼を信じて、笑顔で送り出してくれた。
(また、裏切っていいのかよ?)
そう自分に問いかける。
頭の中のメアリーが、どこかやる気のある顔に変わる。それに触発されるように、ハルトの心にも火がともる。
(まだ諦めるな。諦めなかったから今、メアリーを助けられるかもしれない、光があるんだ。)
呪いを解く薬が存在することも、リーゼロッテが仲間になったことも、鉱石を手に入れられたことも、すべて諦めずに努力した結果だ。
誰かに言われてやったわけではない。すべて彼自身で決めて、進んで、掴み取ったのだ。
(俺のためじゃない。メアリーのために、諦めちゃいけないんだ)
手足はくくられて動けないが、口は動く。まだ何とかできるはずだ。
視界は霞み、体はあちこちが悲鳴を上げているが、体中に力がみなぎってくる。
(リーゼロッテと合流できれば、何とかなる。でも、どうやってリーゼロッテに位置を教える?)
部屋を見渡すと、一か所だけ窓ガラスにこぶし大の穴があるのを見つける。
それを見てハルトの顔が一気に明るくなる。これなら外に声が届くはずだ。
声が外に届いたところで、リーゼロッテが近くを歩いていなければ意味がない。そもそも彼女が自分を探しているかなんてわからない。だが、これまでも可能性が低いことをやってきたんだ。だからきっと上手くいくはずだ。今、自分を信じなくていつ信じるのか。
ハルトは大きく息を吸い込み、お腹の底から声を張り上げる。
「リーゼロッテ!! リーゼロッテ!!」
彼女に届くことを願って、何かがせり上がってきても堪え、何度も、何度も叫ぶ。
男たちは突然女の名前を連呼するハルトに驚いたが、ついに気が狂ったと思い、冷笑を浮かべる。
一人の男がそんなハルトを止めようとしたが、勝負師の男がそれを制止した。彼は狂った人間を見ているのが好きだった。だから今回も、好きにさせてみようと思った。それが地獄へ続くとも知らずに。
何度も、何度もリーゼロッテの名前を叫び、ついにハルトの声が枯れる。
諦めかけた、そのときだった。
どこからともなく声が聞こえてくる。
「お前の声、確かに聞こえたぞ」
その声と同時に、鉄の扉が吹き飛び、大きな音を立てて木の床を突き破る。
そのあり得ない光景に、全員が狼狽し、姿を現したリーゼロッテを唖然とした表情で見つめていた。
なにせ、蹴破られた鉄の扉が折れるように曲がり、床に突き刺さっているのだ。彼らが知りうる中で、そんなことができる人間はいない。
「な、なんですかあなた――」
勝負師の男が言い終わる前に、ドサッという重い音が静かに響く。取り巻きの男が一人、床に崩れ落ちていた。
そんなあり得ない強さを持つ女性を前にして、全員が固まる。しかし、勝負師の男だけは素早くに次の行動に移った。
「この男を殺されたくなかったら、武器を捨てなさい」
勝負師の男はハルトの喉元に剣を突きつけ、主導権を握る。
勝ち誇った表情を浮かべた彼だが、リーゼロッテの反応を見て、徐々に余裕を失っていく。
普通なら相手は狼狽えるのだが、目の前にいるリーゼロッテはまるで意にも介しておらず、武器を捨てる気配どころか下ろす気配すらない。さらには殺気を隠そうともしない。
(もしかしてこの女、この男の救出目的ではないのか?)
もしそうだとすれば、ハルトに構わず早く逃げた方がいい。しかしリーゼロッテも一向に動く気配はない。
下手に動けば、せっかく握った主導権を渡すことになる。勝負師の男は彼女の動きを、用心深く見つめる。
するとリーゼロッテが口を開いた。
「別に、殺してくれても構わんが」
そう、冷たく言った。
その言葉に勝負師の男は狼狽えた。しかし相変わらずリーゼロッテが動かないのを見て、ただのハッタリだと確信した。
リーゼロッテは次の一手に悩んでいた。
相手とは少し距離がある。先ほどの動きを見るに、この男もそれなりに手練れだ。負けることはないが、下手に動けば本当にハルトが殺されてしまう可能性もある。
(ハルトがこちらにいれば、状況は変わったかもしれないな)
彼のスキャンで能力差を見れば、リーゼロッテが詰める動きと勝負師の男が剣を喉に突き刺す動き、どちらが早いかある程度計算ができた。それを元に次の一手を考えることもできた。
そのときだった。
「うぉおおっ!!」
「うぉ!」
ハルトが隙をついて転がり、体ごと勝負師の男の脚にぶつかる。大した威力ではなかったが、足元がおろそかになっていた男はその衝撃でバランスを崩し、剣先がハルトの喉元を離れ、宙に向く。
「上出来だ」
リーゼロッテは一瞬で距離を詰め、右手で勝負師の男の顔を掴み、そのまま地面に叩きつける。
勝負師の男は声を上げる暇もなく、意識を失った。
それを見た、他の取り巻きたちが小さく悲鳴を上げ、我先にと逃げ出す。
「逃がすわけ、なかろう」
背中を見せた者を取り押さえるなど、リーゼロッテには朝飯前だった。ものの数十秒で全員を制圧した。




