3-もう生き残れる
リチャードとベルの死合から、数日経った。
ずっと眠っていて気付かなかったのか、見て見ぬふりを選んだのか、シエルは何も言わない。彼らの方にも、やましいことはない。旅は、これまで通り続いていた。
「……さて」
リチャードがほとんどの機能を停止していても、一所に留まる理由はない。昼間は移動。
理解を深めるのに使える時間はもっぱら夜だ。
シエルが眠った頃。ベルは寝床を離れて暗闇に座る。
「一旦、覚えたもんおさらいしとくか」
そう言って広げるのは、魔導書やルーン石など、魔術の道具たちだ。しかし、この世界の基礎は魔力ではなく神秘。
顎に手を当てて思案すると、魔力の基となる力についてまとめ始めた。
「まずは神秘からか」
紙はシエルからもらっている。
この場でのまとめに使い捨てても問題ない。
落ちていた枝を拾って先端に火を灯すと、地面に挿して拙い字を書いていく。
「神秘とは、この星に宿った力。山や川など大自然のことを指す言葉で、言ってしまえば世界を構築する要素」
勇者や魔王は、そういった大自然と一体化し、同等の存在に至る。故に、神秘に成るとは、個人で星の構成要素になると同義であり、どちらも同じ神秘と呼ぶ。
「魔王種、勇士ってのもここと。ある一つの山か、山という言葉そのものかって違いはあるけど」
人の世においては、神秘に成った人に救世の意志があるかどうかで変わってくるが、基本的には規模の違いだ。
意志のあるなしで、結局は在り方も変わってくるのだから。
その気がない者に、覚悟ある者と同じ力は引き出せない。
「で、人であろうと獣であろうと、神秘そのものに成れてない生き物にも、神秘は宿る。多分、空気にもあるはずだから……生きてるだけで、巡ってる」
そういった獣が、魔獣。ベルの村など、あまり知識がない場所では理解不能のモノとして魔物、などと呼ばれるが、より深い自然の中で生きている故に力の差があるだけ。
魔獣も人と同じく、ただの生き物である。
「酸素と同じ……巡ってる神秘を、どれだけ取り込み、扱えるか。それは資質とか努力で変わってくる。
順応し、自分のものとした神秘。それが魔力」
まとめは進み、次は今のベルが最も理解しなければならない、人が人のままでも神秘を扱い、抗うための力だ。
魔術、と称され体系化されたそれを、彼はサラサラと羅列していく。
「教わったのは、基礎魔術、魔導書、ルーン魔術、錬金術、占星術、魔法陣……まぁ、いくつかは見ただけだけど」
本に染み込んだ魔術を使う魔導書に、力ある文字を刻み力を使うルーン魔術、星を扱う占星術。混ぜ合わせる、あるいは作り変える錬金術に、陣から魔術を放つ魔法陣。
「ルーン魔術は石に刻むって聞いたけど、多分体系化されたものはってだけだな。重要なのは文字で、でも代用とか雑な作り方をしたら質が悪くなる。あの時はスカーレットの血の結晶があったから……」
そして、それらすべての元となる、己自身が力を使う基礎魔術。現時点でベルが多少なりとも使えるのは、この辺りだ。
あとは、魔術体系からは逸脱した魔術式――
「魔導書は使い捨てじゃない分、ルーン魔術よりも元の本が特別って感じがするな。よく染み込む紙は製法が違うのか材料が違うのか――そういう媒体に頼らないから、基礎魔術や魔術式は上限と下限の差が激しい……と予想できる」
道具に頼った魔術は安定しているが、通常は平均的な力しか出せない。もちろん、製作者は当然として、術者本人の実力や丁寧さ如何によって、暴発や威力の低下などはある。
だが、あくまでも道具を使うのだから。
上手い下手はあれど、ある程度使うことはできる。
"包丁"や"弓矢"などと比べて、慣れてない時の失敗や下手が、派手になってしまうだけだ。
対して、基礎魔術や魔術式は自分自身のみを駆使して魔術を使うため、ごまかしが効かない。道具の質による上限はないが、未熟なら他魔術の平均にも届かないだろう。
その時々で作る魔術式なら、魔術を作れもしない。
「あの時のが、ハイになったたまたまなのか。多少のバフはあったとしても実力に近いものなのか。
ちょっと試してみるか」
カリカリと、地面にうつ伏せになって思考をまとめていたベルは、ひょいと身軽に起き上がる。
走り書きのメモは丸め懐に、指は眼前に指し示される。
「あの時使ったのは、純粋に炎を出す魔術だった。ルーン魔術で風を出すのと同じ。神秘の力を出すだけだったから、0からでも成功した? そのくせ火力が高かったのは、感情を乗せて直接形にしたからか?」
