28 欲張りサンドより欲張りな伊月さん
彼女は飲み物を買ってくると言っていた。ここから一番近い自販機は体育館裏だ。
俺は足を一層速めた。
「……いた!」
伊月さんは自販機の前に立って、そのラインナップを眺めている。
俺は徐行にして、彼女の隣に立った。
「ハルノくんって、マミー、ピルクル、ビックル、ヤクルトの中だったらどれが好き?」
「全部味同じだよ」
伊月さんはいつも通り「ふふ……」と笑った。
しかしその笑顔には別の何かが孕んでいそうだ。
そして、訪れた沈黙。
俺の口の中はカラカラになっていく。
「伊月さ——」
我慢できなくなった俺は、自分から切り出す。
しかし伊月さんの柔らかな視線に包み込まれ、これ以上の言葉を出すことはできないかった。
代わりに、今度は伊月さんから口を開く。
「ある意味、一目惚れだったかも」
きっと彼女も緊張しているだろうに、それを感じさせないぐらい落ち着いた言い方だった。
彼女は続ける。
「ハルノくんを初めて見たのは図書室だった。その時もハルノくんはご飯関係の本を見てたんだ。それがなんていうか、妙に私に刺さってさ。話すだけ話してみたいって思ったの」
穏やかに、謳うような物言い。
「話してみたら、すごく波長があってびっくりした。初めてしゃべったのに全然初めてな感じしなかったし」
伊月さんは少し目を伏せる。そして自分の中で何かが整理がついたのか、優しく頷いたあと、再び俺の顔を見た。
「好きだよ、ハルノくん」
伊月さんは瞬きせず、俺のことを見つめ続ける。
「私と付き合ってください」
俺の中で返す言葉はとっくに決まっていた。
「俺も……伊月さんのことが好きなんだ」
俺は先に続く言葉のために、浅く深呼吸する。そして、最後の間を持たせるために「だから……」と続けた。
「こちらこそ、よろしくお願いします……!」
俺は手を差し出した。伊月さんはそれに応えるように、俺の手を握る。
「結べたね、条約」
「個人間で?」
これで俺たちは晴れて付き合うことになった。身体の内側から嬉しさが溢れ出す。
伊月さんに告白を匂わされたときから、ずっと伊月さんのことを考えていた。考えど考えど、彼女のことが好きなことに気づいていく。
俺の気持ちはずっと前から決まっていたのかもしれない。
改めて伊月さんのことを見る。
低めの身長。可愛らしいジト目。陶器のような白い肌。丁寧にセットされた猫耳の髪。
(やばい。俺、伊月さんのこと大好きだ……)
俺は息を呑んだ。かわいいも好きも気づくのが遅すぎる。こんなに愛おしいのに。
「……どうしたの。ハルノくん」
「いや……その……」
俺がもじもじしていると、どこからか聞きなれた声がした。
「ちょっと……聞こえないでしょ!」
本保さんだ。しかも、まだ誰かいるらしい。
「だって俺も気になるんだもん……! 少しぐらい前に出て聞いたっていいだろ!」
倫太郎だ。
本人たちはヒソヒソ話しているつもりなのだろうが、こちらにはダダ漏れだった。おそらく、伊月さんにも彼らのやり取りが聞こえているだろう。やや気まずい。
そこでさらにふたりとは違う声も聞こえてきた。
「あのふたり、もう手を握ってるわけだし確定でしょ」
アキラ先輩だ。
いや、アンタもいるんかい。
すると、倫太郎と本保さんが息を合わせたように先輩に言い返した。
「「確定なのはわかってても、ちゃんと見届けたいの!」」
ふたりの物言いに先輩が押されているのを空気で感じ取る。
そして今度は各々言い返す。
「どれだけ焦ったかったと思ってるんだよ! な、本保!」
と、倫太郎。
「そうだよ! こっちの気も知らないで!」
と、本保さん。
声のボリュームがかなり大きくなってきたところで、ついに伊月さんから「見に行く?」と提案された。俺は「そうしようか」と賛成する。
そして俺たちはそっと3人の様子を覗いた。
すると3人は俺たちの顔を見るなり、
「「「あ」」」
と、やってしまったという顔をする。
あたふたする3人に対して、伊月さんは先手を打った。
「今から入れる保険はないよ」
それはその通りである。
すると本保さんは開き直ったのか、もはや言い訳もせず単刀直入に聞いてきた。
「つ、付き合えたんだよね……!?」
鬼気迫る言い方だが、伊月さんはケロリと答えた。
「付き合えなかったと言えば嘘になる」
「紛らわしい言い方やめなよ」
俺は伊月さんに注意する。
次いで倫太郎が質問を投げた。
「カレカノっぽいことはしたのか!?」
