57-戦いの舞台
"すべては我が手の中に"
手を掲げるアリババは、獰猛に笑いながらその名を呼ぶ。
自らの名。力の名。己を表す在り方の名を。
彼は神秘だ。救世の意思なき、時に勇士と呼ばれるものだ。
であるからこそ、その一言だけで彼は絶大な力を発揮する。
スカーレットが血を支配するように、シスイが他の神秘に身を染め力をコピーするように。彼はあらゆる物を盗み、それを使って目的を果たす。
「さぁ、これで付近の血は俺のもんだ」
盗んだのはコピー能力。またコピー済みだったスカーレットの能力。血の支配権を得た彼は、それらに自分たちへの危害を止めさせていた。
支配権を奪い返されない限り、ここで血を吸われることはない。もちろん、爆発することも。アリババは空気に混ぜられていた血も回収し、練習がてら周囲に足場を作っている。
「う……ここ、は」
「シスイさん!? 起きたの!?」
渦巻く血潮の中で、女性の声がした。
シエルは彼女と話したことがないものの、2人しかいないのだから聞き間違えようがない。
ザンカの里の侍、シスイは復活した。
まだ弱っているのか、返事はないが、それだけは確かなことだった。
「能力盗んだ詫びだ。血を吸われ続けてた状態も、ついでに盗んどいてやったぜ。今の俺は血を操れる。吸血なんざ効かねぇからな。おっと、デバフだけ盗めとか言うなよ?
この戦いでは、盗みの神秘が血を操る能力を手に入れることが重要だし、それじゃ俺が死ぬ」
とぐろを巻いていた血は、いくつかの束になってまとまり、遠心力で弛みながら花開く。
その中央で、アリババは息も絶え絶えのシスイを抱えて饒舌に喋っていた。
手を借りなければ、魔術でも回復できなかったのだ。
文句などない。震えながらも自分で体を支えるシスイは、彼を責めずに目尻を下げる。
「状況は、よく、わからないけれど……
どうせなら、僕の刀も、取ってきてくれないかい?」
「おー……そりゃたしかに。最優先か。
ちょっと待ってろ。ふん、ほらよ」
アリババは片目を閉じると、ごちゃごちゃと指を動かす。
1分ほどして、ドロリと開いた天井から降りてきたのは、血液の手に掲げられた刀だ。
一直線にシスイの元へ降ってくるそれは、以前と変わらない存在感を放っている。ゆっくりと手に取ったシスイは、首を傾げて困惑を隠せない。
「……どこから、出したのかな?」
「俺は今、この街だ。この街にあるもんなら何でも盗める。
とにかく、お前への借りは返したぜ」
「どうせ盗んだのもあなたでしょ?
巻き込んだことの埋め合わせができてないんじゃない?」
「シエル!! まーたテメェは!!」
現状有益だからといって、シエルは敵意をなくさない。
悪事を誤魔化そうとしたアリババは、即座に台無しにされて頬を引くつかせていた。
「っと、んなこた今どうでもい。
早速気づかれたぜ。奪い返されたら全滅だ」
付近の血はアリババの支配下だ。
しかし、視界の中でも少し離れたところの血は刃を形作り、密やかに殺意を向けてくる。
街のすべてを掌握できているとは言えず、それも気を抜けば奪い返される程度のものだろう。
スカーレット自体を倒さなければ、抵抗者に未来はない。
あるいは、血の支配権を丸ごと奪い盗ってしまわなければ。
「俺はここからあいつの全てを盗む。
お前らは加勢してきた方がいいんじゃねぇの」
「そうだね。行こう、シスイさん」
手を向けた先で蠢いていた血が、主導権を盗まれ沈黙する。
アリババだけができること。アリババがしなければならないこと。口の両端を下げるシエルは、不服そうながらも頷き、まだ座り込んでいるシスイを促していた。
「今の僕は、何の能力もない、ただの侍。
あの女王が相手じゃ、力になれないと思うよ」
コピー能力は失われ、長く断血状態だった体に力はない。
自身の願いも含め、シスイは自信なさげだ。
それはきっと、どちらも紛れもない真実だろう。
だが、シエルはたとえ無力でも構わない、といった態度で真っ直ぐ目を見据えている。
「うちのリチャードだって、特殊な力は持ってないよ。
純粋に強くなる。勇者に相応しい力を、行動を、保ち続ける。それだけが、あの子にできること」
だから、行こう。そう言わんばかりに、シエルは凛々しい顔で手を差し伸べる。あなたの強さは、無価値じゃないと。
あなたの努力は無意味じゃないと。
シエルは彼女のすべてを肯定しているようだった。
「……そうだね。幸い僕も、ようやく刀を取り戻せた。
戦力としては、大差なしかな」
ゆらりと起き上がるその身に、やはり力はない。
如何なる神秘も圧力もなく、すべては彼女の内から消え去っていた。
