58-血戦
「うふ、うふふふふ」
蠢き、解け、散り散りになった雲が笑う。
空すべてを覆っていた赤は、もう名残すらない。
彼女という1つの世界は、再び人の形に戻っていた。
「スカーレットはここで果てるのかしら?
えぇ、ならばそれでも構わない。
わたくしは読むの。苦悩に満ちた物語を。
この血を燃やし尽くしてでも、その結末を!」
いた。未だ赤い空に、はっきりと彼女の形が浮かび上がる。
なおも辺りを侵食していると錯覚するほどの圧力だ。
しかし、もはやスカーレットは怪物ではない。魔王ではない。神の如きものではない。人だ。中身がどうあれ、其の形は正しく人である。
「えぇ。えぇ! 今の状態では、この姿は保てない。
でもいいわ。とても楽しいわ。御伽噺や芸術品ではない、生の英雄譚の中に、わたくしはいる。彼らが悪を打ち倒す場面に、立ち会っている。なんて得難い経験かしら」
華やかなドレスの吸血鬼。王杖を携えし街の支配者。
女王スカーレットは、異形を転じてこの地に再臨した。
心なしか、空気に含まれていた血の存在も弱まり、爽やかな香りや涼けさも戻ってきているようだ。
「テメェが、その悪だ!!」
彼女を囲むのは、集い生き残る5人の英傑。
苦痛苦悩に塗れながらも、なお立ち上がり人で在るもの。
向けられる刀剣や杖、魔法陣に包囲されるスカーレットは、ベルの叫びに応じてドレスの裾を持ち上げる。
「スカーレット・ヴァン・ルージュが応じましょう。
貴方たちの輝きを、誇りを、矜持を、覚悟を、錆びつかせないよう。この芸術的な御伽噺は、生命の血脈に刻みますわ」
女王の宣言と共に、英雄譚は幕を開ける。
真っ先に飛び出したのはベルだ。さらに死を繰り返した彼は、もはやどんな状況にも恐れを抱かない。
杖を回し、空を走り、ひび割れた体で目から血を流しながら、無理にでも力を引き出す。
「もっと見せろ、師匠。オレに、魔術を……!!」
「陰陽道、黒魔術、それに巫術は準備が不可欠。
だから今は、これを見せるよ。
あなたはもう、ほぼ習得している気がするけど」
スカーレットに向かうベルは、止められない。
ならば即席だろうと教えるが吉だ。
シエルはわずかに逡巡するも、すぐに覚悟を決めると、淡々と告げ、実演してみせる。
「――魔術式。その場で0から組み立てる、他より難易度が高い代わりに応用の利く魔術。基礎魔術が最も神秘に近い魔術の原型なら、これは最も神秘を蔑ろにする魔術の到達点」
伸びた指が、空をなぞる。描かれるのは揺らめく術式。
固定の式や内容がなく、属性や形状はもちろん、陣という型や発射地点を手放した分の制御も、すべてを描く自由な魔術だ。
「これは、支配。石に込めるルーン、本に染み込ませる魔導書、木で火を灯すような錬金術。そういった他の魔術のどれとも違う、借り受けず操り、力を引き出す魔術」
以前、ベルの腕に巻き付いて、結果的に魔法陣のような形になった式だが、シエルのそれは、正しく魔術式だった。
撃ち出すのではなく、術式そのものが魔術。
キラキラ輝き出したかと思うと、指の動きに合わせて尖り、まとまり、光の矢に変じる。
「結論【黎明】」
パァン。と矢は弾けて射出され、中空から彼らを見下ろすスカーレットに命中する。地上から掬い上げる軌道を描いた矢だ。避ける間も与えず、顎から右目通って眉まで切り裂いていた。
「……うふ。あなたも無茶を、しますわね」
流れた血を舐め、スカーレットは笑う。
弾けたのは矢だけではなかった。今回に限って言えば、撃ち出した土台は魔法陣ではなく自身の腕。
術自体の負担も合わせて、シエルの腕はズタズタになり、指もバラバラに折れ広がっている。
この時点で血が蠢き治されていくが、痛みは消えない。
それを見て実践しようとする者など、いる訳がない。
「結構距離あんのに声が響いてきた……ありゃあん時のやつだな。魔術式ってのか……おっけ覚えた!
