25 エッグベネディクトと伊月さんがいる贅沢な朝
次の日。
伊月さんが先に目が覚めていたようで、俺の隣は寂しくなっていた。
(キッチンから良い匂いがする……)
匂いにつられて起きると、キッチンで制服姿の伊月さんがエプロンを着て料理をしていた。
「朝ごはんにする? 朝風呂にする? それとも、朝ぼらけ?」
「そこは『わ・た・し?』じゃないの?」
「ちなみに夜バージョンは、ご飯にする? お風呂にする? それとも、オールナイトニッポンにする? だよ」
「朝ぼらけってラジオのタイトルなの?」
伊月さんは頷く。
「そうだよ。ご飯作るときによく聞いてる」
俺は朝ぼらけが何時からオンエアしているか調べる。
「4:30〜6:00って伊月さんすごい早起きだね。もしかして俺のご飯いつも作ってるから?」
俺の空腹のせいで、伊月さんの睡眠時間が取れてないのではないか。だとしたら、もちろん睡眠優先にして欲しい。
その思いが顔に出ていたのだろうか。伊月さんは口を開く。
「私が好きでやってることだから。ハルノくんは素直に喜んで欲しい」
そう言って、伊月さんは俺が反論する前にワンプレートを出してきた。
「はい。朝ごはん」
おしゃれなプレートに盛られているのはパンが土台の黄色いドーム。上にはブラックペッパーが散りばめられている。
「エッグベネディクト!」
俺は声を上げてしまう。
おしゃれカフェのメニューに頻出の塩味、エッグベネディクト。
イングリッシュマフィンの上にベーコン、ポーチドエッグ、サーモンが綺麗に盛り付けされており、さらにその上にはバターとレモンと卵黄が使われたソースが覆われていた。
こんなの最高のブレックファストに決まってる。
「いただきます」
俺はナイフでポーチドエッグに切れ目を入れた。すると卵黄が決壊。ソースと混ざって、二種類の橙色が視覚だけで濃厚さを主張していた。
俺は土台のイングリッシュマフィンまで、しっかりフォークで通す。橙色の海にディップしたなら、あとは食べるだけ。我慢できない。口へ運ぶ。
——おしゃれなのにちゃんと高カロリーの味がして神!
見た目からは想像できないぐらいしっかり『濃い』!
アメリカの人たちはこれを朝から食べられる文化なんて羨ましい。寝起きの腹に効く。圧倒的目覚ましだ。
特に卵黄とバター、そこにベーコンっていうのは罪深い。朝から油で頭を溶かしてやる、という気概すら感じる。
あっという間に1個目を平らげた俺は、2個目に取り掛かろうとナイフを構えた。
すると横から伊月さんの声が飛んでくる。
「ねえハルノくん。食べてる最中ごめん」
「……? どうしたの?」
いつもなら、むしゃむしゃ食べる俺を笑顔で見守ってくれる伊月さん。
しかし今は少し曇った顔で、俺のことを見つめている。
どうしたのかと、俺は伊月さんの顔を見返した。
目が合うと、伊月さんは伏せて控えめに切り出す。
「……昨日の夜さ、私ハルノくんになにかした?」
俺は食べる手を止めた。まずいと思った俺は反射的に嘘をつく。
「な、何もされてないよ! あの後俺もすぐ寝たし、何かされてたとしても気づいてないから大丈夫!」
最後の一言は余計だったか? と言って後悔する。
しかし伊月さんはほっとした顔を浮かべていた。
「そっか。そうだよね。良かった……」
伊月さんはそれだけ言って、一緒にエッグベネディクトを食べる。
少しだけ気まずいと思ったが、なぜか嫌じゃない空気。人生で初めて体験する時間だった。
☆
昼休み。
いつもの如く、俺は倫太郎とご飯を食べる。隣の席では伊月さんがスマホをいじっていた。
俺はもぐもぐとご飯を味わっていると、脈絡なく倫太郎が話し始める。
「ていうか、ここら辺すごい良い匂いするんだけどなんだ?」
「すごい良い匂い? 焼き鳥とか?」
「ちげーよ。だとしたら、ハルノの方が先に気づくだろ」
「たしかに」
倫太郎は鼻をひくひくさせた。
「柔軟剤とか癖のない香水とか、そっち系。ひょっとしてお前たち、同じシャンプーでも使ってる?」
「おい、バカ。伊月さんに聞こえる」
俺は倫太郎の頭をプリントで叩く。
「なんでだよ。聞かれちゃまずいことでも言ったか?」
俺は頭の中で必死に誤魔化しを考えて、何とか放つ。
「べ、別にまずいってことはないけど、万が一本当に同じシャンプー使ってたら気まずいじゃん」
「……? そういうものか?」
「そういうものだよ」
倫太郎は「ふーん?」と言って首を傾げる。
俺は伊月さんの方をチラリと見た。
『しー……』
内緒のポーズをとって、少し焦りを見せる。
もちろん、こんな話誰かに言えるわけがない。当たり前に内緒である。
(あれ。これってまたふたりの秘密増えてるな……)
SNSを運営しているところからはじまり、お互いの家を行き来、それだけにとどまらずお泊まりも。
(お泊まり……)
この四文字を思い出し、俺は顔から火が出そうになる。
(お、お泊まりって言っても不可抗力のお泊まりだし! なんならやましいことは一切してないし……!)
