49-盤面制すは盗人の法
地下に広がる本来の街で、ベルたちが戦っている中。
頭上を覆う現在のカルミンブルクでは、血ではなく霧が街中に満ちていた。
それは、ある神秘が斬られた名残り。血の代わりに傷口からこぼれる流血だ。
「……」
霧の主――アズールは、屋根の上を音もなく走っている。
追手はいない。それなのに彼女は、鎌を片手に一心不乱に駆けており、何かから逃げているようだった。
「ッ!!」
吹き付けた霧に紛れて、肉が切られる音がした。
濃くなるのは左足の辺り。左足首が、切られていた。
よろめく彼女は、手をついて体勢を立て直すと、滑るように体を反転させて向きを変える。
「いな‥」
「いと思った? 後ろよ」
耳元で声。反射的に振り返り、飛び退る。
しかし、後ろを見た時にはもう、彼女は横にいた。
安定しない体勢からでは距離も取れず、抜き去られると同時に首が飛ぶ。
「ッ……!!」
「あなたは力を持っている。実際、私よりも強いのでしょう。けれど、触れるだけで殺せるあなたは、触れるため以上の技術を得る必要がなかった。極めに極めた同類に、純粋な暗殺技術で勝てると思う?」
飛んだ首は慣性のまま宙を舞い、軽やかに落下地点へ立ったモルジアナの手の内に収まる。この暗い赤の中で、小さな頭の軌道を読み、同時に到着するなど、まともではない。
それでも、あくまで人――普通の生物の一種に過ぎないのだと。淡々とした首が証明していた。
「それでもあなたは、決してアズールを殺せない。
あなたの技には、欠片も神秘が乗っていないから。
ダメージにすらならない、無駄なことよ」
「そうね? でも、他にやることもできることもないし、後少し付き合ってちょうだい」
「……?」
胡乱げな顔をする首は、シュワーっと溶けてどこかへ消える。離れたところに倒れていた体も、いつの間にか溶けてなくなっていた。まだ逃走を図るつもりなのか、迎撃に切り替えるのか。わからないモルジアナは、ナイフを切り払い、目を閉じて神経を張り巡らせている。
「そこ」
トン、と。ほんのかすかな音が鳴り、モルジアナはそれを目掛けてナイフを投げた。狙いは2つ隣の屋根の端。正確無比な投げナイフは、動いているであろう不可視の人物へ的確に迫り、直前、急に現れた鎌によって弾かれる。
「効かないのに何度も何度も……鬱陶しいわ」
実態化していても、神秘ではない攻撃などダメージにもならない。それでも鎌を出したのは、霧の状態であろうと、形がブレれば動きにくいから。仕方なく姿を現したアズールは、元通りの姿で不機嫌そうだ。
「……」
「アズールだって、戦いの中から学んでいるの。
あなたの奇襲は、もう効かない」
横で閃いた斬撃を、アズールが鎌で弾く。
胴体が曝け出されるが、ナイフは遠くに飛んでいった。
にも関わらず、モルジアナの手にはナイフが握られ、無防備な胸に突き立てられる。
「どこから、そのナイフが……!!」
「さっき自分では弾いたじゃない」
「計算して……!?」
心臓を穿ったナイフは、くるりと周り、それをくり抜く。
ドクンドクンと血を噴く臓器は、端から霧へと変わり消えていた。
「あなたは神秘なれど、柔らかく、儚い死。
私を阻むことはできない」
「何が、目的……!?」
復活したアズールは、今度は自分から攻撃を仕掛ける。
この無意味な足止めには、馬鹿にできない意味があると確信し、排除に動く。
「さぁ、なんでしょう?」
唇に手を当て、モルジアナは微笑む。
なんの力もない人間であるはずの彼女は、裾を霧に溶かして闇に紛れていた。ここからが本番。
互いに正面からぶつかれない戦いの始まりだ。
~~~~~~~~~~
「スカーレットちゃんと違って、現場を見ないと状況が掴めないんだ、私は」
城の外。ブライヤの前で、クレアが独り言つ。
生き返った部下やカーボンに対し、言ったのではない。
ブライヤに対してでもない。
では、完全に独り言だったのか? それも違う。
ブライヤからの隔離を終え、これより城内に戻って侵入者の鎮圧を行おうかというこの瞬間。
彼女の背後には、制服っぽい服装の少女――シエルがいた。
銀髪を揺らす落ち着いた識者は、なびく髪を抑えながら首を傾げている。
「じゃあ、中はどうなってると思う?」
気付かれている前提で、淡々と問う。
その声を聞き、クレア以外の吸血鬼たちも、ようやく彼女の存在に気が付いたようだ。弾かれたように顔を上げ、視線を集中させている。
カーボン、下級の吸血鬼と、敵ばかりのこの場所で。
杖を突き立てるシエルは、よそ風に吹かれているような安らかな顔をしていた。
「閉じられていたはずなんだ、この街は。でなければ、勇者は助けるべき人を取り戻してしまう。
