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忘却の治癒師 ~娘に忘れられても、俺は何度でも父親になる~  作者: レモンティー


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第九話 娘が初めて、俺の治療を拒んだ

営業停止の通達が届いた翌朝、ミウは熱を出した。

額は熱く、咳が続く。

オズマは胸の音を聞き、喉を調べた。

「風邪だろう。薬を飲んで休めばよくなる」

「魔法は使わない?」

「使わないよ」

ミウはほっとした顔でうなずいた。


昼過ぎ、熱が上がった。

サーラが冷たい水を運び、薬師のオルドが診察に来た。

彼はオズマの古い知人で、かつて娘の出産にも立ち会った。

「肺の音は悪くない。水分を取らせて様子を見よう」

オズマはうなずいた。

知識では理解している。

だが娘の息が苦しそうになるたび、治癒の光を使いたい衝動が湧いた。

夜、ミウは眠りから覚め、父の手を握った。

「お父さん、お願いがあるの」

「何だい」

「私が病気になっても、すぐ魔法を使わないで」

オズマは息をのんだ。

「苦しかったら、治してほしいと思うかもしれない。でも、私が何も分からないうちに決めないで」

「……分かった」

「ちゃんと、私にも聞いてね」

娘はまだ八歳だ。

けれど自分の記憶が失われる意味を、少しずつ理解し始めている。


翌朝、熱は下がり始めた。

オルドは安心したように笑った。

「今回は薬で十分だ。お前の力を使わなくてもいい」

オズマは深く息を吐いた。

「私は、怖かったんです」

「娘を失うのがか」

「違います。娘が私を忘れるのが怖い。そんな理由で治療をためらう自分が」

オルドは長い間黙っていた。

「怖がるのは当然だ。だが、だからこそ選択を一人で抱えるな。必要なら私が医学的な判断を伝える」

オズマは礼を言った。

午後、王立施療院の衛兵がやって来た。

通達に従わなければ、治療院を封鎖するという。

「ここには薬を必要とする人がいます」

「王命ではない。院長の決定だ」

サーラが一歩前へ出た。

「なら、決定の根拠を示しなさい。何人の患者を調べたの?」

衛兵は答えられなかった。

通達には、具体的な事故の記録がなかった。

オズマは営業停止に異議を申し立てる書類を作り始めた。

サーラは患者の家族を訪ね、証言を集めると申し出た。

ミウは寝台からその様子を見ていた。

「お父さん、私も何かできる?」

「今は休むこと」

「それだけ?」

「それが一番大切な仕事だよ」

ミウは少し不満そうに布団へ潜った。

夕方、熱は平熱に戻った。

ミウは父を呼び、赤い日記を開いた。

『きょう、おとうさんはまほうをつかわなかった。

わたしにきいてくれた』。

「これ、書いておきたかったの」

オズマは日記を読んだ。

自分が何かをしなかったことが、娘にとって大切な思い出になるとは思わなかった。

「ありがとう。覚えておくよ」

「私も」

娘は笑い、父の手を握った。

夜、オズマは妻の日記を開いた。

そこには病床の妻が書いた一文があった。

『助けるとは、相手の声を聞くことでもある』。

彼はその言葉を読み返し、翌日の診療記録の最初に書き写した。

ミウの熱が下がったあと、オズマはオルドと長く話した。

「娘が自分を忘れることを恐れるのは、私の弱さでしょうか」

オルドは湯飲みを置いた。

「弱さかどうかは知らん。だが、親が子を失うのを怖がるのは当然だ。問題は、怖さで判断を誤ることだろう」

「治癒を使わずに命を失わせたら……」

「だから私を呼べ。お前が父親として揺れるとき、私は医者として診る。必要な治療と、まだ待てる治療を分けよう」

オズマは頭を下げた。

オルドは古い紙を取り出した。

ミウの母マリアが、病床で書いたものだった。

『私が判断できなくなったら、オズマだけに決めさせないでください。

あの人は、自分を責めすぎます』。

「マリアから預かった。お前に見せるべき時を待っていた」