それでも、真なる星の導きを頼りに、彼女は成し遂げるのだろう。天を覆う影を払い、本来の星空を取り戻すことを。
故に人々は、救世の意思なき勇士にすらこう期待する。
――星を堕とせ、と。
~~~~~~~~~~
「……」
天にも地にも、おびただしい世界があった。
上には赤い空と、中で蠢く偽物の星。下には赤黒い街と、表面を覆う脈動。一面の空と、数十キロに渡る街に挟まれる中空。仰向けに浮かぶベルは、そのすべてを、一身に受けていた。
「圧巻だ」
ここは巨獣の口内だっただろうか。
神秘ではない、ただのちっぽけな人間に過ぎないベルは、為す術もなく幾度も噛み砕かれ、血肉を撒き散らしている。
しかし、この街で死ぬことは許されない。
飛び散った肉片は闇に消え、体は最も大きな肉塊から再生させられていた。
痛みに慣れることはない。苦しみが和らぐことはない。
それでも、心は鈍り、鉄の香りは日常になる。
「これが、英雄の景色だってか?」
目の前で繰り広げられるのは、リチャードとスカーレットの戦いだ。魔王は血という世界を操り、勇者は一度も死ぬことなく天も地も斬り捨てる。
それらは正しく規格外。神秘という力、現象そのものなのだから。借り受け使うだけの魔術とは、比べものにならない力だった。
「死んでも折れず、魂を燃やして、それでも片手間に殺され、戦いの相手にならない。そりゃ、人形遊びに使われる訳だ」
油断はなかった。ただ、疲労やストレスが限界を迎え、対処しきれなかっただけ。ほんの一呼吸程度、ついて行けなかっただけだ。
たったそれだけで、この有様。
勇者と魔王の激突の渦中では、立て直す間もなく死に続けるしかない。
「……これは、悔しいなぁ。シャノン、クーリエ」
既に殺された友を想う。見せつけられた死の瞬間を想う。
魔王の手にかからず、死を迎えられた幸運を、羨む。
スカーレットが全力で遊んでいる影響だろうか。
どうしてか今は、何度首がねじ切れても、頭が弾け飛んでも、意識は途切れていなかった。
「でも、止まれねぇよなぁ」
先ほど、街は殺された。吸血鬼ならともかく、人間で生きている者はいないだろう。目的面で、立ち向かう理由はもはやない。
「認められねぇよなぁ」
あるとすれば、それは信念。この状況を良しとせず、敵の存在そのものを容認しない、意思。
「許せねぇよなぁ」
怒り。未熟さを痛感してもなお、諦めに変換されない揺るぎない感情。ベルを何度も生き返らせるスカーレットだ。
人々もきっと、どこか別の場所にいる。
であれば、英雄は叫ぶべきだ。
過ぎたものでもなんでも、人の誇りを。
その純然たる激情を。
「なぁ、ベル!!」
直後、声に呼応するかのように街が止まった。
赤い空は凪いで広がり、どす黒い街は寝静まる。
まるで、正常な夜に戻ったかのよう。
「ハハ、ハッハハハハ……」
動きの止まった赤い空――スカーレットが両断された。
ど真ん中には巨大な穴。一太刀では、リチャードの斬撃だけではない。
おまけに、断面は今までと違いくっついていなかった。
彼女はどこか違う場所へ意識を向けている様子で、のた打ち回っている。
「ハハハハハハハッ!! 止まっていいのかよ? 自由にしていいのかよ? フハッ……あぁ、オレはこの機を逃さねぇ。
リベンジだ魔王!!」
空は死地より脱した。地上の街も同様だ。
人の身でも生き得る戦地は、より多くの戦士を招く。
「……ああいう子、だったかな? ベルくんって」
「何度も殺されて、生き返らされて……
少し、壊れてしまったみたいなの」
街の底、心臓部にいたシスイたちが浮上した。
仮死状態だった間の出来事を聞き、彼女もまた悲しげに目を伏せている。
「仇は討つよ、クーリエ。待っててね」
街の中、どうにか天変地異を凌いでいたフレイが照準を合わせる。戦場が安定すれば、何人たりともその目からは逃れられない。
「なぜ、血が……!?」
同じく、街。深い霧に飲まれた一角にて。
膝をつくアズールが、唇を噛め締め声を荒げる。
眼前には、妖艶な笑みを湛えたモルジアナが立っていた。
「盗んだのよ、アリババが。あの人自身に戦う力はないから、邪魔すれば簡単に防げたのに……
ただの人間に邪魔されて、残念だったわね?」
「ッ……!!」
反射で駆け出し、鎌を振るうも、直後にその首はナイフで飛ばされた。もはや眼中にないモルジアナは、それを一瞥すらせずに通り過ぎる。
「私の仕事はこれでおしまい。
あとは頑張ってね、勇者さま」
血の制御を失い、意識を分散させられ、ようやく対等。
これでベルたちは、まともに女王と戦える。
人形遊びでも蹂躙でもない、戦いの舞台に。
遂に彼らは立ったのだ。