俺は手を左右に振る。
「まだカレカノになって十分と経ってないから」
「じゃあ十分で出来るカレカノっぽいことしろよ!」
「恋人のステップすらタイパな時代なの嫌すぎる」
するとアキラ先輩がニヤニヤしながら余計なことを言い始める。
「いや、あるでしょ。十分どころか数秒でできるカレカノっぽいこと」
「え……なんですか……」
俺は嫌な予感がした。
そして速攻フラグが回収されていく。
「やっぱ名前で呼んであげるとか?」
すると伊月さんは先輩の言葉に乗っかるように「それを言うなら」と話し始める。
「私はハルノくんのこと、ずっと名前で呼んでるけどね」
俺は身体を少し退けた。
「伊月さんだけ恥ずかしい思いしなくて済むじゃん」
「あー、伊月さんって言ってる」
「ぐぬぬ……」
俺は恥ずかしさを誤魔化すように、大きなため息をついた。
そして、腹を括って呼んでみる。
「あ、アズキちゃん……」
あまりの恥ずかしさに顔を見て言うことができなかった。
しかしあまりに反応が返ってこないものだから、俺は痺れを切らして彼女の顔を見る。
鼻を膨らませて、満足そうな顔をしていた。
「悪うない」
「なんで古語っぽく言うのさ」
すると横から茶茶を入れる本保さん。アズキちゃんの頭をぽんぽんしながら、口を開いた。
「アズキなりの照れ隠しでしょ。わかってあげてよ、彼氏なんだから」
「か、彼氏……」
「いやいや、照れすぎ。青輝はもう少し照れ隠ししな」
ごもっともなご指摘だった。
俺は咳払いをして仕切り直す。
「伊月さ……アズキちゃん」
俺は恐る恐るアズキちゃんの顔を見る。正式に彼女になってから、初めて目と目が合った。
「うん。どうしたの、ハルノくん」
薄く微笑んで、俺のことを見返す。その姿が、心臓に悪い。
「ちょっと待って。アズキちゃんってこんなに可愛かったっけ」
俺は両手を顔の前でじたばたさせる。アズキちゃんの顔を見たいのに、見れない。
「こんな可愛い子が俺の彼女なんだって思ったら急に……緊張してお腹が全く減らない……」
「それは言い過ぎだよ。確かに、クレオパトラや小野小町の次くらいには可愛いけど」
「だったら、さっきの俺の言い方は、むしろ控えめじゃない?」
いつも通りのやり取り。それでも頭のどこかで、もうアズキちゃんは自分の彼女なんだと認識して照れてしまう。
するとそれまで俺たちを見守っていた倫太郎と本保さんの間に、アキラ先輩が割って入り、ふたりの肩を組む。
「てことで、俺たちはピクニックの後片付けでもしますか」
先輩は「じゃあ、先に戻ってるから」と倫太郎と本保さんを連れてこの場を後にしようとする。
「え、俺たちも行きますよ」
俺も3人のあとを追おうとすると、本保さんが片手のひらを見せてきて制してくる。
「いいから! もう少しそこでのんびりしてな!」
それに続いて倫太郎も大きな声で参戦する。
「片付け終わったらLINEするから! じゃあ、あとでな! ハルノ! 伊月さん!」
場が一気に静まり返る。
随分長いこと学校にいたのか、ふと空を見ると優しい赤に染まっていた。
「アズキちゃん」
俺はふと彼女の名前を呼んでみる。
「ハルノくん」
俺の呼びかけに答えるように、アズキちゃんは俺の名前を呼び返す。
その途端、言葉がポロリと零れ落ちる。
「……好き」
一度言葉にしてしまったからか、今まで抑えていた分、伝えたくてしょうがない。
「好き、アズキちゃん。大好き」
「ちょっ、え、ちょっ……」
俺はアズキちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「は、ハルノくん……」
「アズキちゃん、かわいい」
「かわ……っ。うう……」
俺はアズキちゃんの顔を見る。やっぱりめちゃくちゃかわいい。本当に好きだ。どうしよう。
「アズキちゃん」
俺はアズキちゃんの頬に手をなぞらせる。
アズキちゃんは抵抗しない。
顔を近づける。アズキちゃんは、今から起こることを察して目をつぶった。俺も寸前で目をつぶる。
そして唇が柔らかく暖かい感触に包まれた。
今まで食べた物でも代替できないような、幸福感と高揚感。
アズキちゃんとずっとこうしていたかった。
そして後ろ髪を引かれる思いで、唇を離す。
アズキちゃんの瞳はなぜか潤んでいた。
「さっきまでモジモジしてくせに……」
「だって、好きすぎて」
「理由になってないから」
アズキちゃんはそれ以上何も言ってこなかった。




