4 明太子丼(ナマモノ)は家じゃないと作れないよね?
「ハルノくんの家行きたい」
放課後。伊月さんは見計らったようにお願いしてきた。
「別にいいけど……なんで?」
すると伊月さんはもったいぶるように間を開けた。そして頃合いを見計らって口開く。
「ハルノくんの家のキッチンは知っておかないといけないでしょ」
「え、それってどういう……」
俺が言いかけると、伊月さんは被せるように言った。
「一般宅を知らないといけないんだよ」
「それってどういう意味?」
期せずしてさっき言いかけた言葉を吐く。
伊月さんはというと「よくぞ聞いてくれた」と人差し指を俺に向けてきた。
「一般宅って私の家ほど調味料が潤沢にないと思うんだよね」
俺は伊月さんのキッチンを想像する。確かに料理系インフルエンサーを目指すなら、様々な調味料の在庫を抱えているだろうというのは、想像に難くない。
「てなわけで、一般宅代表としてハルノくんの家を選ばせてもらいます」
「なんかありがとうございます」
お互い軽い会釈をする。そして、伊月さんはグーグルマップを開いた。
「住所教えてくれない? そしたら私が案内するから」
「いや、俺の家なんだから俺が案内するよ。二度手間じゃん」
「その手間が活きるんだよ」
「それは料理の世界の話ね。ここまだキッチンじゃないから」
しかも料理の場合、二度手間じゃなくてひと手間な気がする。
かくして、俺たちは俺の家、青輝家を目指すこととなった。
☆
学校からそう遠くない俺の家はあっという間についた。
俺は鍵穴に鍵を通しかちゃりとまわして、ドアを開ける。
「ただいまー」
いつものように俺の帰りを告げる。
すると家の中から中二の妹、ユアが出てきた。
「あ、お兄もう帰ってきたの? お菓子買ってきてもらおうと思ったのに……」
お腹をボリボリとかきながら、完全に家のモードで出てくるユア。目も半開きだから、家に帰って即効昼寝でもしてたんだろう。
すると俺以外にも人がいることに気づいてか、途端にユアの目は覚めていく。
伊月さんを凝視する。そして、みるみるうちに顔の全てのパーツが膨らんでいった。
「ママ〜! お兄が猫系彼女連れてきた! めっちゃかわいいよ!」
俺が伊月さんを紹介する前に、ユアのやつは好き勝手に叫ぶ。
お母さんに直接伝えるためか、家の中に騒がしく戻っていった。
ユアの後ろ姿を見送り、伊月さんは俺の袖を引っ張る。
「ふふっ。彼女だって」
「伊月さんは俺の彼女ってことにされてていいの?」
「ダメなの?」
思わぬ返答に、俺は言葉を詰まらせる。
良いよ、と言ったら彼女はなんて返すのだろうか。
俺がもごもごしていると、追い打ちをかけるように伊月さんは続ける。
「しょっちゅう手料理を振舞っているのに、ただの友達なのかな」
伊月さんは読めない表情でそう言った。言われてみたら確かにそうだ。女友達の手料理をしょっちゅう食べるなんて、それはもう女友達じゃないのではないだろうか。
「俺は……」
率直な気持ちを伝えようとした。
すると家の奥からパタパタとこちらに向かう足音が聞こえてくる。
俺と伊月さんは音のする方を見た。
そのには俺の母親が野次馬根性と一緒にやってくる。
「ええ! ほんとに超かわいいじゃない! ちょっとハルノってば、なんでこんな可愛い子紹介してくれなかったの!」
「いや、紹介するもなにも……」
「ああやだ! 私、化粧直ししてくるわ!」
するとユアも遅れてこちらにやってくる。興味は完全に伊月さんに向けられいた。
「私、ユア。彼女さんの名前は? 教えて!」
伊月さんは『彼女』という部分を否定しないで続けた。
「伊月アズキ。よろしく。ユアちゃんって呼んでいいかな」
「もちろん! じゃあ私はアズキちゃんって呼ぶね!」
するとユアは「私にかわいいお姉ちゃんができた~!」と伊月さんに抱き着く。
