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忘却の治癒師 ~娘に忘れられても、俺は何度でも父親になる~  作者: レモンティー


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第六十六話 もう、あなた一人に背負わせない

共同診療所が開いて一か月。

患者は予想以上に多かった。

朝は熱のある子供、昼には転んだ職人、夕方には長く咳をしている老人。

オルドとサーラだけでは手が足りず、オズマは休憩室の椅子を横目に廊下を走り回った。

「これでは、建物が増えただけだ」とオルドが言った。

ミウも同じことを考えていた。

父の仕事を減らすための診療所なのに、父が一番忙しい。

「人を増やしましょう」

「誰でもいいわけじゃない」とオルド。

「分かっています。できることを分けるんです」

ミウは仕事を紙に書き出した。

診察、薬の準備、器具の洗浄、記録、往診、患者への説明。

それぞれに必要な技術と、任せてはいけない範囲を記した。

最初に来たのは、近隣の町で働く薬師だった。

名をネリと言う。

彼女は薬棚を一目見て、眉をひそめた。

「薬は揃っている。でも、誰がいつ補充したか分からない」

「私が見ています」とミウ。

「あなたが休んだら?」

ミウは答えに詰まった。

父に一人で背負わせまいとして、自分が同じことを始めていたのだ。

ネリは補充表を作り、二人で確認する決まりを提案した。

次に、町の若い医師が手伝いに来た。

名はハル。

腕は確かだが、オズマの奇跡を見たいという気持ちを隠さなかった。

「一度でいいから、あの光を見せてもらえませんか」

「見世物ではない」とオルドが叱った。

ハルは顔を赤くした。

オズマは静かに言った。

「私の治療は、患者の記憶を奪う。見たいという理由では使えないんだ」

ハルは頭を下げた。

「すみません。患者のことを考えていませんでした」


その日の午後、老人が胸の痛みを訴えて運ばれた。

オルドが診察し、ハルが脈と呼吸を確認する。

ネリは必要な薬の準備をし、サーラは家族から経過を聞いた。

オズマは一歩引いて全体を見守った。

誰かが判断を迷えば助言する。

しかし、手を伸ばさなくても仕事が進んでいく。

「先生、ここを確認してください」とハル。

「うん。君の判断を聞かせて」

ハルは所見を述べ、オルドと方針を確かめた。

老人は慎重な処置と観察を受け、夜には容体が落ち着いた。

「助かった……」と家族が呟いた。

オズマは頷いた。

「皆で診たんです」


翌朝、診療所の壁に当番表が貼られた。

休憩時間も書き込まれている。

オズマの欄には、週に一日の休み。

「私だけ休むのは」とオズマが言いかけると、ネリが遮った。

「全員休みます。休まない人が一人いると、ほかの人も休めなくなるんです」

ミウは思わず笑った。

父を説得する人が、自分以外にも増えた。

夕方、診療所の扉を閉めたあと、オルドが古い椅子を運んできた。

「お前が座るために買ったんじゃない。誰かが疲れたとき、座れるようにだ」

オズマは椅子の背を撫でた。

「ありがとう」

「礼を言うなら、明日は休め」


翌日は、ミウと市場へ行く約束の日だった。

オズマは当番表に自分の名前がないことを何度も確かめた。

当番表を作った翌週、ハルが高熱を出して休んだ。

代わりの担当を探すと、誰もその日の往診経路を知らなかった。

ハルだけが持っていた手帳に住所が書かれていたからだ。

「一人に任せきりにしていました」とミウは唇を噛んだ。

ネリは「気づけたなら、直せばいい」と言った。

往診先の情報を患者の同意を得て共有し、緊急時の引き継ぎ表を作った。

復帰したハルは「自分がいないと困ると思って、少し嬉しかった」と白状した。

オルドは笑わなかった。

「困るのは患者だ。誇るところを間違えるな」

ハルは頭を下げた。

オズマはその様子を見て、自分にも同じ気持ちがあったと気づいた。

必要とされることが嬉しくて、誰にも任せられなかった。

帰宅後、彼はミウに言った。

「私は、自分がいないと困る場所を作ろうとしていたのかもしれない」

ミウは答えた。

「じゃあ、これからは、お父さんがいなくても大丈夫な場所を一緒に作りましょう」

ある日、ミウは休憩室でネリが一人、薬の数を数え直しているのを見つけた。

「私が代わります」と言うと、ネリは首を振った。

「代わってもらうなら、手順を教えてからね」

二人は棚の札を確かめ、数えた人と確認した人が別々に署名する方法を決めた。

作業は少し遅くなったが、間違いを見つけやすくなった。


翌週の会議で、ミウは自分にも休みを設けると宣言した。

オズマが驚く。

「君は、まだ若いのに」「若いから休まなくていい、とは言わないでください」

オルドが笑い、サーラも賛成した。

誰かの善意を使い尽くす仕組みでは、長く人を助けられない。

当番表ができてから、最初の夜に問題が起きた。

近隣の村から急患の知らせが届いたのだ。

若い医師は迷い、オズマを呼ぼうとした。

だが、オルドはまず患者の状態を聞き取り、必要な道具を持って出発した。

オズマには、状況が変われば連絡することだけ伝えた。

家で知らせを受けたオズマは、靴を履きかけて止まった。

ミウは何も言わず、玄関に立っていた。

「行かない方がいいと思うかい」と父が尋ねる。

「必要なら行ってください。でも、今はオルド先生が行っています」

オズマはゆっくり靴を脱いだ。

夜明け前、オルドから無事の知らせが届いた。

患者は処置を受け、引き続き村で経過を見るという。

オズマは安堵して椅子に座り込んだ。

「私がいなくても、助かったんだね」

ミウは頷いた。

「お父さんが教えたことも、皆の中に残っています」


翌日の会議で、若い医師は自分が判断に迷ったことを報告した。

誰も責めなかった。

次に迷ったとき、どの情報を先に確かめるかを皆で決めた。

オズマはその話を聞き、自分が夜中に駆けつけることだけが責任ではないと、少しずつ理解した。

その夜、オズマは久しぶりに料理を作った。

焦がした鍋を前に、ミウは笑いをこらえた。

「診療所では頼りになるのに」「台所では初心者だからね」

二人で鍋を洗い、簡単なスープを作り直した。

オズマは「仕事を任せたら、こんな時間が戻ってくるんだな」と呟いた。

ミウは頷いた。

休むことは空白ではない。

そこに暮らしが戻ってくるのだ。

夜勤表を決めた初日、ネリは「薬の確認は私一人ではできない」と申し出た。

経験の浅い助手を当直に入れれば、忙しさは減っても危険が増える。

ミウは予定表を書き直し、夜間の緊急連絡先と、診療を受けられないときの搬送先を明記した。

「全部ここで治す」と言わないことも、患者を守る仕事だった。

初めてオズマ抜きで当直を終えた夜、サーラは引き継ぎ帳の一行を指さした。

『判断に迷ったため、上級医へ相談』。

ミウは失敗の印だと思ったが、オルドは首を振った。

「迷ったことを隠さないのが、いい引き継ぎだ」


翌朝、オズマも同じ行に目を留めた。

以前の彼なら一人で駆けつけていただろう。

今は「助けを求めてくれてありがとう」と書き添えた。

「心配ですか?」とミウ。

「少しね」

「大丈夫。私たちがいなくても、診療所は開きます」

その言葉は、オズマにとって何より難しく、何より嬉しい知らせだった。

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