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忘却の治癒師 ~娘に忘れられても、俺は何度でも父親になる~  作者: レモンティー


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第十話 それでも俺は、人を救うことをやめない

営業停止の期限が来た。

治療院の前には衛兵が二人立ち、扉には封鎖の札が貼られていた。

オズマは札を見つめた。

中には薬草があり、待合室には古い椅子が並んでいる。

ミウが作った看板だけが、いつもと同じ場所で揺れていた。

「お父さん、もうお仕事できないの?」

「今は、ここで治療できないんだ」

「じゃあ、困っている人はどうするの」

答えを出す前に、遠くから悲鳴が聞こえた。

市場の橋が崩れたのだ。

雨で増水した川に荷馬車が落ち、数人が下敷きになっているという。

オズマは薬箱をつかんだ。

衛兵が道を塞ぐ。

「治療行為は禁止されている」

「人が死にます」

「命令だ」

オズマは衛兵の目を見た。

「あなたが代わりに救えますか」

衛兵は黙った。

オズマは横を通り抜け、橋へ走った。

現場には瓦礫が散らばり、川の水が石畳を洗っていた。

商人が足を挟まれ、幼い少年が意識を失っている。

オズマはまず呼吸を確かめた。

少年は水を吸い込み、肺がうまく動いていない。

商人は大腿部から出血していた。

「布を持ってきて! この傷を押さえて!」

周囲の人々が動き出す。

オズマは少年の母親に説明した。

「治せます。ただし、治療後、この子は私を忘れます」

「そんなこと、どうでもいい! 助けて!」

少年は意識がなく、意思を確認できない。

命の危険が差し迫っている。

オズマは治癒を始めた。

光が少年の胸に広がる。

肺に溜まった水を排出し、傷ついた組織を修復する。

少年が激しく咳き込み、息を吸った。

「……お母さん」

母親が泣きながら抱きしめた。

次に商人へ向かった。

出血を止め、裂けた筋肉をつなぐ。

男は痛みに呻きながら、オズマの腕をつかんだ。

「頼む……まだ、家に帰りたい」

「帰れます」

治癒が終わると、男は彼を忘れた。

オズマはそれでも笑って包帯を巻いた。

現場に王立施療院の一団が到着した。

先頭にいたグラディスは、オズマを見るなり顔を歪めた。

「命令違反だ。衛兵、拘束しろ!」

人々がざわめく。

オズマは逃げなかった。

「必要な治療をしました。責任は取ります」

「お前の危険な術を野放しにはできん!」

そのとき、少年の母親が前に出た。

「この人が来なければ、息子は死んでいました」

商人の妻も続いた。

「夫が歩けるのは、この先生のおかげです」

サーラが集めた証言を抱えて現れた。

紙には、治療を受けた人々の家族の署名が並んでいた。

「覚えていない患者の代わりに、私たちが証言する」

衛兵は顔を見合わせた。

グラディスは反論しかけたが、周囲から次々と声が上がった。

「うちの母も助けられた!」

「弟の命もだ!」

「先生を連れていくな!」

オズマは呆然とした。

自分を覚えている人など、娘とサーラくらいだと思っていた。

だが、患者の家族たちは覚えていた。

救われた命の隣で、彼の仕事を見ていた。

グラディスはひとまず拘束を断念し、正式な審査を命じた。

営業停止は続く。

それでも、治療院を閉じる理由が正しいのか、王国は調べなければならなくなった。

夕方、オズマは疲れ切って帰宅した。

ミウが駆け寄り、泥だらけの上着を見て眉をひそめた。

「また無茶したでしょ」

「少しだけ」

「少しじゃない顔だよ」

娘は温かい湯を運び、父の手を拭いた。

「お父さん、今日も忘れられた?」

「ああ。二人にね」

「でも、助かったんだよね」

「助かった」

ミウは満足そうにうなずいた。

「じゃあ、よかった」

オズマは娘を抱きしめた。

「ミウ。私が何度忘れられても、治療を続ける理由が分かった気がする」

「何?」

「誰かが家に帰れるからだよ。帰りを待っている人のところへ」

ミウは父の胸に顔を埋めた。

「お父さんも、ちゃんと帰ってきてね」

「ああ。約束する」


その夜、治療院の戸口に新しい札が掛かった。

『診療停止中。

緊急の相談は受け付けます』。