次は、正しく使ってぶっ殺す!!」
ベルのような、狂気的なモノでなければ。
肉薄するリチャードが斬り込む中、彼は距離を保って空に立つ。左手にはペラペラとめくれる魔導書。
適当な火球を放ち、力になれない時間を発生させずに挑戦的な魔道に挑む。
「魔術式、構築開始」
~~~~~~~~~~
「前衛1人、後衛3人……中々の偏りだけど、勇者だからこそできるのかな? 志1つで、こうも変わるとはね」
死闘を離れた舞台袖、物陰に佇むシスイがつぶやく。
目の前ではシエルが倒れ込み、頭上には鮮烈な光が走っていた。人の身では届かない場所。もはや神秘ではなく、勇士とは言えない侍は、今。
「遠いな、あの子は。今の僕には、特に」
久方ぶりの相棒に手を添え、儚げに微笑んでいた。
以前と違い、その様子に死へ突き進まんとする気配はない。
しかし、故に、だからこそ。すべてを受け入れたもの特有の、静かな死の気配を、身に宿していた。
「戦ろうか、"海鳴り"」
刀は抜かれていた。納刀していたはずなのに、最初からそうであったかのように、不思議な音を響かせている。
低くはない。むしろ高く、キィーンと近くでガラスのコップが響いていると錯覚するものだ。
集中を促すためか、意識が遠のくためか。
世界からは色が失われ、大地が揺れ動く。
際立つのはただ1つ。空に広がる赤い女。
「ぐっ……シスイさん!?」
「あはは、シエルちゃんだったかな? ごめんねぇ。
ただの人に戻ったからか、ちょっと制御ができなくて」
過剰に力を引き出された刀が響き、付近のすべてを苛む。
耳を押さえるシエルに、侍はニタリと背筋が凍る笑顔を向けていた。
「もう死ねるのに、もう自由なのに。数百年の記憶がぐるぐる回って、何が何だか……おや? 思考がクリアになった」
狂気は一瞬だった。引きつった笑顔は穏やかな表情に戻り、刀はさざ波だけを鳴らしている。
「まともに戦えない、あたしだけど。人の運命を左右するのは、得意なの。全部斬っちゃってシスイさん」
倒れるシエルが、小さな星座が回る腕を伸ばしていた。
重力にベコベコと凹み、震えながらも真っ直ぐと。
つまりはそういうこと。
星は見た。シスイが正しく女王に挑む光景を。
大いなる流れは、歯車のズレを整え、彼女をこの場に味方として立たせた。
「はは……1つ聞くけど、僕の記憶は封じられるかい?」
「できないよ。星はただ、世界を見つめるだけ。
あたしは流れを整えるだけだから」
「そうか。苦しいけど、安心したよ。
……うん、任せてくれ。僕は彼女に死を贈ろう」
切っ先を地面に向けるシスイは、目を閉じ脱力する。
ゆらりゆらりと、体は水面に同調するようだった。
「死とは自我の霧散である。
故に、私は万物に意識を溶かす」
「今のあなたって、普通の人間なんじゃ……」
「そうだね。だけどこれは、僕を表す在り方。
無意味ではあるけど、無価値じゃない」
凪いだ水面に光が反射する。そんな錯覚を覚えるほど、景色に反して空気は微動だにしない。
刀は水平に構えられ、切っ先をスカーレットに向けていた。
「"死は須らく我が延長"」
つぶやくと同時に、刺突が放たれる。遠く遠くから、小さな女に向けての一射。普通に考えて、決して届くことはない。
それは敵が巨大だろうと、同じことだ。
相手が人サイズなら、結果を見ることもできなかった。
だからこれは、ただの錯覚。あるいは願望。
視界いっぱいに広がる真紅の海に、ぽつんと浮かぶパン粉のようなその姿。人とすら認識できないそれが、わずかに形を変えた気がした。真偽は不明。結果は不確。
けれども真実、そう思わせるだけのオーラが、人に堕ちたはずの彼女にはあった。神秘でなくなろうとも、彼女の本質はなお死を追う放浪者。これこそが、自身の名を以て死を託す一突き。
"死水"
~~~~~~~~~
