第14話 旅立ち(1)
リーゼロッテと約束を取り付けた次の日。
部屋の片付けを終えたハルトは、すっかりと綺麗になった部屋を改めて見回す。
ハルトの乱れた生活とは対照的に、部屋は汚れ一つないほど綺麗で、適度に光が取り入れられるように家具が配置されており、室内はふわりと明るい。
もちろんハルトが毎日掃除をしていたわけでも、家具を選んだわけでもない。メアリーの努力のたまものだ。
(思い返せば返すほど、メアリーに任せてばっかりだったな)
ハルトは頬を掻き、情けなさを誤魔化すように苦笑いを浮かべた。
根無し草の生活をしていた彼を助け、この部屋を貸してくれたのはメアリーだ。
この部屋に置かれている家具を手配したのも、日々綺麗に掃除をしていたのもメアリーだ。
ツケを支払っていたのも、そもそも酒代をくれていたのもメアリーだ。
ハルトは、今からそんな彼女を助けるための旅に出る。
アキヒロとメグミが死んだのは、正確には二十五日後だった。だがメアリーが何日持つかはわからない。
あれからもう七日だ。幸いなことにすべての素材が近くで採れる。だから、十日ほどで戻ってくる予定をしている。
もしかしたら、いや、かなり高い確率で死んでしまう旅だ。だが決意は揺るがず、むしろ今度こそ助けたいという気持ちは強くなり、俄然やる気が出てきた。
「あ、そうだ」
目に入った箪笥を開けて、中から腕輪を取り出す。かつての仲間、メグミの持ち物だ。
手のひらに載せたそれをしばらく眺めてから、小さく笑う。
「アキヒロだけ連れて行ったら、きっと拗ねるよな」
口を尖らせたメグミの顔が目に浮かぶ。懐かしくて、思わず笑ってしまう。
もし死後の世界があるのなら、また三人で旅がしたい。そんなことを思いながら、
「じゃあ、行ってきます!」
部屋にそう声をかけて、玄関へ向かう。
そのとき、扉が控え目にノックされた。
「ハルトさん、いますか?」
(メアリー!?)
その声はメアリーのもので間違いない。だが、彼女は動ける状態ではないはずだ。一瞬思考が停止したハルトだが、首を振り、慌てて扉を開ける。
扉の向こうには、いつもの格好で、いつもの笑顔を浮かべたメアリーが立っていた。
その顔は透き通るほど白く、メアリーが肌の手入れをかかしていないことがうかがえる。張りのある細い髪の毛も、しっかりと二本の脚で立つその姿も、彼女が健康体であることを証明しているようだった。
呪いではなく普通の病だったのではないか。そしてすでに治ったのではないのか。そう思い、ハルトは期待で胸を膨らませる。
だが、そんな期待はすぐに潰える。
メアリーは化粧をして、上手く誤魔化しているだけだった。よく見れば化粧の下に、血の固まったようなどす黒い斑紋が透けて見える。
あの日からもう七日が経った。起き上がるのもやっとなはずなのに、メアリーはハルトの部屋までやってきた。その痛々しい姿に胸が詰まり、ハルトは思わず視線を逸らす。胸の奥から湧き上がってくるものを必死に抑え、しばらくしてから、何とかいつも通りの声を絞り出す。
「どうしたんだよ?」
「先日、ハルトさんにご迷惑をおかけしてしまいましたので、その謝罪に伺いました」
「迷惑をかけたって、それは俺のセリフだよ」
「そんなことありません。私、ハルトさんが迷惑なんて思ったこと、一度もありません」
その言葉を聞いて、いつもの笑顔を作る彼女を見て、目が熱くなる。
「それよりもハルトさん、どこかにお出かけですか?」
ハルト越しに見える部屋はいつも以上に片付いている。さらに目の前には身支度を済ませたハルト。それが何を意味しているのか、メアリーはすぐに察した。
笑顔が消えて、不安そうな表情をして尋ねてくる彼女に、ハルトは言葉を返せなかった。
「もう、私は元気になりました、か、ら……」
そう言ったそばから体の力が抜け、ふらりと倒れるメアリー。ハルトはとっさに彼女を抱きかかえる。
その体は、驚くほど軽かった。
彼がこうして彼女を抱きかかえるのは初めてだった。こんなに軽い体で肩を貸したり、重い荷物を持ったり、かいがいしく世話を焼いていた。ハルトは自分が彼女にどれだけ負担をかけていたのか、初めて実感した。
よく考えれば、メアリーに拾われてからもう三年もたつのに、ハルトは彼女のことを何も知らなかった。
「ハルトさん、私は大丈夫ですから。どこにも、どこにも行かないでください」
メアリーの頬を伝う涙を見て、ハルトの決意が大きく揺れ動く。
彼女がそれを望むのなら、無理に薬なんて作らず、最期まで一緒にいる方がいいのではないか。そもそも魔竜の血なんて採れるかもわからないだけでなく、あの薬で呪いが本当に治るのかもわからない。
リーゼロッテにだって、今からならまだやめると言える。だから、少しでも長い時間、そばにいた方がいいのではないか。
「ここに残るよ」と喉まで出かかったとき、アキヒロとメグミの最期が、何もできなかった悔しさとともに、脳裏によみがえる。
そのまま放置して、治ることはない。だから、ここに残る選択をすれば、メアリーは確実に死んでしまう。
一文無しで転がっていた自分を拾ってくれた、衣食住すべてを提供してくれたメアリーを見殺しにしていいのか。
アキヒロとメグミが死んだときは、どれだけ足掻いても何の手がかりも掴めなかった。でも今は、消えてしまいそうなほどか細いが、わずかな光が見えている。
なら、そのわずかな光を追わずに諦める理由はない。
覚悟の決まったハルトは、自然と抱きかかえていたメアリーをゆっくりと離す。
メアリーは笑顔を作ることもできず、荒い息を吐きながら苦しそうな表情を浮かべる。本当に限界なのだが、それでも気丈に、自分の脚で立った。
ハルトは不器用に笑い、話しかける。
「メアリー。俺はメアリーを治す薬を絶対に持ってくる。だから、しばらく待っていてくれ」
しっかりとメアリーの目を見て、そう言った。彼女の淡い紫色の瞳は少し困惑したように揺れ動いていたが、覚悟を決めたのか、はっきりとした視線で見つめ返してきた。そして、いつもの柔和な笑顔を向けた。
「わかりました。私、待ってます。絶対に、絶対に帰ってきてくださいね」
「ああ、約束する」
ハルトは深く頷き、メアリーから離れた。先ほどまで抱きかかえられていたことを思い出したのか、少し頬を赤らめている。ハルトもメアリーの温かさを思い出して、彼女を直視できなかった。




