60-星昇る夜に
カルミンブルク。それは、魔王種スカーレットが支配していた、血に塗れた不気味な街。禍々しい牙城から元の街に戻るのであれば、まだ吸血鬼の影響が色濃く残る、赤い街になるのが自然なことだ。しかし現在、無人の街は――
「……綺麗だ。それにすごく、眩しい」
澄み渡る青い空を仰ぎ、刀を納めたシスイがつぶやく。
天にも地にも、既に生産区だった時の名残りはない。
星の瞬く空は透き通り、街には血の一滴すら消えていた。
「だが、質素になったとは思わない?
それに、とても狭くなった」
涼やかな声が降ってきて、シスイは反射的に振り返る。
視線の先には、屋根の上に座る麗人が1人。
「! クレア・オル・フラメル……!?」
シルクハットを押さえ、風に吹かれながら微笑を浮かべる魔王種がいた。刀の柄に手を添えるシスイを見ても、彼女は笑みを崩さない。優雅に足を組み、傍らに畳んであった布を膨らませる。
「そう身構えないでくれ給え。私はただ、少しばかりお喋りをしに来ただけだよ。私もスカーレットちゃんも、基本的には人類愛者だからね。あと、この娘を送り届けに」
「ブライヤちゃん!」
捲られた布から出てきたのは、避難しているはずのブライヤだ。地上にへたり込んでいたシエルが、彼女を確認した瞬間に姿を消す。
「どの道保護するつもりだったのだろう? 私も敵意がないことの証明ができる。Win-Winというやつさ」
「なぜ、僕らのところに来たんだい?」
同時に2カ所にいた。そう思わせるスピードで、シエルは少女を抱きしめ元の位置に立つ。両者の間にいるシスイは、油断なく半身に構えて圧を放っていた。
「ハハハ、わかりきったことを。バーサーカーは見ている方が面白いじゃないか。それに、これ以上あの勇者を突いたら、私が殺されてしまうよ」
今現在、神秘ではなくなったとはいえ、シスイは相当な強者だ。敵対して無事で済む保障はない。にも関わらず、クレアはなおも雑談ムードだった。失礼な軽口に、シスイは眉をひそめている。
「僕らは殺さないと? それとも、殺せないとでも思っているのかい? 舐めていると受け取っていいかな?」
「感情で動かない、と言っているんだよ。
いいじゃないか、少しくらい付き合ってくれても。
どうせもうやることもないだろう?」
発言を否定せず、褒め言葉に変える。
あくまでも暇つぶし、といった態度に、シスイも刃が覗いていた刀を渋々納めた。
「今回の戦いは、実に面白かったよ。
スカーレットちゃんも、きっと満足しただろう。
あぁ、安心してくれ。私は別に黒幕じゃない。
ありふれた感想だとも」
今度は先んじて釘を刺す。
本当に敵対する気はないようだ。
かといって、企みがないという訳でもないらしく。
「ただ、より良いものにしたい、という気持ちはあってね。
君たち、この街のことをどれくらい知っているかな?」
かすかに体を揺らすクレアは、唐突にそう問うた。
よそ者のシエルたちに、わかるはずがない。
住民のブライヤにだって、意図がわかるものか。怪訝な顔をする少女たちに対し、クレアはより口角を上げていく。
「いやぁ、正直なところ、この街では本当に死者は出なかったんだよ。死を受け入れ天寿を全うする者や、侵入者みたいな娯楽品以外ではね」
「うそだ! あたし知ってるんだから!
何人も干からびるまで血を吸われた人がいること!」
ブライヤが間髪入れずに反論する。
そう、敵対の原因はそれだ。この訴えがなければ、ベルたちはアリババをとっちめるだけで帰っていただろう。
外敵ではない、領域内で勝手に暴れて出ていくだけの、はた迷惑な侵入者に過ぎなかった。それを彼女は、引き止めた。
もはや、認められない営みどころではない。
命を懸けさせた重みが、この主張にはあった。
「なるほど。だがそれは、両立しない話ではない。
少なくとも、この街では。意味がわかるかな?」
利用された、危険に晒した、街の安全を失わせた。
クレアの言葉は、どう受け取っても少女を苛むもので。
顔をしかめたシエルが、魔術でブライヤの耳を塞ぐ。
「……血という中身を空にして、新たな器に移し替える、とか? 悪趣味だし、殺した事実に変わりはないけど」
シエルの考察に、クレアは笑みを深める。
ニンマリと笑い、指を立てる。
「血を吸い尽くす人間はこの3つだ。今すぐにでも望む者、病に侵された者、死を迎えた者。その血を元に、肉体と魂を私とスカーレットちゃんが創り出す。これがこの街における大多数の吸血鬼だよ。死者は出ず、現役世代も増えるため、街はどんどん肥大化していく。その結果の巨大都市さ」
「何が、より良いものにしたいですって……!?