伊月さんは嫌な顔ひとつせず、それどころか「ふふふ……」と、どこか嬉しそうに優しく抱きしめ返した。
この二人のやりとりにピリオドが着そうになかったので、俺は二人のハグを引っぺがして言う。
「いつまでも玄関でしゃべってないで中入ろう」
するとユアがあからさまにムッとした顔をする。
「えー? だって、お兄このあと自室にこもってアズキちゃんのこと独り占めするんでしょ? 少しぐらいここでうだうだしたっていいじゃん」
「独り占めって……」
俺は顔を赤くして繰り返してしまう。なんて破廉恥な言い方をするんだろう。
俺が口をもごつかせている合間に、伊月さんは会話に参戦してくる。
「ハルノくんの部屋には行かないよ」
「え、そーなの?」
「キッチン借りに来たの。いいかな」
「うん、いいよ。ママもこんなかわいい子に料理してもらえるなら喜ぶと思う。けど……」
「けど?」
「私の家のキッチン特別なモノなにもないよ。冷蔵庫だってすかすかだし」
「それに関しては大丈夫。だって一般宅のキッチン目当てできたから」
ユアはさらに不思議そうな顔をした。
☆
俺の家に上がった伊月さんは冷蔵庫を物色する。
「お~、こんな感じなんだ」
好奇心の色がついた声で、伊月さんは言う。
「にんじん、玉ねぎ、じゃがいも。あ、こっちには豚バラがある。今日買い出しに行ったのかな。このメンツから推測するに肉じゃが、シチュー、鍋もありえるか」
ぶつぶつと独りでしゃべり続ける伊月さん。活き活きしてて、楽しそうだ。
冷蔵庫を物色するうちに、伊月さんはとある食材を発見する。
「あ、明太子の賞味期限が今日までだよ」
「マジ? それなら母さんその明太子の存在忘れてるわ。今日のご飯カレーにしようかなって言ってた」
俺は母さんに明太子の存在を教える。驚いた顔をしてたから、やっぱり明太子のことをすっかり忘れてたようだ。
「じゃあ今日は明太子丼だね」
伊月さんはウキウキしながら言った。そして調味料を確認し始める。
「砂糖、醤油、みりん、白ごまもあるね。うん、これだけあれば十分だ」
伊月さんは満足そうにする。そしてバックから使い捨てエプロンを取り出して、料理を始めた。
「醤油、みりん、全部大さじ1。砂糖は大さじ半分。全部耐熱皿にいれて、混ぜた後、500wで2分」
手際よく工程をこなしていく。
「白米は食べたい量をよそって、明太子いっぽんを丸ごと鎮座させるよ。それで、さっきの混ぜ合わせた調味料を全体に垂らす。あとは白ごまをまぶすと見栄えがよくなってオススメ」
もう完成だと思ってお皿を受け取ろうとした俺。しかし伊月さんは寸前でお皿を胸元に引き寄せた。
「もう既においしそうなんだけど、まだ我慢」
お皿をキッチンに置いたと思ったら、今度は冷蔵庫からたまごを取り出す。
「温玉も加えるよ」
コンコン、と子気味良い音を響かせて、殻を割る。中からは粘膜に覆われた白身が黄身を包んで顔を出す。
「小さめの耐熱皿にたまごを割り落して、100mlのお水を入れる。つまようじで黄身に3つぐらい穴をさして、ラップせずにレンジで1分半」
レンジはチーン、と伊月さん呼び出し、彼女は手際よく水に沈殿するたまごを救出する。
「たまごだけを取り出して明太子たちに合流させるよ」
温玉が明太子丼に加わる。黄身がうるうると張って苦しそうにしていた。白身から出たがっている。
「じゃーん。明太子丼」
伊月さんが俺にお皿を差し出す頃には、俺はすっかり口から唾液が止まらなくなっていた。お腹もきゅうきゅうと空腹を訴えている。
「た、食べていい? もう俺、お腹すいてお腹すいて……」
これ以上お預けにされたくない。今、俺の生殺与奪は全て伊月さんが握っていた。
「もちろん。食べてみて」
俺は伊月さんから明太子丼と箸を受け取る。
もう、本能に抗えなかった。
「いただきます」
俺は明太子の薄皮を破り、溢れるように出てきた魚卵を白米と一緒に食べる。
――キくッ!
