16 太ってきたから走るしかない。カロリー消費後はたまご醤油おにぎりを食べるけど。
「伊月さん、決めたよ。俺は休日に走る!」
そう高らかに宣言する放課後。伊月さんはきょとん、としたあと、数拍置いて口を開く。
「いいんじゃない」
サラリ、とした物言いだった。それだけ? と思ったが、伊月さんはすぐに続く言葉を吐いた。
「じゃあそれ、動画のネタにしていい?」
「え?」
俺は困惑の色を見せる。
「お、俺の話聞いてた?」
「うん。魔法少女になって世界を守るんでしょ?」
「何も聞いてないじゃん。ていうか、それ死亡フラグなんだから止めてよ」
伊月さんは再び口を開き、「走るんでしょ。運動不足解消?」と今度こそ会話のキャッチボールを始める。
「そう、それ。最近、暴飲暴食が続いているからさ。さすがに運動しないとまずいかなって……」
俺は自分の前腕に目を落とす。数か月前に比べて、また少し大きくなった気がする。
「じゃあ動画のネタにするね」
「なんで動画のネタ? だって、食べ物作るわけでも食べるわけでもないのに」
すると伊月さんは「ちっちっち~」と人差し指を左右に動かす。
「食べ物と運動って結構親和性高いんだよ。ほら、この前ハルノくんダイエットするっていったとき、インスタでダイエットレシピ調べようとしたでしょ」
「ああ~。そういえばそうだったね」
「だから、ランニング×ご飯でバズを狙っちゃおうっていう算段」
伊月さんは「そういうわけで」と話を切り出す。
「今週末、皇居で待ち合わせ」
「まってまってまっていきなり皇居ランニング?」
調べると皇居ランニングは1周約5キロ。走れない距離ではないが、最初はこの半分でお願いしたい。
俺が明らかに顔をしかめてたからか、伊月さんは背中をバシバシと叩いてくる。
「完走しなくていいんだよ。それよりも、まずはやってみることが大事」
「んー……まぁ確かに……」
反論の余地がない正論に、俺は曖昧な返事をすることしかできない。だから一層伊月さんに隙を与えてしまう。
「じゃあ決定ね。そうと決まれば動画の段取りとか考えないと」
そう言って伊月さんは「じゃあ、今週末ね」と早足で教室を後にした。
「えー……走りたくないな……」
俺は教室で文句を垂れたが、それに答えてくれる人は誰もいない。
☆
週末。俺はタンスの底に沈んでいたスポーツウエアを取り出して、渋々皇居に繰り出した。
絶対、こんな舐めた調子で挑むのは俺だけだろう。それもあって、荷が重かった。
しかし、周りを見渡すとエンジョイライト勢が思いのほか多い。大学生のサークル集団、のんびり走る女性二人組、ウォーキングをする老夫婦。
(俺、意外と場違いじゃないかも……)
すると、背後から気配を感じる。俺は反射的に後ろを振り向く。
「クソ……バレたか……」
「なんで悪役風味なの」
背後にいたのはもちろん伊月さんだった。
伊月さんは俺を驚かそうとしていたのか、じりじりと距離を詰めていたようだ。
「お。ハルノくん、ちゃんとジャージで来たんだね」
伊月さんは俺のことを上から下まで往復して見てあと、今度は俺が伊月さんのことを上から下まで見る。
「伊月さんもジャージなんだ。ていうか、首から下げてるメガホンは何に使うの?」
伊月さんに関しては、ジャージよりも首から下げてる真っ赤なメガホンが目を引いた。
すると伊月さんは軽く首を傾げて、なんでそんなことを聞くんだ、と言いたげな顔をする。
「メガホンといったら応援だよ。一体何年人間やってるのさ」
「用途はわかった上で聞いてるんだよ」
「ハルノくんをひとりで走らせるのは、私としても気の毒だからね。並走して応援することにした」
「ほお」
伊月さんはメガホンを片手に持って、空いている方の腕にメガホンをリズミカルにあてる。メガホンが肌に触れる度、ポコポコと気の抜けた音がなった。
「それじゃあ行くよ」
伊月さんは俺の返事を待たずに、位置についてのポーズをとった。
そしてスタートの定型句「よーい、どん」の号令とともに、俺のランニングは始まってしまう。
☆
「ひい……ひい……」
