第三十九話 治癒師に残された三つの道
三枚の診療票が机に並んだ。
通常の支持療法。
未完成の封印術。
オズマの強い治癒。
どの紙にも「安全」とは書かれていない。
オルドが説明を始めるより早く、オズマは尋ねた。
「娘のいないところで、娘の未来を決めるのか」
オルドが三枚の診療票を並べた。
第一は、発作を抑えながら経過を観察する方法。
第二は、結晶を段階的に封じる未完成の術式。
第三は、オズマの強い治癒だ。
第一は病を取り除けない。
第二は安全性が確かめられていない。
第三は命を救える可能性がある一方、娘が父を忘れる代償が予想された。
どの紙にも『必ず』という言葉はなかった。
フェルは人工容器の改良にあと数日必要だと言いかけ、確約できないと訂正した。
ミウの発作は増えている。
オズマは娘のいないところで決めるのを拒んだ。
ミウは説明を聞き、「今日、選ばないといけないの?」と尋ねた。
オルドは診察のうえで、今夜は監視しながら待てると答えた。
ミウは三枚の紙を持ち帰った。
「明日の私にも、もう一度聞いて」
オズマは頷いた。
決断を先延ばしにすることと、決断のために時間を使うことは違う。
三つの選択肢を書いた紙を前に、オズマはミウへ言った。
「どれを選んでも、怖さは消えない」
ミウは一つずつ説明を聞き、「今日決めなきゃいけないの?」と尋ねた。
オルドは容体を確かめ、「今夜は経過を見られる」と答えた。
親子は紙を畳み、翌朝もう一度話し合うことにした。
翌日の診察では、ミウが書いた質問をオルドが一つずつ読み上げた。
「途中で気持ちが変わったら?」「治療を受けない時間に、できることは?」
答えがすぐ出ない問いもあった。
オズマは黙って聞いていた。
父親としては結論を急ぎたかったが、娘の質問が増えるたびに、彼女が自分の人生を引き受けようとしているのが分かった。
帰り道、ミウは紙を折り、「今日はまだ決めない」と言った。
オズマは「分かった」とだけ答えた。
三枚の票は、夜になっても机の上にあった。
オズマはそのうち一枚を伏せることもできなかった。
明日、娘と向き合うために、今夜は逃げずに読み直した。
オズマは三枚の票を娘の前に並べる前に、紙の裏へ「今は決めなくてよい」と書いた。
オルドは重い症状が出た場合の緊急対応だけを別紙にまとめた。
ミウに選択を委ねると言いながら、危険を全部背負わせてはならない。
オズマは大人たちが引き受ける責任を明確にしたうえで、娘に何を怖がっているか尋ねようと決めた。
三つの道のどれを選んでも、彼女の声が消えてよい理由にはならない。
オルドは三枚の票の裏に、それぞれ「分かっている危険」と「まだ分からない危険」を分けて書いた。
オズマは最初、娘が怖がると思って隠したかった。
だがミウは紙を読み、「知らないまま決める方が怖い」と言った。
彼は言葉を失い、やがて「私も怖い」と認めた。
三つの道のどれにも確実な救いはない。
それでも今夜の発作に備える手順だけは決められる。
父と娘は選択を先延ばしにする代わりに、明日の診察へ一緒に行く約束をした。
帰宅してから、オズマは三枚の診療票を机に広げた。
自分の治癒が最後の選択肢に書かれていることに、少しだけ傷ついた。
かつては誰よりも早く患者を救うことが誇りだった。
だが、娘を救う方法を選ぶとき、父の誇りは役に立たない。
ミウは票の端に小さな印をつけた。
「私が聞きたいことを、明日オルド先生に聞いてもいい?」
オズマは頷いた。
質問は三つ。
痛いのか。
どのくらい眠るのか。
そして、目覚めたときに父を覚えているのか。
最後の問いに答えられる人はいなかった。
それでも、問いを消してはいけなかった。
オルドは三つの方法を説明したあと、部屋から出ようとした。
ミウが呼び止める。
「先生、どれを選んだら、私は私のままでいられますか」
オルドは答えを急がなかった。
「どの方法にも、分からないことがあります。だからこそ、あなたが大切にしたいことを聞かせてください」
ミウは赤い日記を抱えた。
「お父さんを忘れたくない。でも、死にたくもない」
オズマはその言葉を聞き、初めて娘の願いが一つではないことを理解した。
その夜、父娘は三枚の紙に質問を書き足した。
治療を受けた後に起こり得ること。
受けない場合の危険。
発作が急に強くなったとき、誰がどう判断するか。
オズマは自分の術の欄に、代償を隠さず書いた。
ミウは文字を読み、しばらく黙った。
「忘れた私が、お父さんを嫌いになったら?」
オズマは胸が痛んだが、「そのときは、また知り合うところから始めよう」と答えた。
娘は涙を拭き、紙を折った。
選択はまだ終わっていない。
それでも、話し合う準備はできた。
オルドは急変時の連絡先と観察項目を別紙にまとめた。
今夜は様子を見られるが、明日も同じとは限らない。
ミウは「決めるまで、何もしないわけじゃないんだね」と尋ねた。
オズマは頷いた。
娘に選択を委ねることは、危険への備えまで一人で負わせることではない。
三枚の診療票を閉じる前に、父娘は翌日の診察時刻を確かめた。
オルドは診療票の裏に、急変した場合の対応も書き加えた。
夜間に呼ぶ医師、症状を観察する間隔、どの状態になれば選択を急がなければならないか。
オズマは初めて、決断を待つことにも準備が必要だと知った。
ミウは三枚の紙の上に小さな石を置いた。
「どれを選んでも怖いなら、ちゃんと怖いって言っていい?」
オルドは頷いた。
「そのために、私たちがいます」
翌朝、ミウは三枚の紙を読み返し、分からない言葉に線を引いた。
オズマはその言葉を一つずつ説明し、答えられない問いには正直にそう書いた。
娘は父の手を握り、「一緒に考えてくれるなら、怖くても聞ける」と言った。
三つの治療方針を書いた紙を前に、ミウは「どれを選べばお父さんが安心するの」と尋ねた。
オズマは答えかけて、やめた。
自分の不安を娘の選択に重ねてはならない。
オルドに頼み、それぞれの方法で期待できること、分からないこと、途中でやめられるかを説明してもらった。
ミウは質問を何度も書き直した。
「今すぐ決めなくてもいい?」
ミウが言うと、オルドは体調の変化に注意しながら期限を確認しようと答えた。
オズマは娘の手を握った。
自分が一人で決断を背負えば早い。
しかし、その速さが正しいとは限らない。
ミウは紙を持ち帰り、眠る前に一つだけ書いた。
「私は、まだ生きたい」
それは治療法の名前より、ずっと大切な出発点だった。