世を彩るは数多の理論。空には赤を塗り潰すが如く、様々な紋様が描かれていた。それらは必ずしも、円の形を成してはいない。真っ直ぐ伸びたものがあれば、カクカクと折れ曲がるものもあった。
ただ1つの共通点は、式であるということ。
この街の空は今、女王の血と共に少年の魔術が覆っていた。
もっとも、淡い模様でしかないため、赤を塗り潰せはしない。
魔術となる前では、手足のように周りの変化を感じ取れるだけである。些細な利点だが、街全体が敵である以上、馬鹿にならないものだった。そしてそれは、思わぬ成果を生み。
「っ……!?」
ベルはいち早く、それの到達に気が付いた。
「なんだ?」
思わず振り返りそうになり、体が硬直する。直前で堪えたのは、スカーレットに悟らせないためだろう。すぐに正体を悟ると、彼は最大限活用すべく力を高めていく。
「クソ、無茶した。空全体にとか、もうどこがどの術式なのかわかったもんじゃねぇな。体も上手く動かねぇ。
けど、全部使ぃやなんかできんだろ」
ものは試しと、ひたすら構築していた魔術式は、美しく夜空を彩るも扱いきれていない。制御ができず、けれどその手は離れず、体に絡みつき重くのしかかっているようだった。
しかし、構築自体はできているのだ。
魔術式というものを、彼は習得とは言えずとも覚えた。
確かに魔力がこもっているからこそ、スカーレットもそれに気が付けず、このチャンスを生んだと言える。
「全砲門発射! かっ飛ばすぜリチャード!!」
~~~~~~~~~~
異形より転じた女は、なおも天より人を見下ろしていた。
体が人であろうと、空気に含まれる彼女は減らないからだ。
足場は自在に、攻撃は無尽に。スカーレットは世界のすべてを使い、リチャードと神秘をぶつけ合う。
「さぁ、魂をぶつけ合いましょう。輝かしき貴方。
壊れ、砕け、喘ぎ、涙し、それでも立って前に進むの。
それこそが人の美しさ。世界が愛した英雄譚」
「人間はいつも勘違いしてしまう。胸躍る物語は空想の中のことで、現実では完璧を求めているということに」
シエルのお陰か、呆気ない幕引きを避けているのか。
もう肉体が爆散することはない。弾けるのは空気。あるいは鞭のようにしなる血の触手。
速すぎて一本とは思えないリチャードの剣と、弾ける血は、幾度もぶつかり火花を散らす。合間に渦巻く潮も、口を開ける大波も、彼を捉えることはできなかった。
どれも空気中の血から、ほぼ無から脈絡なく生まれているというのに、危うい場面は一度もない。
渦潮はその足で軽々踏破し、津波は一刀に斬り伏せている。
その様はまさに完璧。火力不足と評されようと、魔王クラスを相手に対等に戦えるという観点では、間違いなく理想を体現する勇者だった。
「あらあら、本当に戻ってしまったのかしら? でしたら、失い、苦しみ、それでも立ち上がれるようになってから出直してきなさい。わたくし、完全無欠の超人が、何の苦悩もなく爽快に無双するのなんて、趣味じゃありませんの」
スカーレットが手を差し伸べると、より細い糸がリチャードを囲む。張り巡らされた糸は回る球体となり、逃げ場を与えない。彼の手は切られ、足は爆発の余波で抉れていた。
が、その傷はすぐに治る。抉れた穴はぼんやりと光るもので覆われ、腕は無理やりくっつけられやはり微光を放っていた。血による強制治癒ではない、表面上の穴埋め。
逆に、穴はスカーレットの方に開いていた。
「苦しんでただろうが、こいつはさっきまで!!
オレが見た勇者の旅路は、失い続けた道だった!!」
発生源はベルだ。空で魔術式を構築していた彼は、その重みに潰れかけながらも、バラバラと少しずつ懸命に魔術を放ち始める。流し目を向けるスカーレットは、駄々っ子を宥めるように穏やかに語る。
「なにもわたくしだって、彼が何一つ失わずここまで来たとは言っておりませんわ。ただ実際、【勇者】リチャードは何も失っていないし苦悩もしていないでしょう?