君、どうやって出てきたのかな?」
金色の麗人が振り返る。焦りも恐れもない。
余裕ある態度から、まだ指示を出されていないカーボンたちも、神妙な面持ちをしていた。
「教えてあげる義理はないよ。あたしは決して、あなたに情報を与えない。何も分からないまま――」
その猶予を切り捨て、シエルは断じる。
杖が現れ、かすかに傾き。
「死んだらいいんじゃない?」
予備動作をそうと認識させず、杖から魔術が放たれる。
「ふ……緊張、切迫、ハッタリだね。
なのにどうしてかな。負けないという自信を感じる」
放たれたのは、シンプルな魔力弾。神秘を順応させ、人の形に適した魔力をただ打ち出すだけのもの。ただそれだけが、黄金のフラメルに回避を選ばせる。
体を反らして気を引き締める魔王種に、シエルは一切ブレずに言葉を返す。
「そりゃね。あたしは実技が苦手。戦闘能力が高いとは言えないでしょう。けれど敵は、同類の研究者と取るに足らない一般兵たち。無理に殺す必要がないのなら、相手するくらいのことは容易いよ」
続けて、布地を走る糸のように連なった魔力弾が、地を埋め尽くして襲いかかる。土を巻き上げる横殴りの雨の中、クレアは優雅にステッキを打ち鳴らしていた。
「笑えない冗談だ。尺度が狂っているよ。
魔王や勇者を基準にしたら、私だって塵に等しい。
人間の基準で言えば、君はずば抜けて強いだろう?」
上がる悲鳴は兵たちのもののみだ。
光線の雨は、すべてが不自然にクレアを避ける。
貫かれ、バラされ、血を撒き散らす肉塊は、しかしてすぐに戻って肉体を取り戻していた。
「苦手は苦手よ。理論に技術が追いつかない」
戦いは終わらない。今の魔術では、滅ぼせない。
ではどうするか。多くの未開を、試すしかない。
「ハハッ、なんということだ! そんな言葉遊びで、非戦闘職を気取るのかい? ならばここで、存分に実験し給え。
死のない世界。果てない兵士。的の尽きない血みどろの戦いで、君の理論を見せてくれ!」
「……それもいいかもね」
――あなたに頼むのは癪だけど、あたしにできることなんて、昔から何もない。だから。
あの子たちのこと、お願いねアリババ。
赤月を逃れた星の巡りが、運命に何を見たのかは、まだ誰にも分からない。
~~~~~~~~~~
フラフラと、少年は歩む。虚ろな瞳は、何も見ていない。
血に塗れた街を、無数の冷たい視線に晒されながら、目的もなく、機能もなく、ただ。
――ここは、どこだっけ。
歩き続ける。
空っぽでも進むことを止められないのは、失ってもなお、体に目的が染み付いているのか。誰にも望まれぬまま、彷徨い続ける。
――夢では、ないはずだ。
石を投げられる。求められないどころか、拒絶される。
これが現実なのか、彼にはきっとわからない。
それでも⋯⋯それでも。
居場所を見失い、自分を見失い、それでも彼に止まることは許されない。そんな権利は、リチャードにはないのだから。
「俺は、勇者⋯⋯でなければ、俺は⋯⋯」
この身は勇者である――でも望まれていない。
それでもそう在らなければならない――でも助けを求められはしない。
誰を、助ければ――お前の義務を忘れるな。
何の、ために――これがお前にできる、唯一の⋯⋯
「う、ぐぁ⋯⋯!!」
そう、だ。俺は⋯⋯助け、ないと。
これだけが俺の、価値だった。
頭なんて痛くない。俺は何も感じない。考えない。
でも、誰を? 何をしたらいい?
助けないといけない人は、どこだ?
……そもそも、この街で助けになる方法は。
「はぁ、はぁッ……!!」
苦しい。訳がない。俺は勇者だ。そういう機能だ。機構だ。
それだけでいい。それだけでいい。
それだけで、いいのに。
「ふ」
なんだ? 目がよく見えない。雨か?
堪らず視界を確保する。途端、突き付けられるのは守るべき人の敵意。
「うっ……」
どうすればいいのか、わからない。
義務なのに果たす方法が、わからない。
俺には人類の何もかもが、わからない。
「俺、は……」
助けて、助けて、助けて、助けて。助け続けた。
その声だけを頼りに、走り続けた。
だけど今、その声は聞こえない。
当然だ。この街の人々は、そんなこと望んでいないのだから。家畜であることを選び、魔王種の庇護下で生きることを望んでいるのだから。
その声だけを頼りに走ってきた俺は……今、どこにいる?
何も聞こえない血溜まりの中で、何も見えない血溜まりの中で、俺は……
「よう、勇者サマ」
突然、住民とは違う声がかけられた。
視線を上げると、浅黒い男がいる。
よく見えない。誰だ……?
「アリババ、アデルバッド?」
霞む視界の中で、男はこの場で唯一俺を見て笑っていた。