「頑張れ頑張れ、まだいけるぞ!」
「なんで熱血教師なの……」
しばらく走った俺たち。
俺はすっかり脇腹を痛め、足も悲鳴をあげていた。そして驚いたことに、腕も痺れ初めて来たのだ。脇腹と足が苦しくなるのは想定の範囲内だが、まさか腕まで痛むとは。
少しでも腕を楽にしようと、くの字から腕をだらんと落として走ってみたが、結局くの字が一番楽だった。
愚行の一部始終を見ていた伊月さんは走りながら口を開く。
「アレンジはルールに沿ってできる人だけができる特権なんだよ」
「しょうがないじゃん。少しでも楽にできるものならしたかったんだもん!」
「ショートカットも初心者がやっちゃあダメでしょ」
「待って、今何の話してる?」
「料理人の心得じゃないの?」
「ランニングの心得かと思った……」
全く、良くないな。
やましいことがあると、人の視線が悪意あるものに感じてしまう。
反省して、俺は再度真面目に走った。
数分後、もう限界だ、というところで俺は足を止める。
中腰になって、ぜいぜいと情けない呼吸を鳴らした。
そこで、俺は気づいてしまう。伊月さんに比べて、俺の方が圧倒的に疲労が現れているということを。
「伊月さん……つらくないの……?」
俺は息も絶え絶えに聞いた。すると伊月さんは間髪入れずに答える。
「全然」
「すごいね」
「つらいよ」
「つらいんだ」
俺たちは徐々にペースを落として、ゆっくり歩く。
伊月さんはスマホを開いて、走っている最中撮影していたであろうランニングシーンを見返しながら口を開いた。
「それ以上に良い動画が撮りたいからね」
「でも走るシーンなんてほんの数秒じゃん。こんなに本腰入れて走る必要ある?」
「見聞きするのは簡単だけど、結局自分でやってみないとわからないことってあるからね」
「プロ意識高……」
「まぁそれだけじゃないんだけど」
伊月さんはスマホをスリープモードにする。
「ハルノくんには健康的でいてほしいからね。絶対に長生きしてよ。私のために」
伊月さんは歌うように話した。
「こんなに大食いはハルノくんしかいないからね」
「……いつも美味しいご飯をありがとう」
本当に感謝はしているが、大食いの俺を求められているのがほんの少し、ほんのほんの少しだけ、モヤモヤしている。
もしも、俺が大食いじゃなかったら、それでも伊月さんは俺と一緒にいてくれるのだろうか。
「どうしたの、そんなに苦虫美味しい?」
「美味しくないからこういう顔してるんだよ」
「じゃあお口直しが必要だね」
伊月さんは辺りを見渡して、見つけたベンチを指さす。
「ちょっとあそこで待ってて」
俺がうんともすんとも言わない間に、伊月さんはロッカーに向かって歩き出した。
そして少しも経たないうちに、伊月さんは戻ってくる。手にはいつものお弁当袋が握られていた。
「じゃあ、食べますか」
伊月さんは俺の隣に座って、袋を開ける。中から弁当箱を取り出し、パカ、とお楽しみを顕にした。
「! THEお弁当だ!」
おにぎり、卵焼き、唐揚げ、プチトマト、ブロッコリー、たこさんウィンナー。
お弁当のレシピ本の表紙になっていそうな、AIに日本のお弁当の具材を聞いたらいの一番に答えられそうな、はたまた、どんなお弁当を作ろうが少なくともどれか1品はどの家庭のお弁当には在中していそうな、手本のようなお弁当だった。
しかし、ひとつだけ気がかりなことを発見する。
「このおにぎりの具材、なに?」
俺はおにぎりの上に乗っている黄色いやわな球体に視線を向けた。
「それは黄身だよ」
「黄身って、卵の?」
俺はもう一度黄色いやわな球体を見た。確かに、黄身と言われれば黄身だ。しかし間違いなく普通の黄身ではなかった。箸でつついてみる。黄身はつつかれた跡を残すだけで、割れる様子は一切ない。
「いただきます」
今度はしっかり黄身を崩した。先程と同様、黄身は破れることなく、形を残したまま真っ二つに割れ、その一片と白米を同時に食べてみる。
俺は目を見開いた。
——食べたことないむにゅじょっぱ感……! 新しさを感じさせつつ、味はしっかり知ってる味だ……!?