目を逸らしているのだから。覚えるつもりがないのだから。
逃げ続けているのだから」
傷は受けている。しかし決して残らない。
大海に投げられる小石が如く、魔術は数秒だけ表面に揺らぎを生んで、飲み込まれていた。
「えぇ、えぇ。わたくし、その子の人生を見ましてよ。その血肉に刻まれた記憶を、たっぷり堪能いたしました。
が、実に下らないものでしたわ。
折れて壊れて従って機能して遵守して助けて助けて助けて。
逆らわない者の物語なんて、退屈極まりない」
「だ、ま、れぇッ……!!」
空から、雨霰と魔術が振り注ぐ。
それは雷であり、風。凍てつく暗海の炎。天を埋め尽くした魔術の式は、多くの属性を宿すが故に、ある1つの事柄を示した。すなわち、宇宙。
「堕ちろ、世界」
如何な星があるだろう。如何な環境があるだろう。
だが唯一、確実に存在するものがある。
それは、太陽。宇宙にありふれた、恒星という名の星空を廻すエンジン。
"太陽を落とす災厄"
空を覆い尽くす魔術式が、星空と見紛うものならば。
太陽は必ず生み出せる。無数の流星を伴って、巨大な日の玉はスカーレットに迫っていた。
「……あなた、わたくしがいなくてはとっくに死んでいますわよ? そのこと、わかっていらして?」
「今、勝てれば、それでいいッ!!」
表面が溶け、穴をボコボコと空けながらも、スカーレットは呆れ顔だ。無造作に左手を伸ばし、太陽を抑えて一定の距離以上は近付かせない。届くのは周りの小隕石のみだった。
通じてはいるが、効いていない。当然宣告も事実だろう。
規模の大きすぎる魔術を無理に使っているベルは、既に魔力が尽きていた。それでも使うのだから、活力やら精神力、あまつさえ肉体まで消費して全身をカラカラにしている。
骨しかないような腕が伸ばせているのも、落ち窪んだ目で敵が見えているのも、信じられないほどだ。
彼女が血肉を供給しているからこそ、まだ意識を保って魔術を維持できているのだろう。でなければ、構築の時点で塵になっていてもおかしくない。
あまりにも向こう見ず。無謀な自滅だ。
それ故、異質な存在感を放つ。
意識を引き寄せ、隙を作る。
「ですから、どのみちこれでは勝てないと……っ!?」
貫いた。死の点だ。腹部を穿たれたスカーレットは、初めて真っ当に血を流し、苦悶の表情を浮かべる。
揺れる視線は遠くへと。刀を突き出す侍を見た。
「ふふ、そう。戻って来たのね。けれどまだ、倒れてはあげないわ。壁が高ければ高いほど、英雄は輝くの。
それで尽きるならその程度。侮蔑と落胆を以て、血の女王が嗤いましょう。さもなくば、乗り越えわたくしを笑わせて。
英雄であるならば、それに相応しい偉業を」
「いつまでもごちゃごちゃと!!」
「あぁそれと」
一瞥すらなく、スカーレットは裁定を下す。
対象は、さらに力を込めて魔術を当てようとしていたベルだ。
「あなたはちゃんと、今どれほどの無茶をしているか知っておきなさいね? わたくしが相手でなければどうなるか」
リチャードに右腕を斬られながらも、彼女は告げた。
何もしてはいない。していないからこそ、限界は正しい形で受理される。
「っ……」
ベルは消えた。肉片の1つも、悲鳴すらも残さずに、完全に肉体が塵となってしまった。人が一人が消えた後に、勇者はそれでも動じず剣を振るう。
「ふ、あなたお仲間がどうなろうと気にならないの?」
追撃の死水に穴を開けられるスカーレットは、さらに左足を斬られ、胴体に肩から深く切り込みを入れられた。
度重なる神秘の攻撃。もはや目の焦点も合っていない。
「死とは何か、たまに考えるんだ。この、多くの生命が寿命を超越した世界で、死は何なのか」
「答えは出ているの?」
世界を奪われ、核を穿たれ、それでもまだ在る彼の者は魔王。危機にあっても微笑みを湛え、問答に応じながら血の嵐を巻き起こす。その、すべてを。リチャードは剣と拳で弾き飛ばし、スカーレットに肉薄した。
「少なくとも、肉体がすべてではない。俺もお前も、全身が消し飛ぼうと存在が尽きていなければ再生できるから」
「そうね。それで?」
リチャードの手足が爆発した。攻撃は不自然に逸れ、虚空に生えた血のトゲが体を絡め取る。決着は訪れない。
「あのガキの精神は、悪夢が捉えてる。
そうでなくとも、お前は折れない心を再誕させる。
保存してある、あのガキの血を使って」
遠くで何かの破裂する音が聞こえた。遅れて衝撃。
伸ばされていたスカーレットの腕を、何かが貫く。
迸る血は、直角に軌道を変えて真下に落ちる。重力だ。
凄まじい重力が左腕を襲い、彼女の腕は下がっていた。
その隙を見逃さず、リチャードは空を蹴る――
「えぇ、何度もそうしてきたものね。
それでも心配しないのは、人の心がなくってよ」
「勇者にその機能は必要ない」
無防備な女王を通り抜け、リチャードは空を落ちていく。
その身からはすっかり気迫が失われ、目を閉じる様は正しく子ども。ぽつぽつとつぶやきながら、頭からカルミンブルクに飛び込んでいた。
「役目は終わった。もういいか? もう、いいよな……?
