第15話 旅立ち(2)
メアリーはもう一度、今度は抱きしめてほしくて、一歩前に踏み出そうとして、思いとどまる。その代わりに、
「ハルトさん、帰ってきたら、私をいっぱい抱いてくださいね」
はっきりとそう言った。
ハルトの表情が固まり、一拍遅れて、メアリーの顔がみるみる赤くなった。
「ち、違います、抱いてほしいんですけど、そうじゃなくてですね。あの、あれです。抱きしめてほしいんです」
「あ、ああ。わかってるって。ギュってする方だよな」
「ですです。もしかしたら私、寝たきりかもしれませんけど、そのときはベッドの中で抱きしめてほしいんです」
「え? いや、それ……」
「あっ。こ、これはそういう意味じゃなくて、起き上がれないからって意味で……」
話せば話すほど墓穴を掘っていくメアリー。その顔は病人とは思えないほど血の気が通っていて、頬がまるで熟れたリンゴのように染まっていた。
しばらく沈黙が下りて、そして、どちらからともなく吹き出した。
ひとしきり笑った後、ハルトがそっとメアリーの手を握る。
突然の温かさに驚いたメアリーが、ハルトを見上げる。そこには、かつて自分を救ってくれた、メアリーが恋をした笑顔があった。
「家、送っていくよ」
「はい。ありがとうございます……」
少し俯き加減だったメアリーを連れて、最上階の彼女の部屋まで送っていく。中に入ると母親と喧嘩になるからと、部屋の前で別れた。
しばらく閉じた扉を見つめていたハルトは、未練を断ち切り、気持ちを新たにして、階段を一段ずつ下って行った。
この一歩一歩が、彼女を助ける未来に繋がる。そう信じて、力強く歩く。
すると、メアリーの父親と階段の踊り場で出くわす。
向こうもすぐにハルトのことを認識した。いつものように怒られるかと身構えたが、父親は意外と無表情だった。
「いいところにいた。お前に話があるんだ」
「なんですか?」
「単刀直入に言おう、部屋から出て行ってくれ。出て行かない場合は――」
「わかりました」
言葉を遮るような形でハルトがそう返すと、メアリーの父親は驚いた顔をした。
「あと、ご迷惑をおかけしますが、俺の部屋のものは処分してください。少しでもお金になれば。さっと掃除はしたんで、ゴミはなくなってます」
「お前、逃げる気か?」
怒りで震える父親に対して、一切臆することなく視線を返すハルト。
「いえ、メアリーを治すために、旅に出ます。絶対に帰ってきますから、俺が言えた義理じゃないですけど、メアリーのこと、よろしくお願いします」
「……」
そう言って頭を下げたハルト。
父親には、彼が嘘を言っているようには見えなかった。それどころか、何かやってくれるかもしれないと思ってしまうほど、並みならぬ覚悟が伝わってくる。だから、メアリーの父親は、思ったことが口から出そうだったが、結局何も言い返さなかった。
「じゃあ、失礼します」
去っていく背中に、「がんばれよ」と声をかけようとした。しかし、今までのこととプライドが邪魔をして声には出さなかった。代わりに父親は気がつかれないように下に降り、ハルトの後ろ姿が町の中に消えるまで、無言で彼を見送った。