お預け状態からの高い塩分は舌の刺激が強すぎる。小さな小さな魚卵たちがプチプチとはじけて、塩味の虜になってしまうな。
俺は口が空っぽにならないうちに2口目、3口目と急いで食べる。口がしょっぱさと白米でいっぱいになっていく。
そしてそのうちに、俺は気付いてしまった。
これはしょっぱいだけじゃない、と。
あまじょっぱいのだ。日本人はチョコ×ポテトチップス、生ハム×メロン、チーズ×はちみつなどのあまじょっぱいものには抗えないと決まっている。
中でも醤油×砂糖はあまじょっぱ界の王だ。これだけでもぱくぱく食べれてしまうのに、加えて明太子ときた。もう止まらない。骨身に染みているあまじょっぱ遺伝子は、口と皿の往復を加速させる。
そしてここで白身に身を隠す黄身を突く。その瞬間、ぶわぁ、と広がる橙の海。魚卵と手を取り合い、同じ卵として革命を起こそうではないかと言っているようにしか聞こえない。
俺はそのマリアージュを楽しむ。黄身がまろやかであまじょっぱにコクを作り出してくれる。
「これだけじゃあ、まだヘルシーなんだよね」
伊月さんは不満を漏らした。
「ハルノくんを肥えさせることができないなんて、切腹するしかないな……」
「何探してるの?」
「包丁をば……」
「ちょっちょっちょ……! そんなことで早まらないで!」
そして伊月さんはお目当てを見つけたのか、動きを止めた。
「バターナイフ」
「確かに包丁だけれども」
伊月さんはニヤリとして、わざとバターナイフの刃の部分を光に当てた。刃が光に反射するが、全然おどろおどろしさは感じない。
一安心する俺を背にして、伊月さんは冷蔵庫からバターを取り出した。
「バターをばったんばったんばったん」
そう言いながらお皿の中にバターの欠片を、1枚、2枚、3枚と落とす。
落とされたバターは白米の暖かさに包まれてほだされていく。
この光景を見て、我慢できる人はいるのだろうか。
俺はバターが溶けた部分に明太子と黄身を集め、口に入れる。
――んんッ!
言葉を発する余裕もないぐらい美味しすぎる。
なんでもかんでもバターを入れれば良いと思ってるなんて安直すぎるという外野がもしかしたらいるかもしれない。しかし、それこそが安直だと俺は主張する。バターは食べ物と食べ物の架け橋なのだ。ウマい食べ物を更に高みへと連れて行こうとする代物。言わば合法的ドーピング。ルールの範囲内だったら何をやってもいいのだ。
「だったら俺はバターを乗せる道を選ぶッ!」
一気に明太子丼をかきこんだ。頭に電流が流れるような旨さ。米の一粒も残すものか……!
