第八話 王国最高の治癒師は、俺を偽物と呼んだ
王立施療院から使者が来た。
白い封蝋の手紙には、院長グラディスの署名があった。
『治療行為に関する公開審問へ出頭せよ』。
サーラは手紙を見て眉をひそめた。
「あいつは昔から、あんたの力が気に入らなかった」
「逃げれば、患者に迷惑がかかります」
オズマは診療記録を抱え、王立施療院へ向かった。
大広間には貴族、治癒師、記録官が集まっていた。
グラディスは銀糸の法衣をまとい、高い席から見下ろした。
「オズマ。お前は治療した者の記憶を奪うと聞く。正規の治癒術ではあり得ない現象だ」
「事実です」
「ならば危険な呪術ではないか」
オズマは反論せず、治療の手順と代償を説明した。
患者以外の記憶や文書は消えないこと、治療後に新しく覚えたことは残ることも。
グラディスは鼻で笑った。
「都合のいい説明だ。患者が術者を覚えていなければ、治療の功績を誰が証明する?」
「付き添った家族と記録です」
「記録など偽造できる」
その言葉に、傍聴席のサーラが立ち上がった。
「私が証人です。弟の腕を救ったのはこの人だ!」
ほかにも二人が手を上げた。
治療された本人ではなく、その家族たちだった。
グラディスは顔をしかめ、最後の試験を命じた。
治療不可能と診断された兵士を連れてこさせたのだ。
兵士の右手は戦傷で動かない。
数年が経ち、筋は固まっていた。
「治せるなら治してみせろ。ただし、患者の同意が必要だ」
オズマは兵士の前に膝をついた。
「あなたは私を忘れます。それでも、治療を望みますか」
兵士は左手で剣の柄を握り、答えた。
「息子に、もう一度両手で木馬を作ってやりたい」
「分かりました」
治癒は難しかった。
古い傷は新しい傷より複雑で、神経の通り道を一つずつ確かめなければならない。
広間の空気が重くなる中、オズマは集中した。
やがて兵士の右手が震えた。
一本、また一本と指が動く。
「動いた……!」
兵士は泣きながら両手を開いた。
観衆から歓声が上がる。
そして、いつものように兵士はオズマを忘れた。
「……あなたは?」
「治療をした者です」
兵士は困惑しながらも、自分の動く右手を見つめた。
グラディスは立ち上がった。
「治ったように見えるだけだ。後遺症がない保証はない!」
「保証はできません。だから経過観察をお願いします」
「お前は自分の手柄を証明できない偽物だ」
オズマは静かに答えた。
「手柄を証明するために治したのではありません」
広間が静まり返った。
帰宅すると、ミウが玄関に飛び出してきた。
「お父さん、勝った?」
「勝ち負けじゃないよ」
「でも、ひどいこと言われたんでしょ」
オズマは娘を抱き上げた。
「一人、また手が動くようになった。それで十分だ」
ミウはしばらく考え、父の頬に触れた。
「じゃあ、今日はお父さんの勝ちだね」
オズマは笑った。
数日後、治療院の前に木馬が置かれていた。
片側に不器用な彫り跡がある。
添えられた紙にはこう書かれていた。
『息子が喜びました。
右手を返してくれた方へ』。
オズマは木馬を棚に飾った。
誰が作ったのか、彼には分かる。
作った本人が自分を忘れていても、木馬はここにある。
その夜、グラディスの使者が再び来た。
今度の封書には、治療院の営業停止を求める文面が記されていた。
公開審問の翌日、兵士が治療院を訪れた。
右手には小さな木屑が付いていた。
「先生。私は昨日のことを覚えていません。ですが、家族に聞いて、ここへ来ました」
彼は両手で作った木馬を差し出した。
「息子が昨夜、これを抱いて寝ました。ずっと片手で作っていたので、車輪がまっすぐ付けられなかった。昨日は初めて、両手で仕上げられたんです」
オズマは木馬を受け取り、指先で車輪を回した。
少しぎこちないが、きちんと動く。
「まだ指が疲れるでしょう。無理をせず、少しずつ使ってください」
