45-吸血世界カルミンブルク
「……やっぱり」
閉じていた意識に、すっと声が入り込む。
聞き馴染みのある落ち着いた声は、もちろん師匠のものだ。
脳を休ませたこともあって、苛立ちも少しは和らいだ気がする。地面に倒れ込んだはずなのに、頭の下だけ柔らかい。
「どうかした?」
目を開けると、目の前には悲しげな師匠の顔があった。
遠くを見つめて、唇を引き結んでいる。
「ベルくん、起きたんだ。
感じなかった? あの子が戦っていた気配」
「まったく」
起き上がって、視線を追う。
多分、この方向にリチャードがいるということなんだろうけど、生憎まったく感じない。
一瞬、この人の感覚は的外れなのかと思った。
「今はないもんね。ほんの数秒前まで、あったんだ。
でも、唐突に消えちゃって……城へ向かう閃光が見えた。
多分、ブライヤちゃんから引き離されたんだよ」
ブライヤから引き離された。いきなり消えたなら、たしかにその可能性は高いのかもしれない。自称している通り、実戦で当てにならない人じゃなさそうで、よかったと思う。
でも、そうか。引き離されたって言うなら、まず間違いなく捕まったということだ。リチャードが助けないはずがないんだから、助けられない状況にないと説明できない。
あいつが嫌ってた、いまいちよくわからない吸血鬼に、か。
同年代で、あんなに話しやすいやつ初めてだった。
だからちょっとだけ、敵への苛立ちが増す。
「オレはどうすればいい? リチャードは城へ向かったんだよな? 追うべきか? それとも、モルジアナが?」
起きたばかりなので、聞いておく。
モルジアナがいない理由を、オレは知らない。
不完全な情報で、正しい選択なんてできないと思うから。
「そうだね、あの子は城に行っちゃった。
でも、モルジアナさんがどこに向かうかは聞いてない。
私たちの行動に影響を出したくないんだって」
「は? 策どうとかってのはどうした?」
「口に出すと、女王に聞かれるでしょ。
キーになるのはシスイ、とだけ」
つい、荒い口調になる。それでも、この人はあまり気にした様子はなく、質問に答えてくれた。
正直、自分ではどうしょうもないことだ。
体は無理やり治されたけど、中身はそうじゃない。
ベルという存在が、壊されかけているから。
「あいつ、まだ生きてんの?」
一度苛立ちが戻ると、自制が効かなくなってる。ただ、だとしても師匠にキツく当たるのは、申し訳なく思う。
本当に、苛立たしい。この人もそれを理解してくれているのか、少しこちらを見つめた後、たしなめるように口を開く。
「ベルくん、そんな言い方しちゃダメだよ。
いつか、後悔するかもしれないからね」
「わかってる。でも、そうか。即死しまくって余裕なかったし、部屋中血塗れで気付かなかったけど、女王の足元に肉の塊みたいなもんがあったかも」
いや、あったか? そう思いたいだけかもしれない。
1つ確かなのは、クーリエやシャノンの死に際の夢と一緒に、あいつが爆散する光景も見た……気がすること。
うん、確かじゃないな。
「で? どうすんだよ」
「私たちは、モルジアナさんを考慮しない動きをしなければならない。だから、ブライヤちゃんとシスイさん、それぞれの救出へ別々に、かな」
「じゃ、オレ城」
状況はわかった。間髪入れずに行き先を決めると、師匠は咎めるような声を出す。でも、無理やり止めることなんてできやしない。無視して進む。
オレはあの吸血鬼を、女王を、女を、どうしても殺し返してやりたい。
――ベルくんまで手に負えない感じになっちゃった。
ベルを見送るシエルは、力なく杖を下ろし嘆く。
手が回らなかったが故の、余裕がなかったが故の悲劇。
不可逆の破綻が、またしても彼女の心を苦しめていた。
「多分、敵が女王なら死なないんだろうけど……」
心に比例し重くなる手足を、どうにか奮い立たせる。
一度はリチャードを優先したとはいえ、これ以上はダメだ。
合流できたのだから、年長者として守らなくてはいけない。
その決意を示すように、一度は下げた長杖を、重しを跳ね除けるように掲げる。震える杖先は微光を宿し、小さな星座を少年にまとわせていた。
「ベルくん!」
星座は1回転すると、ふっと消えた。
同時に、シエルは数個の小石を放り投げ、振り返ったベルがそれらをキャッチしている。
「ルーン石?」
互いにぶつかり合い、波動じみた光を発している石を眺め、ベルは首を傾げる。ひっくり返してみると、刻まれているのはいつものR.やJ.――風や回復のルーンに加え、E.――相互移動のルーンなどだ。
「もう使い切ったでしょ? 持っていって」
「……でも多分、オレもう自分で作れるぞ」
つれない態度で言い放つベルは、確信を持っているようだ。
しかし、シエルもまた必要であると信じているらしく、優しく微笑む。
「ルーン魔術には刻むものが必要だよ。そうじゃなければ、全部自力になるからルーンである必要がない」
「あー、なるほど。元々神秘が宿った物に刻むことで、手軽な魔術に仕上げてるって訳か。錬金術とは真逆だな」
壊れかけていてもベルはベルだ。
教わって納得できると、素直に感心し理解を深めている。
思考をすっきりさせ、背中を押され、彼は三度、女王の城へ向かっていった。
~~~~~~~~~
「さぁ、生き返る時間だよ」
リチャードが去った門前の荒野で、クレアが大仰に告げる。
辺りを満たすは金色の光。半透明の人々を溶かし、地面に転がる錆や血の残骸に魂を吹き込んでいく。
「ぐ、が⋯⋯」
彼女が錬成するのは、魂だけ。
肉体の蘇生は、より精度の高いスカーレットの仕事だ。
「意識は覚めた? 体は馴染んだ?