「ふぅ……」
俺は空っぽのお皿を見つめる。お腹いっぱいの満足感と、完食後のやりきった感で、幸せと眠気が一気に押し寄せていた。
俺はふと伊月さんの方に視線を移す。彼女と目が合う。
すると伊月さんは近寄ってきて「いっぱい食べて偉いね」と言って、俺のお腹を撫でる。伊月さんが酷く可愛く見えた。
まどろんでいるからか、実際に撫でられているかはわからない。けど、伊月さんが作ったご飯で、伊月さんに撫でられながら、このままどんどん意識が遠くなって、うっかり永く眠ってしまっても、俺は悔いが残らないぐらい幸せなのではなかろうか。
ああ、深みに近づいていく。もういっそこのまま……。
「さすがにここで絶えるわけにはいかないっ!」
ぎりぎりのところで意識を取り戻した俺は、勢いよく立ち上がった。
横にはいつものジト目な伊月さんが「おはピース」と呑気に手をチョキチョキさせる。
「ごちそうさまでした。今日も美味しかったよ。伊月さん」
「じゃあはい。食後のデザート」
スモア食パンが出された。トースターでこんがりと焼かれたマシュマロと食パン。そこにチョコソースがまんべんなくかかっている。
どうしよう。かなり満たされてるはずなのに、この上を求めてしまう。
ああ、これ以上はカロリーが心配だ……。今日の晩御飯はカレーだし、このぐらいにしておかないと……。
そんな理性とは裏腹に、身体は本能で動いている。いつの間にかスモア食パンを受け取り、とっくに咀嚼を始めていた。
ふかふかで甘くてこれは天国の食べ物かと疑う。チョコとマシュマロが口の中で溶け合って、なくなる寸前を食パンがキャッチ。そこでより一層、チョコとマシュマロのハーモニーを楽しめてしまう。
あまじょっぱからの完全な甘。これはもう〆に申し分ない。
「ごちそうさま」
俺は満腹になったお腹をさする。心地よい時間が流れた。
伊月さんは俺に紅茶を差し出しながら言う。
「さて、ハルノくんの家のキッチンの配置が確認できた。他の一般宅もこんな感じって考えても大丈夫かな」
「だいたいこんな感じだと思うよ。俺の家、恐らく過不足なしって感じじゃない?」
伊月さんは「資料用に写真撮って良い?」と聞いてきた。もちろん、承諾する。
彼女は一通り写真を撮り終えた後、満足そうにこう言った。
「これで毎日でもハルノくんの家に押しかけて手料理振る舞えちゃうね」
「毎日……?」
「おかゆのレパートリー増やしとこ」
「俺、毎日病気にかかるってこと?」
今から冷えピタも冷蔵庫の中に入れておこうかな。
俺は食べ終わったお皿を洗おうと、蛇口を捻る。スポンジを手に取って汚れを落とした。
「ハルノくんのこと、絶対に離さないから」
俺の耳に伊月さんの言葉がかする。スポンジがお皿に擦れる音がして、あまりよく聞こえなかった。
「ん? 何か言った? よく聞こえなかったから、もう一回言って欲しいんだけど……」
すると、伊月さんはてとてと隣にやってきて、耳元でそっと囁く。
「トマトのヘタって毒性物質が入ってて、4トン食べると毒が回って死ぬらしいよ」
「トマトのヘタじゃなくても4トンの食糧を一気に平らげたら死ぬよ」
「ちなみに、人間が一年に食べる食料はだいたい900キロだって」
「4分の1にも満たないじゃん」
俺は4トンのトマトのヘタを想像して、口の中が苦くなった。
「食に溺れて死ぬならもう少し美味しいものを食べて死にたいなぁ……」
「良かったじゃん。その死に方、やろうとすればいつでもできるよ」
伊月さんは口角をほのかに上げた。
とんでもないことを言われているはずなのに、どこか嫌な気はしない。
俺はそれを悟られないように、必死に取り繕った。
「殺される前にフードファイター目指すか」
「将来の夢、決まったね。私に感謝してよ」
伊月さんのジト目は俺の表情を伺うように捉えて離さない。今日も今日とて綺麗にセットされた猫耳ヘアは、伊月さんの猫っぽさを手伝う。あと少しで全て掴めそうなのに、寸前ですり抜けていく感じ。
それなのに、俺はずっと前からこの子に全てを掴まれている気がする。
本日の摂取カロリー、約1450カロリー。
まめ吉のフォロワー、約2510フォロワー(前話比+210)。