そこでふと、手のひらの淡い感触を思い出す。
彼女と添い寝をして、抱きつかれて、それを良いことに手を握ってしまった。
(いや、やっぱりやましいことしてるかも……!)
気がついてしまった俺はひとりで勝手に気まずくなる。
それが万が一倫太郎に見抜かれたら困るので、この場から脱走することにした。
「……俺、飲み物買ってくる」
「じゃあ俺にコーラ買ってきて!」
「はいはい」
俺は逃げるように自販機へ向かった。
☆
ガシャコン、と音を立ててコーラが落ちてくる。
倫太郎に頼まれた分と自分の分。計2本。
俺は教室まで我慢できないから、ここでコーラを味わうとする。
「ぷはぁ〜。うま」
さっきまで変に気を張っていたからか、炭酸のシュワシュワとスパイシーな甘みが凝り固まった神経をほぐしてくれる。
すると前方から誰かがやってくるのが見えた。
目を凝らしてみると、ひらひらとこちらに向かって腕を振る生徒がひとり。
「お~い。青輝く~ん」
「……! アキラ先輩」
俺が名前を呼ぶと、先輩はのんびりやってきた。
歩きながら、俺にしゃべりかける。
「伊月ちゃんの活躍見てるよ〜。最近バズが止まらないじゃん」
先輩は俺の前まで来ると同時に「やるねぇ」と讃えてくれた。
俺は頷く。
「伊月さん、すごいですよね。ぜひ本人にも言ってあげてください」
すると先輩は不思議そうな顔をする。
「なんでそんなに他人事なの。青輝くんのことも褒めてるんだよ」
「え、俺のことも……?」
「だって、伊月ちゃんのためにSNS開設したでしょ? 悪くない初動じゃん」
「見てくれてるんですね」
「そりゃあかわいい後輩だもの」
先輩はそう言うが果たして本当のところはなんであろうか。
そういえば、アキラ先輩と一体一で話すのは初めてかもしれない。
俺は出し抜けに今まで気になっていたことを聞いた。
「どうして先輩は料理を動画にし始めたんですか? だって、音楽で売ってるなら料理を動画にしなくていいわけですよね?」
すると先輩は顔を仰け反らせ、目を丸くする。かと思えば、「弱ったな……」と後頭部をわしわしかいた。
やがて、観念したかのように告白する。
「ショート動画が料理と親和性があったからだよ」
気まずそうに次の言葉を発した。
「もちろん、俺は音楽で自分を伸ばしたい。ただ、音楽でバズるにも音楽だけでバズるのは難しいんだ」
「それで料理の動画に自分の音楽をBGMとして投稿したんですね」
先輩は「察しが良くて助かるよ」とはにかむ。
「ダンスでもよかったんだけど、振り付けとか本当に思いつかなくてさ。だからまだ料理の方がいけるかなって」
俺は先輩の言いたいことを理解した。
好きなことを続けるには得意でないこともやらないといけないということだ。
先輩はため息混じりに続ける。
「だから料理が好きな伊月ちゃんが羨ましく思えたんだ」
先輩は「要するに嫉妬だね」と恥ずかしそうに笑う。
「俺も料理が好きだったら、料理動画作るのが苦じゃなかったのにな、とか、料理を利用してバズろうなんて、本当に料理が好きな人に申し訳ないな、とか。そういうこともいろいろ考えちゃったわけだ」
そう言いながら、先輩はしゃがむ。そして「あー、恥ずかしい。後輩の前で何してんだよ」と零している。
「あの……先輩」
そんな先輩に恐る恐る話しかけた。
「俺、先輩すごいと思います」
先輩は急に何を言い始めるんだ、という顔でキョトンとしている。
「いや、本当にそう思います」
そんな先輩を気にせず、俺は続けた。
「俺、自分でSNS活動をするようになって気づいたんです。狙ってバズれるのってすごいことだなって」
先輩は黙って俺の話を傾聴している。
「どんなに戦略立てても、バズるような設計にしても、意外と思うようにいかなくて。バズることだけを意識して動画を出しても、ハマらない時はハマらない。なのに、先輩は狙ってバズを出せるから、そのすごさが改めてわかったんです」
先輩は俺の言葉を噛み締めるように頷いた。
やがて「ははっ」と笑って、俺の方へ向き直る。
「青輝くんは真面目だよね。そしてすごくお人好しだ」