力任せの結果なのか、理屈があった上での実現なのか。
考える。勇者と肩を並べるだけの、強さを得るために。
「どの魔術にも、命令式がある。魔王種や勇者みたいに自分の一部として使うのではなく、借り受けた力に望みを伝えるため。属性、形状、威力諸々……あれに託したのは炎という属性だけだった? 形なんかない。威力は感情のままぶっ放しただけ。操作は魔術内ではなく手動。あの円環はあくまでも繰り返し。指定個所の大小でも、難易度は変わる?」
魔導書は自由度がない代わり、本そのものにすべて刻まれている。ルーン魔術は文字が属性、石が威力。
難易度が上がり、魔法陣は必要に応じて式内に取り入れる形だ。ただし、基礎魔術などと違って陣で安定させやすく、また準備して使うため扱いやすい。
異質なのは錬金術か。他より燃費はいいものの、唯一変換の工程が入るため、普通の魔術から修めていると慣れず失敗しがちになる。ベルがまだ、もらった魔導書など以外ほとんど使っていなかったのは、僥倖であった。
「手始めに、水」
指先に魔力を込める。なぞる空に描くは術式。
己に馴染んだ魔力を用い、世界を彩る神秘に願う。
水よ、虚空に湧き出よ、と。
「槍状に形作り、威力はほぼ0。
前方の木に、当たるよう……斜め、上、から……っ!!」
弾けた。水の槍は発射の段階に至ることもできず、ベルと周囲の草木を濡らした。滴る水を拭いながら、彼は肩を落とす。
「はぁ、魔術式で全部やるのは無理だな。
魔法陣ならいけるか? でも、あれは数を出せないと実戦で使い物にならない気がする。基礎魔術でやるべきか?
そもそも、基礎魔術と魔術式の違いって……」
熱中するベルの頭上で、月がみるみる落ちていく。
遠くの木の上にいるリチャードは、その光景を微動だにせず眺めていた。
「ここらでやめとくか」
空が薄っすら明るくなってきた頃、ベルはようやく研究をやめる。もうすぐシエルが起きてくる時間だ。
「注意されるのもそうだし、多分魔術って使いすぎると体が世界に溶けるよな。スカーレットとの時みたいに。
オレは神秘を使う術を身につけたけど、オレ自身は神秘じゃない。もっと体を自然に慣れさせねぇと」
開いた手のひらを見つめる。指は端の方から赤らみ、ヒリヒリした痛みと共に輪郭をボヤけさせていた。
とはいえ、これはケガと同じようなものだ。
放っておけば、体は自分という存在を取り戻す。
単に、ベルという人間がまだ神秘ではないことから、上書きされかけているだけに過ぎない。
魔力を使い、また新たな神秘を取り入れる余地を作らなければ、器は己で満たされる。
「……今この瞬間、オレはあの死を忘れてた」
何もせず、無言で手のひらを見つめていたベルは、やがてポツリと独り言る。その顔は、ここ最近では見せることのなくなっていた穏やかなものだ。
「これが、リチャードの言ってたことなんだろうな。
たしかに、できるならした方がいい」
大きく息を吸う。自分の内側にあるものを、見つめ直すために。殺された怒り、苦しみ。気が狂うほどの苦痛、恐怖。
手も足も出ない苛立ち。悲哀、諦観、怒り、怒り、怒り。
「そのすべては、もう死んだ」
あの時の彼と、今の彼と。同じ存在でも、同じではない。
遠い記憶だ。前世のことだ。握られた手のひらに闇は霧散し、感情は鍵をかけられた。
「それより、今は」
脳裏に浮かぶ、ある会話。
もらった魔導書の最後に挟まっていた1枚の紙切れが、ベルがいじったことであちらからの音までも彼に届けていた。
『次回の魔王撃退戦についてですか?』
『うん。今日、あの子の実戦を初めて見たんだけど……』
シエルと、どうやらこの場にはいない人物が話していた。
議題は主に、"魔王襲来"というモノについて。
あくまでも実質的な魔王だったスカーレットとは違う、正真正銘、本物の魔王の話だ。
「隠し事ばっかだな、師匠」
目を伏せ、つぶやく。様々な感情が混じった一言。
それでも彼は、もう怒らない。
「リチャードと肩を並べたら、必要としてもらえるかな」
これまでは、資格がなかった。共に戦う資格も、対等な立場で向き合う資格も。しかし、今は違う。
足元にも及ばなくとも、身を守れる力がある。
ここからが始まりだ。理解できる立場になり、助けになれる程度の強さがある。ベルの旅は、今ようやく幕を開けるのだ。
「いつかオレは、魔王を滅ぼすぜ師匠。
お前と一緒にな、リチャード」
目的を形にするための目標が、定まった瞬間だった。




