第25話 また、やらかす(2)
次の日。
リーゼロッテはいつものように日が昇り始める前に起き、身支度を済ませて部屋を後にする。
町に着いたときに見繕った適当な空き地に向かい、剣を振るう。朝の鍛錬はリーゼロッテにとって、三大欲求と同じくらい大切なものだった。
無心で基礎基本と簡単な応用を行えばあっという間に一時間。それから自分が苦手とする手合いを想定した練習を行う。
ただし、いくら空き地といえどもここは町中だ。人の往来が多くなってくると、さすがに剣を振るうわけにもいかない。今日は比較的早く町の人が動き出したので、一時間半ほどで鍛錬を切り上げた。
それでも今日の体はしっかりと作れた。意気揚々と宿に引き上げ、食堂で朝食をいただいてから自室に戻る。
隣の部屋で眠るハルトはまだ起きてきていないようだ。そろそろ起きないと集合時間に間に合わないが、多少寝坊することは想定内だ。怒るようなことでもない。
とくにやることもないリーゼロッテは、すぐに出発できるよう準備を整えて、自分が書いた手帳を読む。
十年ほど前からつけている手帳はもう十数冊になる。すべてを持ち歩くわけにもいかないので、都度一冊にまとめ直して持ち歩いている。これを読めば今まであったことをすべて思い出せる。
懐かしい記憶たちを遡りながら読み進め、本題である竜を退治したときのことを思い返す。
リーゼロッテも大事にしている記憶なので、ほぼ当時のままの文章が残っている。あの戦いはとにかく耐久戦で、肉体的にも精神的にも一番追い詰められた。そのことや竜の戦法、弱点や注意事項がびっしりと書かれている。
といっても、彼女が倒した翼竜と、原初の竜と呼ばれる魔竜では、同じ竜とは思えないほど体のつくりが違う。それは彼女も理解している。
「魔竜か……」
リーゼロッテは一度追われたことがある。その記録をたどっていく。
魔竜は、発達した後ろ足で飛び上がり、前脚に付いた飛膜で長時間滑空することはできるが、翼竜たちのように空を飛ぶことはできない。
その代わりに地上を走破する能力がずば抜けており、体長二十メートルを超えるような巨体が、闘牛のように一直線に突進してくる。全身鉄のような硬い鱗に覆われており、岩すらも砕いて進み続ける。
翼竜も地上に降りて突進してくることがあるが、破壊力が比べ物にならない。
手帳の最後のページに、「誰も轢かれなかったのは不幸中の幸いだ。あれは人類が相手をすべき生き物ではない」と書かれていた。
巨体が迫ってくる恐怖と、あのトラウマをともに経験した仲間たちのことを思い返しながら、手帳を読み進める。すると、時間を告げる鐘の音が部屋に響いてくる。
今何時なのかと思い窓に近づき町を見下ろすと、歩く人々の影が極端に短い。上を見上げると、ちょうど日が頂点に達している。
正午を告げる鐘だったようだ。リーゼロッテはこんな時間まで没頭してしまった自分を恥じると同時に、さすがにハルトの遅さが気になった。
部屋を出て、ハルトの部屋の扉をノックする。
しかし、中からハルトが出てくる様子はない。
少し強めに叩いても返事すら聞こえない。
周りへの迷惑を考えず、廊下に響くほど強く叩く。
廊下に反響した音が鳴りやむと、辺りは深い静寂に包まれる。しかし、部屋の中からは何かが動く音すら聞こえない。
「……まさか」
酒の飲み過ぎでどうにかなってしまったのかもしれない。最悪の事態を想定したリーゼロッテは、迷うことなくドアを蹴破った。
大きな音が廊下に響き渡り、何人かが部屋から出てくる。しかし、そんなことは気にせず中に入る。
部屋は悲惨な状況だった。枕は明後日の方向に飛んで行っており、シーツは力いっぱい抱きこんだのか、一か所に固まって大きな皴を作っている。荷物は床に散乱しており、その中にハルトがうつ伏せに倒れている。
その光景は、彼が苦しんでのたうち回った末に、死んでしまったかのように見えた。リーゼロッテは一瞬呆けてから、背中に流れた嫌な汗で我に返る。
彼女が駆け寄ろうと一歩前に進むと、大きないびきが聞こえてきた。
ハルトはただ、寝ているだけだった。
リーゼロッテはほっと息吐く。
しかし解れた緊張と入れ替わって、底知れぬ怒りがこみあげてくる。
忠告を無視し、飲めるだけ飲み、正午になっても起きすらしない。部屋は寝ていただけとは思えないほど乱れ、床には物が散乱しており足の踏み場もない。
リーゼロッテの視線は、その中に転がる鉱石で止まる。その耳に、またハルトのいびきが届く。
(いや、待て。落ち着くんだ……)
彼女は問題を指摘して怒りをぶつけ、今までたくさんの仲間を失ってきた。「次の町までさほど距離はない。だから今から出発しても十分間に合う」と、自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。
「おい、起きろ」
少し怒りが収まったところで、床に転がっているハルトの肩を掴み、少し乱暴に揺らす。するとうっすらと目を開けて「おはよう」と気の抜けた返事をした。
その緊張感のない声と表情に、また怒りがこみあげてくるが、必死に我慢して声を絞り出す。
「お前、今何時だと思っているんだ?」
「ふぁ~。八時くらいか?」
「もう昼の鐘が鳴った後だ」
ハルトはその言葉を呆けた表情で聞いていた。そしてようやく自分が大寝坊をしてしまったことに気がつき、しゅんとした表情で「ごめん」と呟いた。
「とにかく、早く準備しろ。」
リーゼロッテはぶっきらぼうにそう言ってハルトの部屋を後にする。これ以上この部屋にいると、怒りが爆発しそうだったからだ。
「あの、お客様?」
部屋を出ると目の前に気の弱そうな男が立ちふさがる。
リーゼロッテが睨むように男を見ると、彼は思わずびくっと身を震わせ、恐る恐る、声を出した。
「その、扉を壊されるのは」
その言葉にはっとなり後ろを振り返ると、扉がなくなったハルトの部屋が、どこか間抜けに口を開けていた。
リーゼロッテは心の中で、深いため息を吐いた。