オズマは文字を見つめた。

妻は自分の弱さを知っていた。

責めるためではなく、支える人を残すために。

「……ありがとうございます」

「礼はマリアに言え」


その日の夕方、ミウは父と一緒に庭へ出た。

病み上がりなので、遠くまでは歩かない。

二人は石の縁に腰掛け、花壇に水をやった。

「お父さん、私が怖いって言ったら、怒る?」

「怒らないよ」

「忘れるの、怖い。お父さんがいなくなるみたいで」

オズマは娘の手を握った。

「私も怖い」

「お父さんも?」

「ああ。とても」

ミウは少し驚いたあと、肩の力を抜いた。

「じゃあ、二人とも怖いんだね」

「そうだね」

「怖くなったら、オルド先生にも言おう」

「そうしよう」


その夜、オズマは赤い日記に一行だけ書く許可をもらった。

『怖いことは、一人で決めない』。

ミウはその下に小さな丸を描き、約束の印にした。

二日後、ミウは学校へ戻った。

オズマは門まで送り、帰りに必ず迎えに来ると約束した。

「お父さん、今日は忙しい?」

「少しね。書類を作るんだ」

「じゃあ、夕飯は私が手伝う」

「助かるよ」

教室へ入る娘の背中を見送ったあと、オズマは胸を撫で下ろした。

熱が下がっただけで、世界が少し明るく見える。


午後、オルドが治療院に来て、病気の記録の付け方を教えた。

体温、呼吸、食事、水分、眠った時間。

魔法を使うかどうか決める前に、観察すべきことは多い。

「お前は奇跡を起こせる。だが奇跡を使わずに済むなら、それに越したことはない」

「はい」

オズマは新しい帳面を用意し、ミウの発熱から回復までを書き留めた。

娘がいつ何を言ったかも、医学的な記録とは別に残した。

夕方、ミウは学校で描いた絵を持ち帰った。

そこには父と娘が手をつなぎ、二人の頭上に大きな太陽が描かれていた。

「これ、今日の絵」

「どうして太陽が二つあるんだい」

「一つは空の太陽。もう一つはお父さん」

オズマは絵を見つめた。

ミウは父の手に自分の手を重ねた。

「痛いときは、痛いって言うね。だから勝手に魔法を使わないで」

オズマは娘の目を見た。

「分かった。ただし命が危ないときは、医師として判断しなければならないこともある。そのときはできる限り説明する」

ミウは唇を結んでから頷いた。

二人が交わしたのは、何があっても破れない魔法の誓いではない。

怖いことから目をそらさず、話し続けるための約束だった。

「私はそんなに明るくないよ」

「でも、私が怖いとき、いつも明るくしてくれるよ」

ミウが治療を拒んだとき、オズマは恐怖から「お父さんのために」と言いかけた。

しかしそれでは娘に父の孤独を背負わせてしまう。

「君の身体のことだから、君の話を聞く。危険なときは医師として説明する」と言い直した。

ミウは少し安心した顔で、痛む場所を初めて正確に教えた。


その夜、オズマは絵を壁に貼った。

怖さが消えたわけではない。

それでも、怖いまま誰かと手をつなぐことはできる。

ミウは父の帳面に、自分の字で一行を書いた。

『わたしのことは、わたしにもきいてね』。

オズマはその下に署名した。

娘のために何でもするつもりでいたが、「娘のため」と言いながら娘の声を聞かないこともできる。

小さな署名は、その過ちを防ぐための約束になった。

翌朝、オズマは壁の絵を見ながら、オルドに教わった観察記録を見直した。

自分一人で判断しないという約束を、毎日の習慣に変えるためだ。

ミウが起きてくると、彼はいつものように体調を尋ねた。

娘は元気よく答え、朝食のパンを二つ皿に並べた。

オズマは昨日決めた手順どおり、熱と脈を確認してから手を離した。

「今日は魔法を使わなかったね」と娘が言う。

「使わなくて済むのが一番だ」

その返事に、ミウは安心したように笑った。

何事もない朝だった。

オズマは、こういう朝を守るために学び続けようと思った。

ミウが差し出した手を、オズマは握り返した。

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