9.ありがとう。
――あの事件から、数日が経過した。
上級生たちは停学処分となり、その後に自主退学を申し出たらしい。
警察も間に入って今後一切、先輩やソフト部にかかわらないという誓約も結ばれたとか。ひとまず一件落着というところなのだけれど、少しだけ変化もあった。
「先輩、今日もあっちのソフト部に顔を出すんですね」
「うん! 少しでも、みんなに恩返ししたくて!!」
「恩返しされるのは、先輩だと思うけどなぁ」
文芸部の活動の終了後に、朝倉先輩が賀東の高校へ行くようになったことだ。なんでも、ソフト部のメンバーがコーチをしてほしいと言ってきた、とか。
外部の、しかも現役の学生をコーチに迎えるのは異例だった。
それでも無償という特例条件で、学校側も許可を出したのである。
高校としては、あの事件を公にされたくないだろう、という感じだった。
「あぁ、そういえば――」
そんなご都合主義的な展開について考えていると、先輩が不意に言う。
「拓馬くん、本当にありがとう」――と。
俺は不意打ちを喰らって、思わず呆けてしまった。
そんなこちらに対し、朝倉先輩は笑顔で追撃をかけてくる。
「貴方がいなかったら私、きっとすごく後悔してた。ありがとう!」
「え、あ、いや……!」
あまりに真っすぐな気持ちを向けられて、ハッキリ言って照れてしまった。
だが、そんな俺を知ってか知らずか、彼女はおもむろに手を取る。
そして、頬を赤らめながら言うのだった。
「その、お願いがあるの」
「お、お願い……?」
「うん、お願い。えっと――」
恥ずかしそうに。
しかし、どこか期待するようにして。
「私のこと、陽子って呼んでほしいな、って」――と。
甘えるような声が、俺の耳から入ってきて脳みそを揺らした。
いったい、何が起こっているんだ。これは……。
「せ、先輩? その――」
「だめ、かな?」
「い、いや……!」
スッと身を寄せて、彼女は上目遣いに囁いた。
そして、いまにも唇が重なりそうになった瞬間……。
「すまない、スマホを忘れ――」
「………………」
「………………」
「失礼、邪魔をしたな」
凪咲が現れて、すぐに去っていった。
「待て、待て待て待て待て!? ご、誤解だから!?」
俺は思わず、少女を追いかけて弁明する。
しかし凪咲が納得するまで、かなりの時間を要するのだった。
◆
「ふふふ。ふたりとも、元気だなぁ」
拓馬が慌てて出ていったあと、陽子はそう言って笑った。
しかしすぐに、目を細めて息をつく。
「うん。本当に――」
そして、改めて。
彼女は大切な、好きな男の子に向かってこう言った。
「ありがとう、拓馬くん」――と。