違反にならない範囲で、できることを続けるためだった。

オズマは帳面に二人の名を書き、最後に一行を加えた。

『忘れられても、救った命は消えない』。

隣室ではミウが日記を開いていた。

父の帰りを待ちながら書いたらしい。

『お父さんは、きょうもかえってきた』。

その短い一文を見たとき、オズマはようやく、自分が守りたいものの形を知った。

ただ命を延ばすことではない。

誰かが誰かのところへ帰れる、その当たり前の一日を守ることだ。

しかし数日後、王都の北門から奇妙な病の報告が届く。

治療した患者が、家族の名前まで思い出せなくなるという。

オズマの力とは違う、別の忘却が広がり始めていた。

橋の事故から三日後、オズマは仮設の相談所を市場の端に開いた。

診療停止の命令に従い、魔法は使わない。

傷を洗う方法、熱の見分け方、薬を飲む量を紙に書いて渡した。

「これなら禁止されていないのかい」

サーラが尋ねた。

「治療院の営業は止められています。でも、知っていることを話すのまで禁じられてはいません」

オズマは小さく笑った。

相談所には、橋で助かった少年の母親も来た。

少年はオズマを見て首を傾げたが、母親が説明すると、元気よく頭を下げた。

「ぼく、泳げるようになりたい」

「まずは浅いところからだね。必ず大人と一緒に」

「うん!」

少年は走っていった。

オズマはその背中を見送った。

記憶がなくても、新しい約束はできる。


午後、王立施療院の若い治癒師が訪れた。

名はフェル。

公開審問で兵士の治療を見ていたという。

「院長のやり方には納得できません。ですが、先生の力にも分からないことが多い」

「そのとおりです」

「記録を見せてもらえますか。私も検証したい」

オズマは帳面の写しを差し出した。

フェルは何度も読み返し、患者本人の記憶だけが消えることを確かめた。

「もし治療後にもう一度会えば、新しい記憶は作れるんですね」

「はい。ただし次に治療すれば、それも消えます」

「残酷な力ですね」

「そう思います」

フェルは首を振った。

「残酷なのは、力ではなく、その代償を一人で背負わせてきたことかもしれません」

その言葉に、オズマは返事ができなかった。

夕方、ミウは相談所の机を拭き、椅子を片付けた。

「お父さん、今日は何人助けた?」

「相談に来たのは七人。治癒魔法は使っていないよ」

「それでも、助けたんだよね」

「ああ。そうだと思う」

ミウは満足そうにうなずいた。

北門の病の噂が届いたのは、その直後だった。

忘却が家族にまで及ぶという報告を聞き、オズマは背筋を冷たくした。

自分の力と似ている。

だが決定的に違う。

彼の治癒が消すのは術者との記憶だけで、家族の顔や昨日の食事まで奪うことはない。

彼は帳面を開き、新しい頁に書いた。

聞き取りでは、患者が自分の家族の顔まで分からなくなる例があった。

自分の治癒では起こり得ない症状だ。

似た現象を同じものと決めつければ、誰かを危険にさらす。

まず別の病として調べようと決めた。

北門から届いた紙片には、家族の顔を忘れた少年が、家に帰る道だけは覚えていたと記されていた。

オズマはその一行に線を引いた。

記憶が失われる順番に法則があるなら、原因を追えるかもしれない。

ミウは隣で赤い日記を開き、今日の日付を書いた。

「忘れちゃいけないこと?」と尋ねる。

「そうだ。だけど、間違って覚えているかもしれないことも書く」

オズマは推測と事実を分けて記した。

誰かの記憶を奪う病と、自分の治癒の代償。

その違いを見極める調査は、ここから始まる。

『北門の原因不明の記憶障害。

調査が必要』。

ミウはその横で赤い日記を閉じた。

北門から届いた報告には、オズマの治癒では説明できない例が記されていた。

患者を治療していない家族まで、同じ夕刻の出来事を忘れている。

オズマは紙の端に二本の線を引いた。

一つは自分の治癒による忘却、もう一つは原因不明の障害。

似ているからといって同じものにしてはならない。

その慎重さこそ、次に救う命を左右する。

「お父さん、明日も帰ってきてね」

オズマは娘の目を見て答えた。

「帰ってくる。約束だ」

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