違和感がなくなったら、早速食事の時間にしよう」
錆の隙間から血肉が溢れ、ゴーレムではないカーボンが立ち上がる。血溜まりが浮かび上がり、個々に吸血鬼の体を作る。目を疑うような、吐き気を催す光景に、クレアは厳かな笑顔で号令をかけていた。
「流石に、疲れたぜクレア⋯⋯」
多くの吸血鬼たちが歓声を上げる中、カーボンは座り込んで文句を言う。虚空に腰を下ろし、足を組むクレアは、興味なさげな冷たい目を向ける。
「情けないなぁ、カーボン。それでも兵士長かい?」
呆れ、見放したような、容赦なく突き放す一言。
三日月が如き黄金の瞳から、彼は目を離せない。
「他の子たちの方が、まだ意欲的みたいだ。
そろそろ譲っておくかい?」
「っ……いや。いいや。まだやれる。やってみせる」
どちらでもいい、と。命令でも何でもない提案に、カーボンは焦った様子で宣言する。手足からは、鋭い錆が溢れ出ていた。
「上出来だ。では、甘美な宴を始めようじゃないか。
これより先、家畜はもういない。好きに暴れ給えよ」
クレアは満足そうに頷くと、虚空の椅子から立ち上がる。
シルクハットをキュッと回し、ステッキをカツンと鳴らし、殺風景な荒野なのに舞台上にいるかのようだ。
「礎に黄金の栄光」
彼女の足元から金色の光が溢れ、街を覆う。
地面を固め、建物を固め、街全体を土台から黄金に染め上げてしまった。
「苦年の錆が支柱となりて」
続いて、地面についたカーボンの手から、錆が伝播する。
金の礎から伸びるそれは、天地を支える柱のようで。
街を、1つの岩石かに見せていた。
『霧に覆われし未来を想う』
どこからか、落ち着いた声が響く。
街を満たす空気は霧。視界は完全に塞がれた。
『今宵浸るは血潮の奔流。永遠に抗う勇者の失墜。
万生の母が嗤いましょう。あなたたちの生を、命を』
世界に艶やかな声が声が轟く。それは、本能に染み込む必然の事象。世界は、生命は、其の声1つで在り方を委ねる。
"私たちは、決してこれには抗えない"と。
『尖塔をここに。盤面穿いて標を示す』
応じて霧から飛び出てきたのは、赤い棘。
それらは鮮血。テラテラと赤月に輝く命。
霧を突き上げる新たな街は、数多の命の上で主塔に傅いている。
『残基は不屈の基にあり。何度でも散らせ、何度でも立ち向かわせ、いずれ飽くるその日まで、永く楽しむ朱を望まん。
挑みなさい。魔王打倒に、己が意義を懸ける者共よ』
内外に関わらず、街は一変した。
中は常に牙を剥く口内に、外からは世界を汚す染みのような、禍々しい魔城としてクレアたちの目に映る。
錯覚か。彼女のさらに遠くから見ていたブライヤの目には、女王スカーレットが鎮座している光景が、見えた気がした。
「これでもう、君は中には戻れない」
呆然とするブライヤに、クレアは悠々と告げる。
もう、命は狙われない。既にその価値がない。
その代わり、故郷に帰ることは叶わず、解放の助けになることもできない。
「もちろん、中の子たちも生き残れはしないとも。
君は……そうだね。殺す必要はないけど、迎える意味もない。私たちが嫌いなら、外の世界で好きに生きるといい」
なおも、クレアは言い連ねる。
ブライヤには何も言えない。指1つ動かせない。
ようやく得た自由は、先の見えない暗がりで。
「好きに、生きる……」
「それとも、観戦だけしていくかい? 無人の残機。無限の脅威。無数の可能性をはらむ、リアルRPGとでも言うべき人形劇のさ」
吸い込まれそうになる三日月の眼を、ただ見つめ返すしかできなかった。




