バグダード - Baghdad - 3
◯アッバース国・首都直轄州・バグダード市・バグダード城壁・東門・望楼(日替わり)
東方を見張っていた兵1が、隣の兵をつつく。
「なあ、あれ…」
見張りの兵2「うん?」
見張りの兵1の指す地平線の上に、薄茶色の帯が浮いている。
見張りの兵2「…ホラーサーン軍の土煙だ。
守備隊長に報告してくる」
◯東門・詰所・食堂(夜)
守備兵たちが、がやがやと夕食をとっている。
皆、ホラーサーン軍接近の話題で持ちきりとなっている。
守備兵1「ホラーサーンの騎馬隊って、アッバース最強なんだろ?」
守備兵2「ああ。しかも、今回は魔神が加勢してるって」
守備兵3「魔神…本当にいたのかよ」
守備兵4「オレら、魔神と戦うのか? マジで?」
守備兵2「近衛軍が出ないんだから、最初に当たるのは俺らだろ」
守備兵4「冗談じゃねぇぞ。
もう、さっさと門を通ってもらおうぜ。皇太子は攻撃しないって言ってんだろ?」
守備兵1「しっ。副官殿だ」
夕食の盆を持った東門守備隊副官が、無言で一瞥し、そのまま通り過ぎていく。
守備兵1「…怖っ。切れ者らしいから、顔を覚えられないように気を付けろ」
別のテーブルでは、若い守備兵が周囲を見回し、自分のパンを布に包む。
守備兵5「今日も食わないのか?」
若い守備兵「弟や妹が待ってるから」
守備兵5「お前のうち大家族だもんな」
若い守備兵「ああ。市場でもなかなか手に入らなくて」
守備兵5、急に若い守備兵の手を押さえる。
「まずい、隠せ。副官殿だ」
副官、二人を一瞥し、そのまま通り過ぎていく。
◯バグダード市・全域(日替わり・朝)
市内全域の上空から、再びイスマイールのビラが撒かれる。
◯バグダード市・バグダード円城外・東岸ルサファ地区・モスク(午後)
街の中心部にあるモスクの境内。
礼拝を終えたイマームが人々に向き直り、両手を掲げ、静かに祈る。
「慈悲深き神よ。
この都に平安を与え、飢える者を養いたまえ」
人々が一斉に唱和する。
「アーミーン──神よ、祈りをお聞き届けください」
祈りが終わっても、誰一人その場を去ろうとはせず、不安を口にし始める。
市民1「今朝またビラが降ってきたな」
市民2「裕福な商人は店を畳んで逃げていく。わしらにはそんな金もないし…」
市民3「昨日も今日もパンが買えなかった」
イマーム、人々を見渡し、静かに言う。
「『神は忍耐する者を愛される』(クルアーン第3章146節)」
市民4「しかし、忍耐にも限度があります」
市民5「役人に訴えても何も変わらない」
市民6「戦になれば私らの家はどうなるのです」
老人が、震え声で呟く。
「ここは、バグダードの東の端。ホラーサーン軍に真っ先に蹂躙されよう」
露天商をしている男が、ビラをイマームに見せる。
「皇太子殿下は、ビラに『市民に危害を加えない』と書いています。『略奪も行わない』と」
市民7「攻めてくる奴の言葉など信じられるか」
露天商「なら、宮廷は俺らを助けるか? カリフの軍は来たか?」
市民7、ぐっと黙る。
露天商、イマームに嘆願する。
「イマーム様、
俺たちは、戦を望んでいません。
皇太子殿下は、東門を開けるよう呼び掛けています。
もし開けなかったら、攻城戦になってルサファが戦場になるかもしれない。
どうか、東門を開けてホラーサーン軍を通すよう、東門の隊長殿を説得していただけませんか」
人々が、顔を見合わせる。
露天商「俺たちの言葉は聞いてもらえないかもしれないが、あなたのお言葉なら……」
老婆が涙ぐみながら手を合わせる。
「私は、孫を戦火に巻き込みたくない…」
住民たちが、次々と頭を下げる。
イマーム、白い髭を撫でながら、しばらく空を見上げる。
東方の、濃くなっていく土煙を眺める。
やがて、静かにうなずく。
「承知した。
他のイマームたちにも相談してみよう」
◯バグダード市・バグダード城壁・東門・隊長室(夜)
東門の上階にある隊長室。
副官が夕食を運び込み、テーブルに置く。
「見張りが、東方に野営火を確認しました。
ホラーサーン軍は明朝到着と判断し、砲兵と銃兵の配置を指示しておきました」
「いつもながら、仕事が早いな」
守備隊長、窓辺へ向かう。
東方の暗闇に、無数の火が瞬いているのが見える。
守備隊長、野営火からホラーサーン軍の規模と位置を見定めながら、
「門を堅守するはともかく、
いかにしてムーサ総督をお救いすればいいか…。
何か策はあるか?」
副官も窓に近付く。
「勅命を受けて以来ずっと考えておりますが、
この目で総督のご様子を見ないことには」
守備隊長「また、ビラが撒かれたな。
ホラーサーン軍は、あのビラの通りに行動すると思うか?」
副官「ビラは、陽動でしょう」
守備隊長、暗い顔をする。
「…明朝、市街地は戦場になるか」
守備隊長、テーブルに戻ろうと振り返り、息を呑む。
部屋に、白い長衣の男が立っている。
「何奴!?」
守備隊長と副官、剣の柄に手を掛ける。
白い長衣の男、片言のフスハー語で、尋ねる。
「東門守備隊長カ?」
柄から手を放さず、守備隊長、うなずく。
白い長衣の男、イスマイールの書簡を差し出す。
「明朝、ホラーサーン軍ハ、バグダード市ニ到達スル。
イスマイール殿下ハ、東門ヲ開放シタ者ノ安全ヲ保証スル」
「たわけたことを!」
副官が剣で斬りかかる。
ふわりと男が身をかわす。
剣は書簡だけを裂き、切れ端が床へ舞い落ちる。
守備隊長、エスペラント語で質問する。
「貴殿は、何者だ? 魔神なのか?」
男、少しためらった後に、唐語訛りのエスペラント語で返答する。
「…唐国、仙道士。
イスマイール殿下と契約してイル」
守備隊長、剣を抜いて踏み込み、仙道士の胸元に突きつける。
「仙道士とやら、命が惜しくば正直に答えろ。
ホラーサーン軍がバグダードに入れば、市民に何をする?」
仙道士、即答する。
「何モ」
守備隊長を見据える。
「軍議の議題は、『バグダードの無血開城』に終始してイル。
イスマイール殿下は、アッバースの民の安全を常に考えてイル」
部屋の外から、ドアがノックされる。
仙道士、掻き消える。
ドアの外から部下が声をかける。
「守備隊長殿。
商人組合長殿、市場監督官殿、イマーム殿が、請願に参っております。
大至急とのことです」




