第17話 旅立ち(4)
「なんというか、平和だな……」
町を出て一時間。もう外壁が、うっすらとしか見えないほど遠くへ来ていた。
辺りは、誰かが定期的に刈っているのかと思うほど、短く切りそろえられた草が地平線まで続いている。
ところどころに木や岩があること以外は、障害物すらない。見渡す限り緑が続いているが、人の往来があるところだけは土がむき出しになっている。
日差しは穏やかで、時折吹き抜ける風が心地良く体をなでる。辺りに魔物の姿は見られず、町の外を歩いているとは思えないほど平和だ。
ハルトが旅をしていた三年前は、三十分も歩けば魔物に襲われ、大型の魔物に見つからないように気を使いながら歩いたものだ。
だが、魔王が倒された今は魔物の数も激減し、地平線の彼方まで脅威となるようなものは見当たらない。
魔王が倒されたと聞いたとき、ハルトは異世界から転生してきた自分が、それをなせなかったことに嫉妬を覚えた。もっとも、祝いの酒が振舞われると、そんな感情は酒と一緒に喉の奥へと流れていったのだが。
相変わらず脅威も何もない。まるでピクニック気分で緩み切っていたハルトは、思わず欠伸を漏らす。
バレていないかと慌ててリーゼロッテを見ると、こんな状況でも警戒を解いておらず、その目線は険しかった。
彼女の能力を考えれば、こんな障害物もほとんどない場所で出てくるような魔物は一ひねりだが、それでも常に周囲を警戒し、いつでも剣を抜ける態勢だ。
そんな彼女の姿を見て、緊張の糸が緩んでいたハルトも、背筋を伸ばす。
「ちょうど敵が出てきたな」
リーゼロッテが背中の剣を抜き、構える。どうやら気が緩んでいたことは、バレていたようだ。
百メートルほど前方の岩場から、魔物の代表格であるゴブリンの群れがわらわらと現れる。合計で十匹いる。この辺りにしては大所帯だ。
原理はよくわかっていないが、魔物は人間を認識すると必ず襲い掛かってくる。このゴブリンたちも、ハルトたちを見つけるや否や、文字通り目の色を変えて襲い掛かってきた。
ハルトが不安そうな顔を向けると、リーゼロッテは手で下がるように指示をした。
「数も数だ、お前に戦えとは言わん。そして、こんな雑魚に私が負けるはずもない」
そう言って、どこか優雅さを感じる足取りで、ゴブリンの群れに向かうリーゼロッテは、身丈ほどもある大剣を、まるで木の枝でも振るうかのように軽く薙ぎ払う。そんな動きからは考えられないほど、重く鋭い風切り音が辺りに響き、二体のゴブリンの頭がまとめて宙を舞う。ゴブリンの体は力なく地面に崩れ落ち、そのまま光の粒子となって消えていく。
ただ事ではないと感じたのか、ゴブリンたちが一度立ち止まり、リーゼロッテを取り囲むように左右に分かれた。
リーゼロッテはそれを横目で確認しながら、右側のゴブリンに狙いを定め、まるで虎が獲物を狩るかのように勢いよく、そして優雅にゴブリンを仕留める。
左側にいたゴブリンたちが好機とみて、いっせいに彼女の背中に襲い掛かる。
だが、遅すぎる。
重い鎧を付けていることなど感じさせない、軽やかな動きで反転した彼女は、大剣の重さなど忘れたかのように軽々と振り抜き、ゴブリンを斬り伏せる。
そんな戦闘、というよりもほぼ虐殺を、ハルトは少し離れたところで見ていた。一応、というよりは癖でスキャンを使い、能力を調べていたが、リーゼロッテとゴブリンの能力は二桁の差がある。ここまで差があると、もはや戦いにすらならない。
数的にはまだまだ不利だが、リーゼロッテなら余裕という言葉すら大げさなくらい、簡単に捌けるだろう。
ハルトは念のためにまだ生きている四体を確認すると、そのうち一体が毒袋を持っていることに気がつく。
「リーゼロッテ!! 右のヤツ毒袋を持ってる!!」
ハルトが慌てて叫ぶのと、ゴブリンが袋を投げるのはほぼ同時だった。リーゼロッテはその言葉に反応して、後ろに飛び下がる。
直後、彼女が先ほどまでいた場所に袋が落ちると、バサッという音とともに紫色の粉塵が辺りに立ち込める。まるで陽炎のように視界を歪めたそれは、すぐに風に流されて消えていった。
ハルトが改めて確認すると背筋が冷える。中身は神経毒だった。彼女がいくら屈強だろうと、あの粉を吸い込めば体がしびれて動けなくなるだろう。
虎の子の毒袋を回避されたゴブリンたちはなす術もなく、全員リーゼロッテに切り伏せられた。その遺体はすぐに光になって消えていった。
深紅の髪をたなびかせ、悠然と戻ってくるリーゼロッテ。漆黒の鎧に身を包み、鋭い視線のままゆっくりと近づいてくるその姿は死神を彷彿させ、ハルトにすら恐怖を与える。
「お、お疲れ様です」
「どうした? なぜ急に敬語なのだ?」
思わず敬語になってしまったハルトにいぶかしい顔をするリーゼロッテ。
しかしそれもつかの間、目尻がふわりと下がり、優しい笑顔になる。
「それよりも助かった。ああいう毒の類は、戦闘能力とは関係ないからな」
「無事でよかったよ。俺も、もっと早くわかればよかったんだけど」
ハルトの能力は一体ずつしか調べられない。
視界に映った物を一度にスキャンする能力を授けられた転生者もいる。その話を聞いたことのあるハルトは、一度に一つしか対象にできない自分の能力をハズレだと思っていた。
「そんなことはない。ああいった不意打ちで捕まったり、死にかけたことは何度もあるからな。寸前でも教えてもらえれば助かる」
「リーゼロッテが捕まったりしたら、まさにくっころ展開だな」
「くっころ? なんだそれは?」
「あ、ああ。俺の世界でそういう単語があるんだ」
リーゼロッテは異世界転生してきた人間ではなく、現地人だ。だからハルトのいた世界の言葉なんて知らない。
といってもくっころの意味をそのまま本人に説明するわけにもいかない。ハルトは適当に繕って誤魔化した。
幸いにもリーゼロッテはあまり気に留めなかったようで、「そうか。では、いくか」と言って歩き出した。
ハルトはホッと胸をなでおろし、後に続いた。