「はい。王立施療院にも、経過を報告します」
「それがいい」
兵士は立ち去りかけ、足を止めた。
「先生。私が昨日どんなことを言ったか、教えてもらえますか」
オズマは彼が息子のために木馬を作りたいと願ったことを伝えた。
兵士は静かに目を伏せた。
「私らしい願いです。覚えていなくても、そう思います」
彼が帰ると、ミウが木馬を眺めた。
「お父さん、これでグラディス先生も信じてくれるかな」
「分からない」
「どうして? ちゃんと治ったのに」
「人は、見たいものだけを見ることがあるからね」
オズマは昔の施療院を思い出した。
グラディスは若い頃、腕のよい治癒師だった。
誰よりも規則を守り、患者を救おうとしていた。
だが治癒の結果を証明できないオズマの力を、どうしても認めなかった。
「悪い人なの?」
ミウの問いに、オズマは首を振った。
「間違っていると思う。でも、悪い人だと決めつけたら、私も同じことをしてしまう」
ミウは木馬を見て、少し考えた。
「じゃあ、分かってもらえるまで、何回も話す?」
「そうだね。ただ、危ないことをさせるなら止めなくちゃいけない」
その夜、オズマは治療記録の写しを作った。
患者の個人情報を隠し、治療前後の状態と、家族の証言を添える。
奇跡だと叫ぶより、事実を積み重ねるほうが、いつか誰かの判断を変えるかもしれない。
夜、オズマは治療院の古い棚から、王立施療院にいた頃の徽章を取り出した。
銀色の翼をかたどった小さな飾りだった。
若い頃の彼は、その徽章を誇りに思っていた。
治癒師として認められれば、多くの人を救えると信じていたからだ。
だが、最初の患者に忘れられた日から、周囲の態度は変わった。
功績を示せない彼を、同僚は疑った。
上司は記録を突き返した。
グラディスは『証明できない治療は治療ではない』と言った。
オズマは徽章を掌に載せた。
王立施療院を去った日、捨てるつもりで持ち帰ったものだ。
「お父さん、これ何?」
ミウが覗き込んだ。
「昔の仕事の印だよ」
「きれい。付けないの?」
「もう、そこでは働いていないからね」
「でも、今も治癒師でしょ」
フェルへの返書を投函する前、オズマは診療台の記録をもう一度確かめた。
名前を伏せれば、治癒の仕組みだけを議論できるだろうか。
王立施療院にいた頃、結果を急ぐ研究者たちが患者を番号で呼んだことを思い出す。
あのやり方を繰り返すつもりはなかった。
「見学は患者の許可がある日だけ」
封筒の最後にそう書き添えた。
名誉を取り戻すために治療院を開いたのではない。
オズマは娘を見た。
「そうだね」
若い治癒師フェルは、院長の前では何も言わなかった。
だが帰り際、処置の順序を記した紙を置いた。
「あなたの魔法が本物かどうかより、患者が助かった理由を知りたい」
オズマはその一行に目を留めた。
信頼は肩書で得るものではなく、同じ患者を前に手順を確かめ合うところから始まる。
彼は徽章を棚に戻さず、診療台の横に置いた。
所属を失っても、学んだ技術と患者を救いたい気持ちは消えない。
フェルは患者の前で「魔法の効果だけでなく、同意と記録も必要です」と言った。
オズマはその言葉を忘れないよう帳面に写した。
強い治癒があれば何をしてもよいわけではない。
患者の人生を救うことと、患者の人生を代わりに決めることは違う。
その区別を若い治癒師から教わったのが、少し嬉しかった。
翌朝、フェルという若い治癒師から短い手紙が届いた。
『昨日の治療を見ました。
記録の確認をお願いしたい』。
オズマは返事を書いた。
フェルには、患者の同意がある記録だけを見せると明記した。
自分の正しさを証明するために、患者の秘密を晒すことだけはしたくなかった。
味方か敵かを決めるのは、まだ早い。
話し合える人が一人でもいるなら、その扉を閉じる必要はないと思った。