何が言いたいのかよく分からなかった。しかし、次の言葉で先輩の伝えたいことがわかってしまう。
「きっと伊月ちゃんはSNSで上手くいくよ。上手くいったら、おそらく君たちの時間は減るね」
先輩はポケットに手を突っ込んだ。
「このままでいいの? 伊月ちゃんと」
「い、今伊月さんのことは関係なかったでしょ」
俺はそっぽを向く。
先輩に対して、素で敬語が抜けてしまった。
そんなわかりやすく動揺した素振りを見せてしまったから、先輩はさらりと告げる。
「俺も痛いところ突かれたからお返しだよ」
「う……」
俺は顔どころか身体もそっぽへ向けたかった。
けれどこれ以上の動揺は悪手すぎるので、仕方なく先輩の顔をチラリと見る。
先輩と目が合った瞬間、先輩はあっかんべをしてきた。
「まぁいいけどね。俺としては恵まれた後輩が悩み苦しんでいて良い気味だから」
「……先輩、意地悪を隠さなくなりましたね」
「君たちが贅沢な悩みをしている方が悪い」
「ぜ、贅沢な悩みってなんですか」
「そりゃあそんなの、才能があるくせに恋愛に現を抜かして、かと思えば両片想いで悩んでいて……」
「両片想い……?」
「……そこの説明はするつもりはないよ」
それだけ残して先輩は「じゃあね〜」と言って去っていった。
☆
「PR動画見たよ! PRなのに結構伸びててすごかった!」
「えへえへ。例えるなら放置したカップ麺ぐらい伸びてたね」
「それは嬉しくない伸びじゃん」
中華調味料の動画はひとつのチャーハンをベースに、材料をひとつ変えればいろんな味に分岐できるという内容。
これがまた短い動画の中で綺麗にまとめられており、バズるべくしてバズった映像だった。
伊月さんは胸を張って続ける。
「これからも、私はどんどん伸びていくよ。だから絶対見逃さないでね」
そう言う彼女はとても眩しかった。それはもう、俺が思わず笑顔になってしまうレベルで。
「まあ、私ひとりだけじゃここまでいかなかったんだけど」
「? そうなの?」
伊月さんは肯首する。
「ハルノくんの反応見て出すレシピを決めたからね。ハルノくんのお陰。いつもありがとう」
俺は首を振った。「いやいや、そんな……!」
「俺も、今回も美味しいご飯をありがとう」
するとどこからかヴゥンとバイブレーションが鳴った。
伊月さんはポケットからスマホを取り出す。恐らく通知バーをタップして、その内容を確認しているのだろう。
彼女の目が、数秒追うごとにどんどん開かれていく。
明らかに普段と違う雰囲気に、俺は心配の声をかけようとした。その前に、彼女が顔を上げる。
「来た。出版社からDM」
「え、ってことは……?」
「出せるかも。レシピ本」
少しの間。
俺たちは何が起こっているのかを頭の中で噛み砕く。
そして全てが繋がった瞬間、ぶわあ、と鳥肌が立っていく感覚に襲われた。
「レシピ本が出版できるってこと……!?」
俺が興奮気味に言うと、伊月さんは大きく頷く。
「で、できちゃうかもしれない……!」
伊月さんはわたわたしながら答えた。
そして彼女は出版社から来たDMを読み返す。
「オレオレじゃないか聞かないと」
「それ自ら地雷を踏みに行ってない?」
そもそもインスタのDMでオレオレ詐欺とかあるのだろうか。
そこでふと、俺は思い出した。
「あれ、そういえば……」
伊月さんが返信の文章を考えている合間に、俺は続ける。
「レシピ本の出版が決まったら言いたいことがあるんじゃなかったっけ」
すると、伊月さんの目がみるみる大きくなっていく。普段のジト目からは考えられないほど、大きく大きくなって、最大値のところで止まった。
そして彼女は口を開いては結びを繰り返し、やがて噛みしめるように頷いた。
「うん」
伊月さんの頬は少し染まる。
「出版の話が本当だったら、ハルノくんに言わないといけないことがある」
背中に汗がつたったのを感じた。
彼女が本を出版するまで、俺は彼女の相棒として居続けたい。
今回の摂取カロリー、約3200カロリー。
まめ吉のフォロワー、約フォロワー8600(前話比+800)。




