61-誰にとっての悪なりや
少年がいた。傍らに勇者。否、彼もまた少年である。
そのはずだ。そうだったはずだ。
そうでなければならない。そうあるべきだ。
役割を果たした勇者は、目を閉じ無言で立ち尽くす。
敵は倒した。女王は死んだ。
戦いは終わり、救うべき人々はもういない。
生き返った彼らは、光をまとって戸惑っている。
敵はいない。悪は、いない。
願いを果たした英雄は、険しい顔で黙って勇者を睨んでいる。
「1つ、聞かせろよ」
口火を切った。味方だ。決して敵ではない。
1度は怒りのままに、獲物を横取りしたリチャードに剣を向けたとしても。正気に戻った今、争う理由はない。
それなのに、ベルは仇でも見ているかのような、強い感情の宿った視線を向けている。悪意はない。害意もない。
けれど、その目には確かに、敵意があった。
「勇者の道は……誰かを助ける選択は、自分自身でしたのか?」
リチャードが目を開ける。勇者として、少年の前に立つ。
2人の間を、まだ生温かい風が吹いていた。
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暗がりを、1人の少女が歩く。周囲に人はいない。
街には、住民たちが戻ってきているはずなのに。
この瞬間まで死がないこの場所で、人がいない地区などないはずなのに。時が止まったかのような静寂を、彼女は歩いていた。
「太陽が戻ってこられるか、あなたは知っている?」
誰にともなく、つぶやく。強いて言うなら、傍らに散らばり浮かぶ紙切れか。不思議な光を放つそれらは、紙切れ同士で光を繋ぎ合い、球体の形をなしていた。
『えぇ、もちろん。星が回り続ける限り、沈んだ陽も再び昇るのが定めですよ』
であれば必然、言葉を返すのも球体だ。
声によって伸縮を繰り返すそれは、ここにはいない誰かの言葉を、彼女に届けていた。相手の少女の声を聞くと、シエルはふっと表情を緩めて問いかける。
「数日ぶり、ティミア。そっちはどう?」
『万事滞りなく。今回は相手がよかったですね。襲撃の地は自治区になりましたが、やってきた魔王がセルリアンだったお陰で、被害は最小限です。じき立て直せるでしょう』
少女――ティミアの声の裏には、工事をしているような音や大人数の話し声がある。建築も会話も活発で、元気がいい。
魔王が襲来したとは思えないほどで、被害が最小限なのも、じきに立て直せるのも、間違いないだろう。
「そう。よかった。あの時は余裕もなくて、慌ただしかったから、ちゃんと確認できてなかったんだ。あと、それに関連してお願いがあるんだけど」
瞬きを繰り返していた目元は緩み、視線が宙をさまよう。
声にも間や力みがなく、心の乱れは感じられない。
最初から決断していたのだろう。
音だけのコミュニケーションでは、言葉以上の意味は到底読み取りようがなかった。しかしティミアは、続きを聞くまでもなく、事務的に淡々と確認を取る。
『次回の魔王撃退戦についてですか?』
「うん。今日、あの子の実戦を初めて見たんだけど、正直まだ巻き込めないなって。実力自体は、教えてからの期間的にあり得ないくらい高いけど、ちょっと不安定だから」
何度も死んだ。心がひび割れた。それを彼女は、突きつけられた。ただでさえ、リチャードに重荷を背負わせている現状に苦悩しているのだ。シエルにしてみれば、この選択は当たり前である。
紛れもなく義務の放棄だが、言いにくそうな様子すらない。
撤回も復帰も、他人の訴え如きでは揺るがないだろう。
少なくとも、ベルが荒ぶっている限りは。
「申し訳ないけど、しばらく私たちは参戦できない。
ごめんね。2人も、あまり前線には出ないように」
『了解しました。では、他の勇者様方にはそのように』
「よろしくね」
連絡は終わった。通信が切れて、紙の球体も光を失う。
だが、既に通信の魔道具ではないはずの紙は、なおも形状を保ってうつむくシエルの横で浮かんでいた。
『お体の方は、いかがでしょうか。
体調を崩してはいませんか?』
「あ、まだ切ってなかったの?
大丈夫だよ、大丈夫。私は、大丈夫」
通信は再開された。魔力で繋がっていたのだから、あちら側で維持するのも不可能ではなかったようだ。
今に目を向けていたシエルの顔は青い。
『……そちらに向かいましょうか?』
「いいよ。人類にそんな余裕はない。リチャードを前線から引き離すんだから、サポートくらいは、ね」
迷いはなかった。後悔はなかった。
しかし、負い目は感じているようだ。
駆けつけることを拒否されたティミアは、それでも無感情に寄り添う。
『では、お話をお聞きします』
「う〜ん」
真摯に向き合う少女に、シエルはうなる。
唇を引き結び、視線を遠くへぼんやりと飛ばし、数分経ってからようやく返事した。
「いいよ。あなたも正解なんてわからないでしょ?
