バグダード - Baghdad - 4
◯アッバース国・首都直轄州・バグダード市・バグダード城壁・東門・隊長室(翌日・早朝)
東門守備隊長と東門守備隊副官、請願者たちがテーブルを囲んでいる。
請願者たち──商人組合長、市場監督官、イマームは、守備隊長を説得できぬまま夜を明かし、憔悴して項垂れている。
守備隊長は、一睡もせず、腕を組んでいる。テーブルの上には、勅命の巻物が置かれている。
副官は、イスマイールの書簡の切れ端を手元で弄んでいる。
部屋の外から、ドアがノックされる。
副官がドアを開けに行く。
息を切らせた見張りの兵が、慌ただしく入室する。
「報告いたします!
門前にホラーサーン軍、およそ1万!
その上空に…その…、魔神が…4体…!
1体は、小さな子供を抱えております!」
守備隊長、立ち上がる。
「ムーサ総督だ…!」
見張りの兵「ホラーサーン軍の使者が、取り次ぎを求めております。
門楼までお越し下さい」
◯東門・門楼
守備隊長と副官、門楼に上がる。
城壁上では、既に配置についている銃兵と砲兵が、ホラーサーン軍の動きを注視している。
門楼から見下ろすと、薄い朝霧の中、環濠の向こうに一騎の使者が立っている。
その後方に、ターヒル将軍とイスマイール。
さらに後方には、軽騎兵が整然と並ぶ。
騎兵の間に配置された野砲の砲身が、朝日に照らされ鈍く光っている。
その上空には、白い長衣をはためかせている4人の仙道士たち。
その1人は、猿ぐつわを噛まされ、縄で縛られた総督ムーサを抱えている。
守備隊長、使者に向かって叫ぶ。
「私が門を預かる者だ!」
使者「イスマイール殿下の言葉をお伝えする!
ホラーサーン軍は、
市民の安全と財産を保証する。
市場の秩序を維持する。
降伏した兵は罪に問わぬ。
ムーサ殿下もご無事である。
イスマイール殿下は、無益な流血を望まぬ!
門を開けよ!」
守備隊長「私は、門を開ける権限を持たぬ!」
使者「バグダードを戦火に晒すおつもりか!」
守備隊長「私は勅命に従うのみ!」
守備隊長、踵を返し、階段を降りていく。
副官、門楼から東方を一瞬見渡してから、守備隊長の後を追う。
副官、呟く。
「…市街地も農地も荒らされていない…」
◯東門・門前・イスマイール軍
イスマイール、どこか満足気に言う。
「職務に忠実な者だ」
ターヒル「…こちらとしては、やりにくい相手ですな。
──砲撃を開始しますか?」
イスマイール「…いや、しばらく待とう」
イスマイール、固く閉ざされた東門を見つめ、ゆっくりと城壁を見上げる。
「〝平安の都〟マディーナ・アッ=サラーム──
俺とラフィの喧嘩ごときで、この美しく豊かな円城都市を破壊したくない」
ターヒル将軍、太い腕を組む。
「後は…他の者共が動くかどうか…」
◯東門・隊長室
戻った守備隊長、請願者たちに告げる。
「間もなく、ホラーサーン軍の攻撃が始まる。
今のうちに、速やかにお帰りください」
商人組合長、悲鳴のように叫ぶ。
「守備隊長殿ー!!」
真っ青になって、守備隊長に取り縋る。
商人組合長「戦になれば、商品が全て燃えてしまいます! 全て!
市場が壊滅しますぞ!!」
市場監督官「市場の秩序は限界です。戦になれば、暴動へ発展しかねません」
イマーム「人々が血を流すようなことは避けるべきです」
守備隊長「私とて市民を見捨てるつもりはない。
だが、私はカリフの勅命を受けている」
市場監督官が立ち上がる。
「…私は、市民の窮状を何度も宮廷に訴えました。
しかし、有効な手立ては示されませんでした。
今も宮廷軍は現れておりません。
私には、もはや宮廷が市民を救う術を持っているようには見えません」
しん、となる。
イマーム「守備隊長殿は、カリフ陛下よりこの門を預かるお立場。その責務が重いことは、私も理解しております。
ですが、市民を救うために門を開くことが、直ちに反逆になると私は考えません。
無益な流血を避けることは、神の御心に適うものであります」
市場監督官「戦になれば、城外の市民が犠牲になります。
今や、市民を戦火から救えるのは、守備隊長殿だけです」
守備隊長「しかし…」
部屋の中を、せわしなく歩き回る。
それまで黙っていた副官が、静かに口を開く。
「──隊長、私の意見を申し上げても?」
守備隊長、立ち止まる。
副官「ムーサ総督を安全に宮廷へ帰還させる策ですが──何度検討しても、一つの解に行き着いてしまいます」
守備隊長「…その解とは?」
副官「──ホラーサーン軍に、ムーサ総督を黄金門宮へお連れさせること」
守備隊長「それは──! 開門するということではないか!」
副官「はい」
守備隊長「カリフは命に代えても門を守れとお命じなのだ!」
副官「はい。
ですが、ここでホラーサーン軍と干戈を交えても、我々は負けます」
皆が、副官を見る。
副官「城壁は堅固です。
しかし、兵の士気が著しく低い。
ホラーサーン軍は〝魔神〟に守られており、砲撃さえ届かない。
ムーサ総督を無傷で奪還することも不可能でしょう。
何より、この戦には、大義がない。
大義なき戦で、無益な血が流れ、都が荒廃する──」
副官、懐からイスマイールの書簡の切れ端を取り出し、守備隊長に差し出す。
「ならば、私は──皇太子殿下に賭けてみたい」
守備隊長、差し出された書簡の切れ端と、テーブルの勅命の巻物とを見比べる。
ゆっくりと、窓の外へ目を向ける。
住宅街と市場には炊事の煙が立ち、人々は日常の営みを始めている。
──ホラーサーン軍が到着しているというのに。
脳裏に、ビラの一節がよぎる。
『汝らの家を傷つけず、財産を奪わず、血を流さぬことを神に誓う』
続いて、仙道士の声が蘇る。
「イスマイール殿下は、アッバースの民の安全を常に考えてイル」
守備隊長、力が抜けたように椅子へ腰を下ろす。
「…門を守ることが、都を守る唯一の道だと──そう信じていた」
勅命の巻物を見つめる。
「…それが、この都を戦火に巻き込もうとはな…」
額に手を当てうつむく。
「カリフの勅命に逆らって…、都を守り、市民を守り、ムーサ総督を守り…」
口を歪め、自嘲する。
「──その果てに…背命した反逆者として処刑されるか」
イマーム「ならば我らも共に裁きを受けましょう」
副官「私もお供します」
守備隊長、副官を見上げる。
副官、微笑む。
「宮廷に罪を問われたら、ムーサ総督を盾に取られたとでも弁明しましょう。恩赦もあるやもしれません」
守備隊長、かすかに笑みを返す。
「…お前の策に乗ろう…」
皆が見つめる中、守備隊長、立ち上がる。
◯東門・門前
ギガガガ…ガラン
門の内側で、巨大な閂が外される音が響く。
イスマイール軍が固唾を呑んで見つめる中、
ギギギギギィ…
巨大な鉄の門が──ゆっくり開け放たれる。




