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忘却の治癒師 ~娘に忘れられても、俺は何度でも父親になる~  作者: レモンティー


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第六十五話 忘れられた英雄のための小さな診療所

「ここに診療所を作りたいんです」

ミウが指したのは、町外れの古い染物小屋だった。

屋根は一部が抜け、床板も軋む。

オズマは思わず眉を寄せた。

「ここは雨漏りするよ」

「直します」

「冬は寒い」

「暖炉を入れます」

「お金は?」

「そこが一番の問題です」

ミウは正直に答えた。

オズマは笑いかけたが、娘の目が本気なのを見て口を閉じた。

「どうして、ここなんだい?」

「町の中心から遠い人も来られるように。それに、ここなら薬を保管する部屋と、休める部屋を分けられます」

ミウは紙に描いた間取りを広げた。

待合室、処置室、薬棚、手洗い場。

そして小さな休憩室。

「最後の部屋は?」

「お父さん用です」

「患者用じゃないのかい?」

「患者さんにも使います。でも、お父さんが倒れる前に座る場所が必要です」

オズマは返す言葉を失った。

町の職人たちは、話を聞いて協力を申し出た。

テオは橋の仕事の合間に床を直すと言い、粉ひき場の主人は荷車を貸すと言った。

ただし、全員が無償で働けるわけではない。

「善意だけで建てると、続かない」とオルドが言った。

ミウは資金帳を作った。

寄付、材料費、職人への賃金、冬の薪代。

数字を並べると、足りない金額がはっきりした。

「無理かもしれません」

「無理だと分かったところから、計画は始まる」とオルド。


翌日、ミウは町の会議に出た。

診療所が必要な理由を説明し、費用の一部を町が負担できないか尋ねた。

「奇跡の治癒師がいるなら、建物はいらないだろう」

年配の商人が言った。

「逆です」とミウは答えた。

「一人の奇跡に頼っているから、建物と人手が必要なんです」

商人は首を傾げた。

「奇跡を使えば、患者はすぐ治るのでは?」

「使うたびに、その人は父のことを忘れます。それに、父がいつも元気とは限りません。誰か一人がいなくなっても、医療が続く場所を作りたいんです」

会議はすぐにはまとまらなかった。

費用の使い道を細かく示すよう求められ、ミウは何度も書き直した。


三日後、町から小額の補助が認められた。

条件は、収支を公開し、誰でも診療を受けられる仕組みにすること。

「英雄の名前を掲げるなら、金が集まりやすいぞ」と商人が言った。

ミウは考えた末、首を横に振った。

「名前を利用して、治療を約束することはしたくありません。父にも、休む日があります」

代わりに看板には、まず『共同診療所』と書くことにした。

誰が治すかより、誰が来ても相談できることを示したかった。

工事の初日、オズマは古い床板を外そうとして腰を痛めた。

「お父さん、休憩室の最初の利用者です」

「まだ床しかないよ」

「だから椅子を置きました」

ミウは椅子を指した。

オズマは降参して座った。

日が暮れるころ、雨漏りしていた屋根に新しい板が載った。

窓から夕日が差し込み、埃が金色に光る。

「ここで、何人の人を助けられるかな」とオズマ。

「分かりません。でも、一人ずつです」

ミウは間取りの端に小さく書き足した。

完成前の診療所で、ミウは一つの失敗をした。

窓の位置を図面どおりに決めたところ、午後になると処置台に強い日差しが当たり、患者が眩しがったのだ。

「紙の上では問題なかったのに」

テオは笑わず、窓の向きを一緒に確かめた。

「橋も同じです。図面だけじゃ、川の風は分からない」

二人は実際に患者役を交代し、寝台に横になってみた。

結局、窓に日よけを付け、処置台の向きを変えた。

ミウはその日、設計図の端に『使う人に確かめる』と書いた。

オズマが「君はよく考えているね」と褒めると、ミウは首を振った。

「考えただけじゃ足りませんでした。患者さんがここに寝て初めて分かることがあります」

その言葉を聞いたオルドは、開院前に近所の人を招き、待合室の椅子や入口の段差を試してもらうことにした。

小さな診療所は、建てる人だけでなく、使う人の声によって形を変えていった。

開院を目前にして、町の商人から条件付きの大口寄付が申し出られた。

「入口に私の商会の名を大きく掲げてくれれば、薬棚を全部揃えよう」

ミウはありがたいと思った。

しかし、寄付の条件には、商会の従業員を優先して診察することも含まれていた。

「それはできません」

ミウが答えると、商人は眉を上げた。

「困っているのは君たちだろう」

ミウは一度、父に相談した。

オズマは「君が守りたいものは何だい」と尋ねた。

「お金がなくても診てもらえる場所です」「なら、そのために何を譲れるか、何を譲れないか決めよう」


翌日、ミウは商人に礼を述べ、優先診療の条件を断った。

商人は去ったが、数日後、条件を付けずに小さな薬棚を届けてくれた。

「あんたたちが本気か試したかったわけじゃない。ただ、筋を通す人間は嫌いじゃない」

開院前夜、ミウは建物の前で立ち尽くした。

予算帳には赤い印が並び、棚にはまだ薬が足りない。

大工への支払いも一部残っていた。

「私、無理なことを始めたのかもしれません」

隣に来たサーラは、すぐには慰めなかった。

「明日、できる診療とできない診療を分けましょう。全部を引き受けると言わなければ、始められるわ」

二人は診察できる時間と、重い患者を紹介する先を紙に書いた。

診療所は一日で完成するものではない。

足りないところを隠さず、少しずつ整える場所だ。


翌朝、最初の患者が来る前に、テオの父が椅子を一脚運んできた。

「最後の一脚だ。脚の長さを揃えておいた」

ミウは何度も礼を言った。

父が診療所のために用意した古い治療帳も、棚に収められた。

ただし鍵を掛け、閲覧には患者の許可を必要とすることにした。

オズマはその鍵をミウへ渡した。

「私だけが守ってきた記録を、これからは皆で守ろう」

ミウは鍵の重さを確かめた。

父の名を残すことは、父の秘密を勝手に広めることではない。

誰かの人生を大切に預かることでもあった。

開院の日、最初の患者は近所の老婆だった。

膝が痛むと言いながら、手に花を一輪持っていた。

「病気じゃなくても、ここへ来ていいかい」

ミウは笑った。

「まず、お話を聞きます」

老婆は花を窓辺に飾り、「明るい場所になったね」と言った。

古い小屋は、ようやく町の診療所になった。

診療所の建物を貸すはずだった持ち主が、開院直前に条件を変えた。

「無料診療だけなら貸せない。家賃を払えるのか」

ミウは寄付に頼り切った計画を見直し、支払える人の診療費、免除の基準、修繕費を帳面に分けた。

オズマが自分の蓄えを差し出すと、ミウは首を振った。

「お父さん一人の犠牲で始めたら、今までと同じです」

開院初日の夕方、雨漏りが見つかった。

棚に置いた包帯をミウが抱えて移し、オズマは桶を置いた。

『英雄の診療所』という立派な呼び名とはほど遠い。


翌朝、町の大工が屋根を直しに来た。

料金を尋ねると、「無料じゃない。来月、うちの親父の足を診てくれ」と笑う。

ミウは正規の修繕代を帳面につけ、診察は別に受け付けた。

互いの仕事を大切にする場所にしたかった。

『働く人も、患者と同じように大切にする』。

オズマはその文字を見て、娘の作ろうとしている場所が、自分のためだけではないと知った。

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