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忘却の治癒師 ~娘に忘れられても、俺は何度でも父親になる~  作者: レモンティー


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第二十六話 娘の記憶から消えた誕生日

ミウは自分の誕生日を答えられなくなった。

オズマが何気なく尋ねると、娘は眉を寄せ、「春だった?」と聞き返した。

毎年、二人で焼いていた林檎の菓子も、去年もらった青いリボンも、記憶の中で輪郭を失っていた。

オズマは机の引き出しからリボンを取り出したが、娘に押しつけることはしなかった。

「これは去年、君が選んだものだよ」

ミウはそっと触れ、「きれいだね」と言った。

オルドの検査では、手の震えに加え、短い時間だけ呼吸が浅くなる兆候が見つかった。

今すぐ危険というほどではない。

だが進行している可能性が高い。

オズマは椅子の背を握った。

「あとどれくらい待てる?」

オルドは答えた。

「分からぬ。だから毎日診る。悪化の徴候があれば、方針を変える」

希望を売るための嘘は、ここにはなかった。

その日、ミウは学校の友人エマと庭で遊んだ。

二人は紙の冠を作り、互いに女王の役を交代した。

ミウが途中で遊び方を忘れると、エマは怒らずに最初から説明した。

「何度でも教えるよ」

その言葉を聞いたオズマは、窓の陰で目を拭った。

大人が立派な約束を交わすより、子供の一言が人を支えることもある。

夕食のあと、オズマは赤い日記を開いた。

去年の誕生日には『お父さんがこげたケーキをつくった。

おいしかった』とある。

ミウはそれを読んで笑った。

「本当に焦がしたの?」「底だけだよ」「きっと全部焦げたんでしょう」

二人は笑い合った。

日記は記憶を返してくれない。

それでも、知らなかった自分の過去を知る窓にはなる。

夜半、ミウは寝床から父を呼んだ。

「お父さん、私、誕生日を忘れたのが悲しいんじゃない」

オズマは傍らに座った。

「何が悲しい?」「お父さんと一緒に笑ったことを、忘れたのが悲しい」

オズマは言葉を失った。

娘が失っているのは日付ではない。

二人で過ごした時間そのものだった。

「なら、明日また笑おう」

彼が言うと、ミウは小さく頷いた。

「明日も忘れたら?」「その次の日も」

ミウは父の袖を握った。

「お父さん、疲れちゃうよ」

オズマは首を振った。

「疲れる日はあると思う。でも、君と過ごすのが嫌になるわけじゃない」

娘はようやく眠った。

オズマは窓辺に立ち、星のない夜空を見上げた。

どんな治癒魔法でも、昨日をそのまま返すことはできない。

だからこそ、明日を守りたい。

エマが帰ったあと、ミウは紙の冠を机に置いた。

「私、今日の遊びも忘れちゃうかな」

オズマは答えを探した。

「分からない。でも、エマは覚えているし、冠も残る」

ミウは冠を被り、鏡を見た。

「じゃあ、今日の私は女王様だね」

オズマは深々と頭を下げた。

「陛下、夕食は何を召し上がりますか」

「林檎のケーキ!」

オズマは笑った。

「それは夕食ではありません」

娘は頬を膨らませた。

二人は結局、野菜のスープを食べてから小さな林檎菓子を分けた。

ミウは一口食べて「おいしい」と言った。

オズマはその瞬間、娘が誕生日を思い出せなくても、いまの喜びは本物だと知った。


翌日へ向けて、オズマは青いリボンのことを帳面に書き残した。

何が確かで、何がまだ分からないのか。

紙に書き出すと、胸の中で絡まっていた恐怖が少しだけ形を持った。

林檎の菓子で交わした言葉を思い出し、彼は自分に言い聞かせた。

思い出せない誕生日を一つの答えで片づけないこと。

患者の身体だけでなく、その人がどう暮らしたいかを聞くこと。

自分の願いを、娘の願いと取り違えないこと。

誕生日を答えられなかったミウは、ケーキのろうそくを数えた。

「七本。じゃあ七歳?」オズマが頷くと、娘は笑ってから泣いた。