魔王襲来が重なってなければ、とか。もしもを話しても仕方ないし、あの子は自分の力で乗り切った。
だからいいんだ。あたしが勝手に、心に留めるだけ」
『わかりました。ですが、ラオネには伝えておきますよ』
「えー?」
顔をしかめて、シエルは心底嫌そうだ。
しかし、ティミアは気にせず別れの挨拶をし、今度こそ通信を切った。紙は繋がりを失い、ヒラヒラと地面に広がる。
シエルは大きなため息をつくと、その紙を浮かび上がらせ手元に集めていく。
「彼、学院でスカウトした人だからなぁ。命令無視して来て、面倒なことにならなきゃいいけど」
危機を乗り越え、人々を救い、それでも悩みは解決しない。
黄金の月を見上げるシエルは、勝利の後とは思えないほど、いつまでも物憂げな顔をしていた。
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昇天の光は、明け方まで続いた。
その間に、生き返ったこの時代の町民も多数いる。
消えた女王と、昇っていく友人知人。
完璧ではないにしても、街の仕組みを、隣人の正体を察する者も少なくない。カルミンブルクという街は、ベルたちへの怒りと敵意に満ち始めていた。
その片隅で、集った英雄たちは再会する。
「フレイ、さん? ありがとうございます、ベルくんの力になってくれて。あたしも、助けられました」
「ううん。大したことはしてないよ、本当に。
ぼくにできることなんて、援護だけだったから」
「いいえ、その援護が……」
大切な人が亡くなった。心を壊された。
両者とも悲嘆に暮れてもおかしくないのに、彼女たちは落ち着いた様子で言葉を交わす。
少し離れた場所で、即刻治療を終えたリチャードがぼんやりと立ち尽くしている。アリババとモルジアナの姿はない。
「それよりさ、君でしょ? シエルちゃん。
クーリエの……後輩って」
段々と、住民たちが辺りを囲み始める。
共通の友を持つ彼女たちだが、長く語らう時間はない。
出立するかこの地の安定を図るか。
どちらを選ぶにせよ、行動に起こさなければ。
「はい。とてもお世話になりました。
駆けつけるのが間に合わず、本当に申し訳ないです」
「気にしないで。ぼくたちはそれを理解し旅をしていた。
未練はあっても、悔いはない……と思うよ」
自分に言い聞かせるように、答える。
落ち着いている2人だが、彼女だけはたびたび、言葉に迷っている様子だ。その隙を付く形で、住民の感情は表面化した。
「安全を奪って、後悔はないだと?」
「ずっと守ってくれんのか救世主さんよぉ!?」
「責任取りなさいよね!?」
濁流のように、人々が押し寄せる。
もう話している暇はない。フレイは力なく笑うと、銃を空に向け放つ。
「ぼくはこれから、付近のギルド・自治区と連絡を取って、この街の安全体制を確立する。あとのことはぼくに任せて、シエルちゃんたちはこのまま旅を続けるといいよ。
……元気でね」
銃声に止まり、宣言にどよめき、人々は暴徒にまでは至らなかった。一部、小石を投げる者がいるくらいである。
額に当たった石で、血を流す彼女を、シエルは心苦しそうに見つめることしかできない。リチャードは何も言わず、死んだような無表情で虚空を眺めていた。
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街の人たちは暴徒にまでは至らなかったが、それでも距離を取ろうと思うには十分だ。わかりやすい区切りになる。
近くで話していたオレたちにも無言が増え、別れの雰囲気が漂っていた。
「なぁ、シスイはこれからどうすんだ?」
「そうだね……奪われた力を取り戻しに、とかかな」
「アリババを追うのか」
逃げたのか、目的を果たして浮かれた結果か。
いずれにせよ、もうこの街にいない可能性は高い。つまりは別れだ。肩をすくめると、さらっと挨拶をする。
「がんばれよ。オレのせいでこうなってるから、ちょっと心苦しくはあるけど。リチャードと離れる気はないからさ」
「わかっているとも。ただ、最後に1ついいかい?」
恩人とも言えるシスイの頼みに、「なんだよ」と首を傾げながらも、素直に応じる。向き合う彼女は、妙に悟ったような表情をしていた。
「初めて会った時のこと、覚えているかな」
「忘れられるか? 入水自殺してるやつを」
はは、と笑い、シスイは続ける。
「僕にとっての当たり前は――僕は死ねない
君にとっての特別だ――死因を調伏してしまうほどの力だ
逆に、君にとっての当たり前は――必死に抗ってなお無力で
僕にとっての特別だ――君は簡単に死んでしまう」
今、もうその力はないとしても。
状況によっては、立場が逆転しているとしても。
それぞれが思う常識は変わらない。根本の思想は同じだ。
今の立場なんて、関係ない。経験を経て、何を思うか。
聞かれてるのは多分、そういうことだ。
「あの時も話したね。これを正義か悪かで断ずる必要なんてない。ただ、個々人の好悪はある。君にとって、僕はどうかな? 今もまだ、否定したい相手かい?」
「オレにとってあんたは……」
真剣な話題に、ふと目を閉じ思い起こす。
脳裏に浮かび上がるのは、少し前の出来事。
『勇者の道は……誰かを助ける選択は、自分自身でしたのか?』
勇者リチャードに、意志を問うた時のことだ。
思わず漏れ出た敵意を受けて、彼は機械的に答えた。
『望まれたことを、望まれたように。
助けてほしいと願われたから、助けるだけだ』
迷いなく、断言した。なら、ベルの答えは1つだ。
この残酷な旅の結論は、1つだ。
『なら……』
願いだ。そこに願いや意思があれば、理解し、受け入れることができる。では、ないのなら?
「オレにとって、もうあんたは悪じゃないな。
オレにとって悪なのは――」
リチャードの選択は、オレに被害を与えない。
ただ単に、悲しいだけだ。しかし、それに喜びを見いだしている訳ではないのなら。端から見て、苦しく思えるなら。
オレも迷いなく断言できた。
『オレにとって、お前の道は悪だな』
『そうか』
シスイの目を見て、はっきり告げる。
「――リチャードだよ」
記憶の中のリチャードはなぜか、どこか笑っているような気がした。




