バグダード - Baghdad - 2
◯アッバース国・首都直轄州・バグダード市・バグダード円城外・カルフ地区・南部・市場(数日後・午前)
パン屋の前に長蛇の列ができている。
買い物客1「もう残ってないのか?」
パン屋「今日の分はここまでだ!」
買い物客2「まだ昼前だぞ!」
買い物客3「値段を釣り上げた上に、出し惜しみか!?」
パン屋「小麦が入ってこねえんだ!」
買い物客4「散々待たせて、それかよ!」
買い物客5「ふざけるな!」
並んでいた客から、不満の声が次々と上がる。
◯バグダード市・バグダード円城外・東岸ルサファ地区
円城から東、バグダード市を流れる大河の東岸に広がる市民の生活圏、ルサファ地区。
モスクを中心に市場や住宅街が連なり、その周辺には農地が続いている。
東の地平線から、騎兵隊がホラーサーン街道を駆けてくる。
隊列は乱れ、兵の顔色も悪い。
父親の畑仕事を手伝っていた男の子が、騎兵隊を指さす。
「お父さん、兵隊さんだよ。僕たちを守ってくれるの?」
父「…あれは、戦に敗れて逃げてきた兵たちだ」
騎兵隊、円城に向かって一目散に駆けていく。
◯バグダード市・黄金門宮・外廷・宰相府(午後)
泥と汗にまみれたマルワーン司令官が、ファドル宰相の前に膝をつく。
「申し上げます。
レイにて、ホラーサーン軍と交戦。
仙道士の魔法により、砲撃・銃撃ともに効果なし。
軍は壊走。
ホラーサーン軍は、バグダードへ進軍中。
数日のうちに円城へ達するものと思われます」
ファドル「…迎撃の軍は出せぬのか?」
マルワーン、頭を低くする。
「…レイで壊走した兵が、未だ再集結しとりません」
ファドル「…近衛軍と守備隊がおるではないか!?」
マルワーン、さらに身を縮める。
「…恐れながら、近衛軍と守備隊を合わせても、ホラーサーン軍は止められぬでしょう…」
ファドル宰相、しばし沈黙した後、口を開く。
「ムーサ殿下は、今も敵の手中か」
マルワーン「はっ」
ファドル「御母后陛下は、ムーサ殿下が捕らわれたことに心を痛めておられる。
何としてもお救い申し上げねばならん」
マルワーン司令官、沈痛な面持ちで頭を垂れる。
ファドル「ホラーサーン軍を円城へ入れるわけにはいかぬ。
ムーサ殿下も、一刻も早く救出せねばならん」
マルワーン「……」
ファドル宰相、側近へ向き直る。
「書記官を呼べ。
直ちに勅令を起草させる」
◯バグダード市・バグダード城壁・東門・門楼(夕方)
東門守備隊長が門楼の壁に寄りかかり、東の地平線を見つめている。
東から通じるホラーサーン街道は、城壁を取り囲む環濠に遮られる。
門へ至るには橋を渡り、狭い門前を突破するしかない。
第一の門を抜けても、第二の城壁と門が行く手を阻む。
城壁上には銃兵と砲兵が並び、さらに二重の城壁に挟まれた空間には騎兵も待機している。
守備隊長(…環濠円城の守りは完璧だ)
風に乗って、城壁を巡回する守備兵の会話が聞こえてくる。
守備兵1「こんな時期に東門配備なんて、貧乏くじ引いちまった」
守備兵2「俺なんか、先週子供が生まれたばっかだぞ」
守備兵3、声をひそめる。
「この前のビラさ、あっという間に回収されちまったけど、読んだ奴が居るんだよ。
『お前たちが攻撃しなければ、こっちも攻撃しない』と書いてあったんだと」
守備兵2「それ本当か!?」
守備兵1「そもそもさ、カリフが先代カリフの協定を破ったのが原因だろ?
俺ら、とばっちりだよな」
守備隊長、守備兵たちを見下ろす。
階段を上がってきた東門守備隊副官も足を止める。
守備隊長「…聞こえたか」
副官、一瞬だけ守備兵たちへ視線を向け、
「宮廷より使者が参りました」
ほどなくして、漆黒の外套を羽織った使者が階段を上がってくる。
使者、守備隊長の前で立ち止まる。
「東門守備隊長殿に、カリフ陛下の勅命をお届けする」
革筒から巻紙を取り出す。
封泥にカリフの印章が押されている。
守備隊長、膝をつき、両手で受け取る。
使者、周囲の守備兵たちを見回し、写しを読み上げる。
「カリフ・ラフィ陛下の勅命である。
『ホラーサーン門を堅守せよ。
敵軍を一歩たりとも城内に入れることなかれ。
併せて、ムーサ総督の救出に努めよ。
諸隊は望楼および城壁を死守し、持ち場を離れることを禁ず。
命に代えても門を守れ』」
守備隊長、副官、守備兵たちが頭を垂れる。
守備隊長「──確かに承りました」
◯バグダード市・バグダード円城外・カルフ地区・南部・倉庫街(日替わり)
穀物商の焼きレンガ造りの大倉庫を、大勢の市民が取り囲んでいる。
市民1「小麦を売ってくれ!」
市民2「どっかに隠してんだろ!?」
警備にあたっている従業員たちが叫ぶ。
「こちらでは、販売していません!
市場の店舗へお問い合わせください!」
市民3「店の棚がカラだから、こっちに来てんだろが!」
市民4「子供が腹を空かせてるんだ! 早く出せよ!」
石が飛ぶ。
従業員の一人に当たり、額から血が流れる。
警吏を従えた市場監督官が走ってくる。
「何をしている! 解散せよ!」
市民5「市場監督官だ! 逃げろ!」
市民6「警吏も居るぞ!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ出した市民を、警吏たちが追う。
市場監督官、額を押さえてうずくまる従業員に駆け寄る。
「大丈夫か!?」
従業員「…他の商人の倉庫も、襲われています。
皆、飢えて気が立っているんです。
このままじゃ、暴動になりますよ」
市場監督官、苦々しく返す。
「…私も、宮廷に何度も訴えているが…。
『在庫が急に無くなるはずがない。流通の目詰まりを解消して調整せよ』との返答しかない」
従業員「開戦の噂で隊商が止まってるから、モノが無くなって当然なんです!」
従業員、すがるように尋ねる。
「監督官殿、皇太子殿下のビラは…本当ですか?
『ホラーサーン軍は、略奪や危害を加えない』って書いてありました。
抵抗せずに門を開ければ、市場はこれ以上被害を受けずに済みますか…?」
市場監督官、周囲を見回す。
「…滅多なことを言うな」
◯カルフ地区・南部・市場付近の住宅街・市場監督官宅(夕方)
市場監督官、市場からほど近い自宅に帰宅する。
玄関をくぐり、水盤のある中庭を通り抜け、居間に向かう──途中で、ぼんやりとした白い人影が目に入る。
市場監督官「!?」
中庭の中空に、白い長衣の男が浮かんでいる。
市場監督官、自分の目をこする。
白い長衣の男、片言のフスハー語で、尋ねる。
「市場監督官カ?」
市場監督官、声も出せずにうなずく。
白い長衣の男、イスマイールの書簡を差し出す。
「イスマイール殿下ハ、市場ノ秩序ノ回復ヲ約束スル。
ホラーサーン軍ガ入城スレバ、流通ハ速ヤカニ再開スルダロウ」
市場監督官、書簡を受け取ったまま、動けない。
白い長衣の男、掻き消える。