長い付き合いの彼女がイメチェンしてやってきた感じ。目新しくて初めて出会った時のようなドキドキ。しかし、話してみるといつもの彼女で安心する。
「それは黄身を醤油につけて冷凍したものだよ。食感、変わるでしょ」
俺は大きく頷いた。なるほど、この塩味は醤油か。通りで舌馴染みがあると思った。
「ちなみに、ウインナーと合わせて食べると絶品だよ」
ご達しがあったので、俺は早速ウインナーと合わせて食べてみる。
——んんーッ! 加工肉の油でコーティングされた米が卵醤油と異常に合う! これだけで一国を築ける……築けるぞ……!
やわい黄身とパリッとしたウインナーが合うこと合うこと。黄身と白米だけで食べてた時と違い、歯ごたえが加わったのが、飽きを来させない工夫を感じさせる。
そしていつの間にか米粒一粒すら食べつくしてしまい、お弁当は儚いな、と思い両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
俺はお腹を摩る。エネルギー(カロリー)とはすごいもので、お弁当を食べる前と今だと疲労感が抜けていっている気がする。
「伊月さん、ランニング誘ってくれてありがとう」
眠気が襲ってきて、まどろみながら口を開く。
公園は相変わらずいろんな人がランニングなりウォーキングなりを楽しんでいた。
「私こそ、今日も食べてくれてありがとう」
伊月さんは空になった弁当箱を片しながら言った。
「伊月さん……俺……ねむ……」
こくりこくり、と首が揺れる。目の前で歩いたり走ったりしている人たちが、妙に遠くに感じた。
「ハルノくん。私の肩はなで肩なんだよ」
そう言って、伊月さんは自身の肩をとんとん、と叩いた。
「え、でも……」
枕にして良いよ、という合図であることはなんとなく伝わったが、いいのだろうかと俺は少しためらう。
☆
ハルノくんの寝息が聞こえてきたころ、私はスマホを開いて電卓アプリをタップする。
「……たまごは一個でだいたい70カロリー(おにぎりで使った量は4つ、卵焼きで2つ。合計420カロリー) 唐揚げ3つで300カロリー、プチトマト3つで8カロリー、ブロッコリー3つで15カロリー、たこさんウィンナー5つで350カロリー、おにぎりが1000カロリー(惜しみないウインナー入り)……」
今日の具材を思いだながら、カロリーを概算していく。
「合計約2000カロリーか。しめしめ」
高校生男子の1日に必要なカロリーは、約2500カロリー〜約3000カロリー。1食で2000カロリーは、いくら成長期の男子とはいえ随分高カロリーだろう。
「今回のお弁当箱は底が深い野球部弁当……実はおにぎりは爆弾サイズ……おかずはウインナーだけでもヘビーなのに揚げ物(唐揚げ)を入れることによってカロリーをかさ増し……」
頭の中でそろばんを弾く度に、嬉しい気持ちになっていく。
「むにゃむにゃ」
ハルノくんは気持ち良さそうに昼寝をしている。運動して、カロリーが燃やせたと思いながら寝ているのだろうか。私は「ふふ……」と思わず笑みをこぼす。
「これぐらいじゃあカロリー相殺できないよ。するには山手線一周しないと(山手線一周約40キロ)」
私はハルノくんの寝顔を見る。私の肩ですやすやと眠るハルノくんが大変愛おしい。
「絶対にダイエットなんてさせないもん」
そうはいっても、私の計らいで野菜も入っているのはありがたがって欲しいものだ。野菜なんて入れたら健康になってしまう。本当はそのスペースにもっと高カロリー食材を入れたいが、そしたら栄養価が目も当てられないことになってしまう(高カロリー飯ということは棚に上げる)。
「健康ではいてほしいから。たまにはまた一緒に走ろうね」
私は皇居の周りを囲う川の水面を眺めた。心地の良い風を受けながら、肩の熱を感じ、贅沢な気分になる。
今回の摂取カロリー、約2000カロリー。
まめ吉のフォロワー、約5760フォロワー(前話比+100)。




