第13話 彼のことが心配
「う……ん……」
メアリーが目を覚ますと、視界に見慣れた自室の天井が映る。
体が熱くて腰が痛い。寝返りを打とうとするが、それも億劫になるほど体は重たかった。そのまま、ぼやけた視界でボーっと天井を眺めながら、ゆっくりと最後の記憶を思い返す。
ハルトをいつものように迎えに行って、そこで出会ったリーゼロッテと少し話をして――
(あれ? 私、いつ帰ってきたんでしたっけ……?)
その後のことがまったく思い出せない。
メアリーは時間を確認するために起き上がろうとするが、体が自分のものとは思えないほど重く、何かに縛られているのかと思うほど自由が利かなかった。
しばらく奮闘して何とか起き上がる。まだはっきりとしない視界に映るのは、小さいながらも整理整頓された、見慣れた自分の部屋。
メアリーはベッドのふちに腰かけ、途切れた記憶を思い出そうとする。だが、リーゼロッテと話した後の記憶が曖昧だった。
なぜこんなことになっているのか。必死に思い出そうとしていると、控えめに扉がノックされる。
メアリーは立ち上がり扉を開けようとしたが、体が鉛のように重くて立ち上がることすらできなかった。
しばらくすると扉が開き、暗い表情の母親が入ってくる。
その母親は、愛娘が起き上がっていることに気がつくと息を飲み、目を大きく開く。
「メアリー!」
急いで駆け寄り、そこにいることを確かめるかのように娘をきつく抱きしめた。
「よかった、気がついてよかったよ!」
「く、苦しいですよ」
戸惑うメアリーだが、母親がこれほどきつく抱きしめてくるということは、何かやらかしてしまったのだろう。
「本当によかった。あんた、家の前で倒れたんだよ!」
「え? そうなんです、か……?」
母親は震える声であの夜何が起こったのかを説明する。言葉を詰まらせながらも、家の前で倒れていたこと、そのまま数日間目を覚まさなかったことをメアリーに伝える。
静かにそれを聞いていたメアリーは、母親の話が終わると、「お母さん、ごめんなさい」といって、ゆっくりと頭を下げた。
「なに言ってんだい。あんたは頑張りすぎなんだよ」
「そんなことありません。私の体が弱いからこんなことになったんです。ハルトさんにも、ご迷惑をかけちゃいましたね」
「なに言ってんのあんた! あんなやつ、罰が当たればいいんだよ!!」
母親はハルトを激しく罵る。メアリーはことあるごとにハルトの悪口を言う両親が少し苦手だった。
あまりにも酷い言葉を投げ続ける母親を止めようと、メアリーは口を開く。しかし涙を流して自分の手を握る母親を見ると、何も言い返せなかった。
「ごめんなさい、お母さん。すぐに良くなりますから」
「いいのよ。あんたは私たちのためにずっと働いてくれていたんだから、今はゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます。あの、ハルトさんは、大丈夫ですか?」
それを聞いて、母親は深いため息を吐いた。
母親がこういう態度をとるのはわかっていた。だがメアリーは、それでもハルトのことが気になって仕方がなかった。
「知らないわ。あんたが倒れてから毎日外出してるわ。どうせ酒でも飲みに行ってるんでしょう」
さすがにそんなことはないと思いたかったが、ヤケ酒に走っている可能性もゼロではない。
(あまり飲みすぎてなければいいですけど)
自分のことよりも、まず他人のことを心配する。そんなところが、彼女が人に好かれる理由だった。
「あんな薄情なヤツのことは心配しなくていいわ」
「ハルトさんは薄情な人間なんかじゃない」と言い返したかったが、体のだるさが増してきて、「はい」と短く言うにとどまった。
しばらくメアリーの手を握っていた母親は、「私が長居するとしんどいわね。横になってゆっくり休みなさい」と言い残し、部屋を出て行った。
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。
眠気はないが体はだるい。横になろうと体を動かしたところで、目の前にある鏡が目に入った。
メアリーの動きが止まる。
鏡に映る彼女の顔には、黒い斑点が無数に浮かび上がっていた。体を確認すると、腕にも、足にも、体中に広がっている。
心臓が信じられないほど早く脈を打ち、その音が耳まで響いてくる。思い出したかのように、体中から冷たい汗が吹き出す。
何が起こっているのかわからなくて、恐怖が体を包む。今見た光景を忘れたい一心で目を固く閉じ、体を倒す。
しかし、先ほど見た黒いあざだらけの自分の姿は頭から消えず、むしろ鮮明によみがえってくる。必死に頭から追い出そうとすると、代わりにハルトの顔が浮かんできた。
心がかつてないほど震えていても、彼のことを強く想う気持ちは変わらない。
母親はメアリーが倒れたのはハルトが何かしたせいだとまで言っていたが、彼の生活がいくら堕落しているとはいえ、人に手を出すような人間ではない。むしろ、他人だろうが命を賭して守る人間だ。
手をゆっくりと上げて、ぐっと握りこもうとする。だが、スプーンすら持てないのではないかと思うほど、力が入らなかった。
これが疲労から来る病でないことはわかる。
先ほどの母親の様子を思い返せば、答えは明白だった。
(死を覚悟すべき、なんですよね……)
そう結論付けると、不思議と胸のざわつきが収まり、頭がすっきりとしていく。投げやりになってはいけないが、悲観的になってもいけない。
少し落ち着いたメアリーは、自分のことよりもハルトのことが心配になった。もし自分に何かあれば、ハルトは部屋を追い出される。両親に頼み込んでも、ハルトが何かしたと思っている以上、効果はない。
そうなれば今度こそハルトは死んでしまうだろう。何とかならないかと考える。
自身が苦しいときでもハルトのことを考える。かつて彼に命を救ってもらったメアリーにとって、ハルトは自分の人生のすべてだった。