この子やリチャードに、どれほどの傷を与える気なの!?」
幸い現在、子どもたちは聞いていない。聞かせていない。
しかし決して、その事実は揺るがない。
シエルは杖を現しながら怒鳴り、抜刀したシスイも屋根まで跳んで斬りかかっていた。
「アハハ、その方が面白いだろう?」
シスイは家屋を両断したが、黄金の翼を生やしたクレアには届かなかった。彼女は斬撃の勢いを利用して、高く羽ばたいていく。
「満たされた人間ほど退屈なものはない。
ただ、我々が人間の尊厳を蔑ろにしていたのもまた事実。
君たちの選択は、人類の視点では正しかったとも。
住民たち本人から見て、どうであろうとね」
善か、悪か。その問いにはきっと、答えはない。
けれど、街に生きる当事者にも、人を救った本人にも、各々の答えはあるのだ。
前者のような恐怖がない代わりに、後者には苦悩が付きまとう。それを煽るように、クレアは手の届かない高みから嗤い追い打ちをかけた。
「恐怖だけではなく、死からも解放されていたこの街の人々は、統治者の消失にどう思うかな? その目で子孫を見守る権利を得ていた人々は、恩人の死をどう思うかな?」
「黄金の、クレアッ!!」
魔術を放つも、自由に空飛ぶクレアには当たらない。
ご機嫌にゆらゆらと揺れ、光に満ちた街を見下ろしている。
「あぁ、勘違いはしないでくれ給え。私たちは彼らを隷属させている訳では無い。満足した者がいれば、その魂は解放されるとも。それが夜空に飛び立つこの光。安全の保障がなくなったんだ。昇天を望む者も、かなりいるみたいだね」
街に、空に、光は満ちている。地のそれは段々と人の形に戻り、天のそれはどこまでも飛んでいく。紛うこなく、クレアの言の証明だ。人々は本当の死を迎えていない。
死を意識の繋がりと見るならば、生命は眠る。
肉体の同一性と見るならば、体組織は入れ替わる。
肉体も意識も変わらずあるなら、誰がそれを死と言えようか。
彼らは平穏を崩した。死のない街を終わらせた。
数百年ぶりの死を、振りまいた。
――今宵。無数の魂が空に昇る。
それらは蘇生を拒否した者たち。
あるいは、摩耗に付いてこられなかった過去を生きたはずの人々。
何千、何万と、光は阻むもののない青空をくぐり抜け、安らかな無へ解き放たれる。とうに身がなく、別人として存在していたとしても。これは紛れもない死であり、成仏だ。
彼らの中には、この戦いで死んだ2人のものもあるだろう。
選べた住民たちとは違い、ここで死ぬとは微塵も思っていなかったはずだ。きっと未練が残る、無念の死だっただろう。
けれど――
「幸か不幸か、君たちはスカーレットの手にかからず果てた。生死を弄ばれることもなく、自然のままに」
クレアを取り逃がしたシスイが、刀を納めて崩れかけた屋根に座る。金色は既に光の一つに。見上げる空は、昇る魂で満たされていた。
「君たちは、満足して死ねたかい?」
――後悔だけは、なかったはずだ。
輝く街の中、立膝をついて天を仰ぐシスイは、穏やかな声で静かに問いかけた。
ありがとう、我が蒼銀の継承者。
この勝利はきっと、これから成す多くの偉業の第一歩。
今はまだ、手助けしかできないかもしれないけれど。
いつか必ず、君自身の手で打ち倒せることを……
英雄以上の存在になることを、信じてる。
そして、そんな君の活躍を見る、遠い未来の誰かよ。
才能に選ばれなかった、平凡なキミよ。
どうしてまだ、その場に踏み止まっているんだい?
この世界を占めるのは、大多数が才なき者
誰も彼もが、路端の風景
しかしだからこそ、僕たちは偉業を成した時ではなく、立ち上がった時にはもう、英雄になる
だから、どうかまだ見ぬキミ
彼の灯す明かりを目指し、歩き出せ
脈絡と続く英雄譚を、未来に繋げ
才なき世界で、僕らは無数の英雄たちの上に栄光を築く
その軌跡に刻まれる1人に、どうか――




