エピローグ
太陽が顔を出す頃、ベルたちは旅立ち、フレイは街の復興に取り掛かる。建物は減り、質素になったが、損害は少ない。
立て直すべきは、人々の心だ。彼女は顔に笑みを貼り付け、住民の間を駆け巡る。
その、すぐそばで。英雄らしいフレイを横目に、ただの人となった侍は、厳かに膝を正して刀を抜く。
スラリと伸びる刃が向かうは、自らの首。自死だ。
仏の如き様相の彼女は、最後の瞬間まで穏やかなまま白い首を――
「……はぁ、何のつもりだい?」
斬ることはなかった。すんでのところで、ちゃちなナイフが間に挟まったから。振り返ってその手を辿ると、頭上には浅黒い肌――アリババの顔があった。
刀を弾いてナイフをしまう彼は、顔をしかめて吐き捨てる。
「何のつもりもなにもあるかよ。
俺はあの里の化け物どもと殺し合う趣味はねぇぞ」
里の繋がりが深いなら、事実がどうあれ目をつけられる。
指名手配犯がいたとなれば、追われるのは間違いなくその人物――アリババだろう。自殺だろうと、シスイが死んだ時点で避けられないし、情報の有無は関係ない。
「僕の力があれば、負けることはないはずだけど?」
「俺は、な。そりゃ負けねぇだけならいくらでもやりようはあるが、モルジアナが殺されねぇ保証がねぇだろ。
あいつが死んだら、負けなくても意味ねぇんだよ」
しれっと答えたシスイに、アリババは荒々しく噛みつく。
睨む視線は鋭く、強い。しかし、相手は死を望む者だ。
怖いもの知らずにも、彼女は茶化すように笑いかける。
「なるほどね。確かにそうだ。
君がそこまで愛妻家だってのは意外だけど」
「あ? ずっと言ってただろうが」
アリババは眉をひそめ、心底不思議そうだ。
シスイは肩をすくめると、自らに下る沙汰を待つ。
「それで、僕をどうするんだい?
能力を返して自殺を封じる?」
「ハ、やーなこった。せっかく得た力を手放すかよ」
焦り、不安、怒り。先ほどまで覗いていた多くの感情を脇に捨て、アリババは吠える。弧を描く瞳の奥には、狡猾な光。
その様は正しく、油断ならない盗賊の王だった。
「吸血鬼どものせいで、部下を大勢失ってな。
ちょうど人手が欲しかったんだ。つーことで、手ぇ貸せや」
いつの間にか盗んでいた刀を弄び、彼は有無を言わさぬ口調で告げる。なんとも既視感のある光景だ。となれば今、ベルといないシスイの返答は聞くまでもない。
「えぇ……? 僕に手を貸す理由がまったくなくない?」
盗られた刀を意に介さず、消極的な言葉を返す。
妥当な結果だ。故にアリババは、驚きもせず交渉に出る。
「もちろんメリットはあるぜ。気が向いたら返してやるよ、この能力。少なくとも、団立て直すまでは無理だけどなぁ」
各地で目立つのは神秘なので忘れがちだが、人も含め、生物が神秘に成るのは奇跡的なことだ。
獣が自然物となるのだから、普通ではない。
成れると確約されるのも、元々あった力を戻されるのも、本来なら何にも代え難い、命を差し出してでも得たいものだろう。が、返事はなんとも気の抜けたもので。
「別にいらないんだけど」
「ハァ!? んでだよおかしいだろ!!」
アリババはキレた。
耳を押さえるシスイは、本気で嫌そうだ。
「だって寿命なくなるし、死ねなくなるし」
「良いことしか言ってねぇな!? 頭湧いてんのか!?」
「でも手放せる機会なんて普通ないんだよ? これ。
貴重なチャンス‥」
「いいから来いや!!