あとは、お前が決着をつけろ」
「えぇ、えぇ。わたくしも、あなたの方が好みですわ。
踊りましょう、血の舞踏を」
そんな【勇者】を、【魔王】は何をするでもなく見送った。
女王が愛するは、肩書ではなく不屈の心。
全霊を以て愛でるは、起伏なき平坦な文献ではなく、波乱万丈の英雄譚なのだから。
彼女の目には、もう彼の姿しか映っていない。
「死がなくたって、弱きゃあんたを倒せない。ありがとよ、オレを対等にしてくれて。お礼に死装束で飾ってやるぜ」
塵となっていたベルが、残された細胞から再生している。
いや、させられている。再び蘇るのは、女王の憐れみか。
違う。生死を繰り返すだけで、只人が魔王を倒せるものか。
これは賞賛。あるいは認定。
平時決して出会えぬ者が、赤月の真下で相対す。
「今宵わたくしは、もうあなたを生き返らせない」
「残り滓になってようやくか? ムカつくぜ。いつか本当の対等になった時、せいぜい羨め戦れねぇことを」
彼らは互いに、少しの余裕も残していない。
削れ、削れ、削れ、削れ、その果てに究極の1を絞り出す。
「今度はちゃんと言葉にできる?」
「はは、むり」
笑う彼の手には魔導書。右手には魔力の杖を持ち、幾重にも重なる2種類の陣が、飛ぶルーンと共に星座を創る。
それは、多くの魔術を束ねる荒業。人の研鑽を繋ぐ十字路。
"繝医Μ繧ヲ繧、繧「"
スカーレットが抱く黒陽の頭上で、その奇跡は実現した。
すべての魔術が、1つも暴発することなく、彼の制御で振り注ぐ。
飛び回るルーン石による、火や風などの魔力爆撃。
魔導書から放たれる、一点集中の高火力熱線。
周りを囲む魔法陣が吐き出す、広範囲に迸る多属性の奔流。
錬金術が生み出す、縦横無尽の銀槍の雨。
星空はその多くの命中を定め、また軌道を飛ばして時空を曲げる。杖はそれらの統括者。本来交わらぬ神秘の技を、1つの魔術と定める偉業だ。
人の神秘は放たれた黒陽を散らし、貫き、次第にスカーレット本体へと押し寄せる。
「生物が死を経験できるのは、本来一度だけ。
あぁ、これでこそ殺し続けた甲斐があるというものですわ。
尋常ならざる体験が、あなたを英雄へと引き上げた!」
「感謝、できねぇな」
女王に襲いかかる衝撃。それらは未熟なれど、確かに神秘の込もった一撃だ。故に、瀬戸際に立つ彼女の存在を揺るがすには、十分すぎるものだった。
「必要ありませんわ。わたくしはただ、物語を好きに綴っただけ。これより幕を開けるあなたの英雄譚が、世に響き渡ることを勝手に願っているの」
斬った。世界がその事実に気が付くのに、優に5分以上。
存在が揺らいたことで、ようやく。スカーレットの体は頭頂から真っ二つになり、どぷんと赤い血潮を見せる。
穿たれた死の点も、白地に血痕が染み入るように、広がりを見せていた。だが、左右に離れていく口は、なお同期して言葉を紡ぐ。
「命とは、困難に抗い懸命に生きるもの。散る姿こそ、最も鮮烈にその個を表す存在証明。この美学を以て、貴方たちを讃えましょう。スカーレット・ヴァン・ルージュが認めます。貴方たちは紛れもなく英雄である、と」
決着は付いた。消えゆくスカーレットは、足掻きも藻掻きもせず、潔く世界に溶けている。これは勝利と言えるのだろうか。彼女の負けであるのだろうか。
いいや。いいや。先ほどの言葉通り、きっとこれは、綴られた物語に過ぎないのだろう。しかしどうあれ、1つの魔王種が消える事実は変わらない。吸血鬼の国と化していたカルミンブルクは今宵、永きに渡る支配から解放された。
数年に一度、下手したら数十年に一度あるかないかの、生産区が自治区へと変わろうとする瞬間である。