「知っていたかった」

父は「大丈夫」と言いかけてやめた。

「悔しいよな」

ミウはその言葉に頷き、ろうそくを一本ずつ消した。

エマが持ってきた青いリボンには、昨年ミウが自分で縫った不格好な星があった。

「これ、私が?」とミウが尋ねる。

エマは「そう。三回も縫い直した」と答えた。

ミウは星を指で押さえた。

「じゃあ今年はもう一つ縫う」

失った記憶の代わりに、新しい星を増やすことにした。

誕生日の夜、ミウはろうそくを片づける父の袖を引いた。

「今日、私が忘れたことを、お父さんは悲しかった?」

オズマは嘘をつかなかった。

「悲しかった。でも、君が新しい星を縫うと言ったとき、嬉しくなった」

ミウはしばらく黙り、「じゃあ来年は三つ目の星だね」と言った。

来年があると断言するのは怖かった。

それでもオズマは「そうだね」と答えた。

願うことまで諦める必要はないと、娘の笑顔が教えてくれた。

夜、オズマは青いリボンを見ながら、治癒師になったばかりのころを思い出した。

師匠は「助けられなかった人の数だけで、自分を裁くな」と言っていた。

若い彼には、その意味が分からなかった。

救える力があるのに救えなければ、すべて自分の責任だと思っていたからだ。

今は違う。

患者には患者の気持ちがあり、家族には家族の暮らしがある。

医師や友人の知恵も必要だ。

自分の力がすべてではないと認めるのは、逃げることではなかった。


その夜、オズマは去年の誕生日の記録を娘に読み聞かせた。

ミウは途中で「今日は今日のことも書いて」と言った。

父は頁をめくり、二人でろうそくを消したことを最初に記した。

翌日の記録には、思い出せない誕生日についての小さな確認事項も残した。

青いリボンをきっかけに、オズマは一つの出来事にも複数の見方があることを考えた。

娘にとっては怖い変化でも、誰かにとっては調査の手掛かりになる。

調査が進むのは嬉しいが、娘の不安を置き去りにはできない。

彼はミウに「今日、私にしてほしいことはある?」と尋ねた。

ミウは少し考え、「話している途中で、最後まで聞いてほしい」と言った。

オズマは頷いた。

記憶が抜けることを恐れるあまり、娘の言葉を先回りして補っていたのだ。

父はその日から、答えを急がずに待つ練習を始めた。

ミウは眠る前、青いリボンを枕元に置いた。

「覚えてなくても、これが好きなのは本当だよね」

オズマは頷いた。

「もちろん」

娘は少し考えてから「来年も一緒に選んで」と言った。

来年という言葉が胸に刺さったが、オズマは逃げなかった。

「約束だ」

ミウが眠ったあと、オズマは去年の誕生日の写真代わりに残した似顔絵を見た。

そこには七歳になる前の娘が、両手いっぱいに花を抱えている。

絵の裏にはマリアの筆跡で「笑った顔を描くのは難しい」とあった。

オズマは絵を伏せず、今年の星のリボンの隣に飾った。


その夜、ミウはリボンを外し、二つの星を机に並べた。

「来年、私がこれを知らなくても、悲しい顔をしないでね」

オズマはすぐには頷けなかった。

「悲しくなると思う」と答えた。

「でも、君の前で笑う努力はする」

ミウは首を振った。

「泣いてもいいよ。一緒に次の星を選んでくれれば」

父は娘の小指に自分の指を絡めた。

忘れない約束ではない。

忘れたあとも続ける約束だった。

翌朝、ミウは二つの星のついたリボンを髪に結んだ。

鏡の前で一つを指さし、「これは去年?」と尋ねる。

オズマが頷くと、娘はもう一つに触れた。

「じゃあ、こっちは今日から私が覚える星」

誕生日を思い出せなくても、自分で名前をつけられる。

そう言って笑った直後、ミウは鏡に映る父の顔を見つめた。

「お父さん。もし私が、これをくれた人まで忘れたら?」

オズマは答えた。

「そのときは、もう一度君に渡す」

言い切ったあと、彼は初めて、その約束を果たす日が来るかもしれないと認めた。

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