待機組と合流するまで護衛しやがれ!!」
「強引だなぁ」
無理矢理立たされ、シスイは渋々従って歩く。
相手は神秘だ。拒否権はない。腕を引かれるままにフラフラと、行く先も知らずに一団に加わるのだ。
次に知人と出会う時、彼女はどの立場にいることやら。
~~~~~~~~~~
「お前、何がしたかったんだ?」
昇った日が、再び沈む頃。城内に、掠れた男の声が響いた。
声の主が見上げるのは、屋根に腰掛け微笑む麗人。
自分だけではなく、部下すら主人の助けに向かわせなかった黄金のクレアだ。彼女は手で黄金の果実を弄びながら、視線だけを地上に立つカーボンに向ける。
「何が?」
月に照らされる姿は美しく、静かな流し目が妖艶だ。
カーボンは一瞬怯むも、歯を食いしばり一歩踏み出す。
「しらばっくれるな。なぜあの魔術師との約束を守った。
ただの口約束、守る義理はなかっただろう?
お前が加勢すれば、あんな奴ら簡単に蹴散らせた。
女王様が死ぬこともなかった」
地面から、無数の黄金の蝶が羽ばたいた。
仄かな光が反射する。薄汚れたカーボンの全身を、眩い金光が照らしていた。
「勘違いしないでくれ給え。私は別に、あの子の部下じゃない。君やアズールと違って、対等なんだよ。
死ぬまで付き合う義理なんてない。
英雄譚のなかで死ねたんだ。彼女も本望だろうさ」
光は無駄に広がらない。蝶とは言っても造物だからか、昨夜の魂と同じように、ただ上に上にと昇っていた。
戦いこそ終わっているが、まだ解放者も数人残っている。
にも関わらず、柱は異変を示して煌々と立つ。
「それに、あんなもの見せられちゃねぇ……」
「ただ、景色が変わっただけだった」
「本気で言ってる? 言っているんだろうね。ふふ、愚かなことだ。確かに、絶対的な力は大抵の技を砕く。
けれど、力を過信し技を笑う者は、いずれ技に死ぬよ」
クレアが果実を投げる。一段と大きな、黄金の塊。
それは解け、弾けると、蝶たちの柱とは違って境の外にまで広がり、降り注いでいく。
「なんにせよ、私は私を優先したまでだ。君や他の子たちが立ち向かえなかったのは、弱いから。私を振り切ったとしても、殺されていただろうさ。責任を押しつけちゃいけない」
事実を突き付けられたカーボンが、爪が食い込むほどに拳を握りしめる。煤けた血は、キラキラとぼけた光の中に吸い込まれていた。
「それに、ほら。君にはもっと、他に気にするべきことがあるはずだけど?」
「なに……?」
眉をひそめるカーボンは、瞬間。何かに気が付いたように目を見開く。彼を囲むのは光。否。過剰な水蒸気に反射する、幻想的な光――
「アズー‥!!」
防ぐ間もなく、その首に鎌が振り下ろされた。
驚愕に塗り潰された顔は胴体を離れ、ゆっくりと憤怒の形相へと移りゆく。
「お前、の、鎌如きッ……!!」
その言葉に、返事はない。胴体は即座に細切れにされ、喚く口には厚い霧。即死はなくとも、回復手段がなければ存在は減っていく。体がなく、心臓もなく、呼吸もできず。
先手必勝。彼という錆は、大海の如き霧に削ぎ落とされた。
「やぁー、アズールちゃん。血を壊す力の入手、おめでとう。血から創る私の力も、奪い取るのかな?」
屋根の上から、クレアが愉しげに問いかける。
役目を果たしたのか、黄金の柱は既にない。
幽かな月明かりの下に立つ青白い少女は、風にドレスの裾を揺らしながら、静かに返事をした。
「……あなたのは、いらないわ。錆でも、似たようなことはできるもの。それより、力を借りる方が有用でしょう。
アズールに、協力しなさい」
「ははは。では、一応目的を聞いておこうか?」
2つ目の問いを受け、アズールの儚さは消し飛んだ。
影に隠れる顔はさらに暗く。闇の中でなお際立つ黒を帯び、底知れない怨みを吐露する。
「アズールは、勇者リチャードを許さない。
