第30話 それぞれの夜(3)
ハルトが薄暗い店で飲んでいる一方で、リーゼロッテは表通りにある健全な酒場で、一人静かに食事を楽しんでいた。
数日ぶりにハルトがいない、一人の静かな食事だ。
リーゼロッテが一人で旅をするようになって二年。そのほとんどを単独で過ごしていた。一人での静けさには慣れていたはずなのに、今はどこか寂しさを感じる。
「はぁ」
ため息を吐く。
ハルトとの距離が近すぎたのかもしれないと思った彼女は、一度彼と離れた。しかし気持ちが晴れることはなく、相変わらずもやもやした気持ちを抱えていた。
ハルトの態度が悪いのは間違いないが、自分の態度についても反省していた。
ハルトがだらしない人間であることは、旅をする前からわかっていたはずだ。だからそれほど怒ることでもなかったのではないのだろうか。
そもそも怒っている理由は何なのだろうか。
予定通りに旅が進められなかったからだろうか。ハルトが言うことを聞かなかったからだろうか。蹴破った扉の修理費がかさんだからだろうか。思ったよりも宿代が高くついたからだろうか。プライドが許さなかっただけだろうか。
「マスター、赤ワインをもらえるか?」
「銘柄はどうしましょうか?」
「このピザ含めて金貨六枚まで」
「かしこまりました」
酒を頼む傍らで、自分の心の内をじっくりと探る。今日のことから昨日のことへ、そして一昨日のことへと、ゆっくりと遡っていく。
ふと、ハルトが必死になってつるはしを振るっていた姿を思い出す。そして、目当ての鉱石を見つけたときの、顔いっぱいに広がった、とても凛々しい笑顔。
(ああ、そういうことか)
この数日であれだけ変わった彼が、前の状態に戻ってしまったことに落胆して、それが怒りに変わったのだ。
答えに行きつくと、急に心が軽くなり、余裕が生まれる。
ふと酒場を見渡してみると、備え付けられた暖炉がぱちぱちと音を立て、吊り下げられたランタンとともに柔らかな光で店の中を照らしており、まるで実家のような安心感がある。
店の奥に設けられた演奏スペースでは、四人組が心地良いジャズを奏でており、その気持ちのこもった演奏を聴いていると、心のささくれが取れていくようだった。
(だらしない奴とはいえ、私と一緒に旅をしたいと言い出した奴だ。あの態度は悪かったな)
おそらくほとんどの人はハルトが悪いと考えるだろうが、リーゼロッテはそうではない。何か問題が起これば、自身を見直すことを優先する。
それこそがリーゼロッテの良いところであり、この思想を他人に強いるのが悪いところだ。彼女もそれは理解していたが、この性格だけはどうにも直すことができなかった。
濃い紫色のワインが入ったグラスがテーブルに置かれる。葡萄の良い匂いとアルコールがふわりと香る。口に含まずとも金貨三枚に見合う良いお酒だとわかる。
軽く匂いを楽しんでから、口元に運ぶ。その唇がグラスの縁に付いたとき、その手が止まった。
(あいつに酒を飲むなと言っておいて、私が飲むのはおかしくないか?)
ハルトは酒を断った方がいい。それは間違いない。だが、その横で酒を飲んでしまったら、善意ではなくただ嫌がらせではないか。
リーゼロッテは静かに逡巡してから、自身も禁酒することを決断する。
手に持っている紫色のワインを少し眺めてから、覚悟を決め、隣で一人寂しく安酒を飲む男に渡す。
えらくガタイの良い男はそれに驚いた表情で受け取り、そしてそれに乗じてナンパをしてきた。しかしリーゼロッテは「悪いが急ぎでな」とだけ言って、店を後にする。
「いやな予感がするな」
酒場を出たリーゼロッテはそう呟く。勘だが、確信に近かった。
彼女は小走りで宿へと向かった。




