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忘却の治癒師 ~娘に忘れられても、俺は何度でも父親になる~  作者: レモンティー


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第六十四話 百人の患者が、一人の治癒師を探している

「先生を探している人が、町の広場に集まっているそうです」

朝、サーラが駆け込んできた。

ミウは帳面を抱えたまま顔を上げた。

「何人くらい?」

「数え切れないわ。百人はいるって」

オズマは首を振った。

「私は呼んでいないよ」

「分かっています。でも、手紙の話が広まったの」

第56話で届いた百通の手紙は、治療記録を手掛かりに書かれたものだった。

その後、患者の家族が自分の記録を探し始め、古い診療所の帳面を調べる人が増えた。

誰かが広場に『記録のある方は相談を』と掲示したらしい。

「会いに行こう」とミウが言った。

「私を覚えていない人たちだ」

「だからこそ、何を求めているのか聞かないと」

広場には、予想以上の人がいた。

礼を言いたい人、記録を見たい人、治療の代償について説明を求める人。

中には、奇跡の治療を受けたいと子供を連れてきた母親もいた。

「先生、うちの子を助けてください!」

母親が前へ出た。

子供は熱で頬を赤くしている。

オズマは思わず手を伸ばしたが、ミウがそっと袖を引いた。

「まず、診療所へ。ここでは診察できません」

オルドが子供の様子を確かめ、サーラとともに運んだ。

命にかかわる状態かどうか、まず診察が必要だった。

広場では、別の男が声を荒らげた。

「奇跡の先生がいるなら、なぜ誰も教えてくれなかった!」

「忘れたからだろう」と誰かが答えた。

「そんな都合のいい話があるか!」

ミウは前へ出た。

「私も、お父さんを忘れました」

ざわめきが止まった。

「治してもらったあと、昔の記憶は戻っていません。今ここにいるのは、もう一度知り合ったからです」

男はミウを見つめた。

「じゃあ、お前はその人が本当に父親だと、どうして信じられる?」

「記録がありました。母の手紙がありました。でも、信じると決めたのは、今の暮らしの中です」

ミウは一歩下がった。

「皆さんに同じことを求めません。覚えていない人に、感謝を強いるつもりもありません」

オズマは娘の横に立った。

「治療を受けた人には、私を忘れるという代償がありました。だから、今ここで私を信じなくても構いません」

彼は深く頭を下げた。

「ただ、病気の相談がある方は診療所へ来てください。私だけではなく、医師たちが診ます」

その日の集まりは、感謝の式典にはならなかった。

代わりに、質問の列ができた。

古い記録の写しを求める人、病状について知りたい人、誰にも名前を知られたくない人。

ミウは相談を三つの机に分けた。

治療記録、現在の診療、本人の希望を聞く窓口。

オルドとサーラが手伝い、広場はようやく落ち着いた。

夕方、朝の子供が戻ってきた。

熱は下がり始め、普通の処置と休養で経過を見られるとオルドが説明した。

母親はオズマを見て、深々と頭を下げた。

「先生に奇跡を使わせなくてよかったんですね」

「必要なら、使うことも考えます。でも今日は、あの子の体が頑張れる状態でした」

帰り道、オズマは言った。

「百人に探されるのは、怖かったよ」

「私もです」

「君は堂々としていた」

「足、震えてました」

ミウが靴先を見せると、オズマは笑った。

「でも、逃げなかった」

「お父さんも」


翌朝、広場の掲示は書き換えられた。

広場の集まりのあと、ミウは一通の苦情を受け取った。

「父の治療記録を勝手に見せないでほしい」

差出人は亡くなった患者の娘だった。

ミウはすぐに該当する記録の閲覧を止め、本人に会いに行った。

娘は怒っていた。

「父がどんな病気だったか、近所に知られたくないんです」

ミウは言い訳をしなかった。

「私が、記録を残すことばかり考えていました。申し訳ありません」

その晩、診療所では記録の扱いを決め直した。

本人や家族の同意がないものは公開しない。

相談の場と、治療の場を分ける。

ミウは掲示板に新しい注意書きを貼った。

オズマはそれを見て「今日はつらかっただろう」と言った。

「はい。でも、叱ってもらえてよかったです。誰かの人生を残すって、勝手に書くことじゃないんですね」

オズマは頷いた。

忘れられる側の痛みだけではなく、忘れた人にも守りたい生活がある。

そのことを、親子は改めて学んだ。

その後、広場で怒っていた男が一人で診療所を訪ねた。

「昨日は、悪かった」

男は父の治療記録を探していたが、見つからず苛立っていたという。

「父は亡くなった。あんたに治してもらったと言う親戚もいる。でも本当か分からない」

ミウは男を記録室に案内し、該当する年の帳面を一緒に調べた。

似た名前はあったが、確証は得られなかった。

「分からないんだな」と男は言った。

「はい。分かったふりはできません」

男は長いあいだ黙り、やがて立ち上がった。

「それでも、調べてくれてありがとう」

帰り際、彼は振り返った。

「父が誰に助けられたか分からなくても、父と過ごした時間は俺のものだ」

ミウは頷いた。

集会の準備で、ミウは一つの失敗をした。

古い名簿の住所を確かめずに案内を送り、すでに亡くなった患者の家へ手紙が届いてしまったのだ。

遺族は怒って診療所へ来た。

「何年も前のことを、どうして今さら知らせるんですか」

ミウは言い訳をせず謝った。

「お父さんが救ったことを知ってほしくて、私が勝手に考えました」

遺族は長い沈黙のあと、「本人が生きていた頃なら、喜んだかもしれない。でも、私たちには準備が必要だった」と言った。

ミウは頭を下げた。

善意があれば、いつでも相手を訪ねてよいわけではない。


その夜、ミウは案内の送り方を改めた。

家族に確認できない場合は、直接訪問しない。

返事を求める文章にしない。

参加を断る人の名前を記録に残さない。

オルドは修正した案内を見て言った。

「集まる人数は減るかもしれんぞ」

ミウは頷いた。

「それでも、いいです」

集会当日、会場の端には空席があった。

ミウはそれを失敗だとは思わなかった。

来なかった人にも、来ないと決める自由がある。

オズマは空席を見て何も言わず、来た人の声に耳を傾けた。

オズマはその話を聞いて、古い帳面を閉じた。

自分の名を探している人が百人いても、その全員の期待に応えることはできない。

必要なのは、正確に答えられることを答え、分からないことを隠さないことだった。

ミウは広場の掲示に一文を加えた。

『記録が見つからない場合もあります。

無理に思い出そうとしないでください』。

人を探す集まりは、少しずつ、互いの暮らしを尊重する相談の場へ変わっていった。

広場に集まった人々の一部は、古い診療記録を全員に見せるよう求めた。

ミウは断った。

「感謝のためでも、病歴を勝手に公開できません」

不満の声が上がる。

そこでサーラが、本人確認をしたうえで個別に記録を閲覧できる窓口を提案した。

拍手は起きなかったが、翌日から静かな相談の列ができた。

集まりの終わり、ひとりの男が記録に自分の名を載せないでほしいと申し出た。

昔の病を近所に知られたくないのだ。

ミウは迷わず名簿を閉じ、「分かりました」と答えた。

百人の名前を集めることより、ひとりの意思を守ることが大切だった。

男は帰り際、小さな声で言った。

「それでも、相談できてよかった」

『忘れられた治癒師を探す集まり』ではなく、『治療記録と医療相談の案内』。

ミウはそれを見て頷いた。

誰かを英雄として囲む場所より、困っている人が相談できる場所を残したかった。

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