スカーレット様の復讐を、果たすの」
「ふふ、オーケー。とても人間臭くて、実に面白い」
クレアは腰を上げると、ハットを押さえつつ優雅に降り立った。行為そのものに関心はないだろう。彼女を動かすのは、常に興味。
「血を吸う力と、血を壊す力。不完全だけれど、これからはアズールがスカーレット様の代わりになるわ」
アズールは灰に手を伸ばすと、中から煤けた心臓を引き抜く。千切れた血管から漏れ出るのは錆。臓器というよりもはや鉱石だ。その硬い遺物を、アズールは一口で喰らった。
「どうぞ心の赴くままに、新たな女王様?」
恭しく頭を下げられ、女王は立つ。
生命の根源は、血は、この星に命ある限り決して消えない。
~~~~~~~~~~
「ほんとに、助けてくれるの?」
血の香りも金の輝きも、名残すら完全になくなった頃。
落ち着きを取り戻した町の中で、勇敢な少女――ブライヤは傍らに立つ人物に問いかける。
「もちろんだよ」
その人物は答える。穏やかに微笑む口に牙。
吸血鬼だ。この世界に留まった、数少ない個体の一つ。
「私は、とある商人の在り方に衝撃を受けてね。クーリエ・グラスター……彼の英傑は、どこまでも人を体現した方だった。震えたよ。心も、体も。私も、ああなりたい。
一度は、手放してしまったけれど」
ブライヤにとって、数日前まで吸血鬼は敵だった。
しかし、その吸血鬼とは基本的に、女王や三吸傑のことだ。
公言していた兵士らはともかく、共存していた隣人までは知るところではない。その人物もまた、そういった類のもの。
憧れ、悔いる姿を見た彼女は、ニコリと笑う。
「ありがと! じゃあ、これからよろしくね!
あたしには力がないから、頼りにしてる」
「でも、あの方に立ち向かったのは君だけだ。
自治区を作るのに、君ほど相応しい人はいないよ」
初めての協力者の言葉に、ブライヤは「へへ」と照れたように頭をかく。望まれたものではなかった。確実に正しいとは言えない選択だった。それでも、決して間違ってはいないのだと。その態度が示していたから。
「そうだ、あなた名前は?」
思い出したように紡がれた問いに、協力者は口ごもる。
「うーん……吸血鬼として生きるつもりはないけれど、今更人だった頃の名を名乗る気にもなれないな……」
名前を選ぶ。その決定で何が変わることもない。
だが、自分の意識は違ってくるのだから。
パッと答えが出せないのも当たり前だった。
とはいえそれは、本人だからこその話で。
「新しく決める? この町の名前も、変える予定だし」
さらっと言われた言葉に、目が丸くなる。
「そうなの? ふむ……それなら、うん。
私はこの名を名乗ろうかな。
この街に起こったことを、歴史を、忘れないために」
この決断に、是非はない。本人が決めた。
それだけがすべてだ。故にブライヤは、優しく微笑む。
これから紡がれる名前が、予想できたとしても。
「私の名は、カルミンブルクだ」
――吸血鬼の国、カルミンブルク。
以前そう呼ばれていたこの街は、今では見る影もない。
血で創成された建物は剥がれ、建つのは本来の質素な町並みばかり。増え続ける吸血鬼で増していた人口も減り、広大な居住区も必要ない。人間が、自らの力で守っていかなければならないちっぽけな町が、そこには広がっていた。
絶対的強者に依存していた彼らは、はたして自分たちの力で生き残れるだろうか。上位存在に飼われてきた彼らは、この過酷な世界に耐えられるのだろうか。
きっと、無理だろう。数世代に渡り、家畜だった生き物だ。
そのための本能は、能力は、失われている。
ただ、それでもヒトであることは間違いない。
弱い人類は群れ、協力し、神秘を扱い必至に抗う。
彼らは近隣ギルドの援助を受け、徐々に適応し、人間に戻っていくはずだ。
その一人目が、彼女たちなら。
町の希望は、まだ潰えていない。




