胡乱 - 4
雨戸のないアパートの部屋。カーテンを通して日の出直後の薄い光が部屋を照らす。ベッドの中で先に目を覚ました睦希の視界に、隣で眠っている堤が映し出される。あれだけ激しかった不安は消え、平常心を取り戻していた。
寝顔を見たのはこれが初めてだ。部屋で会う時は朝にはもう居なかったし、ホテルに泊まる夜は眠らないようにしているのか、睦希が起きた時、堤はいつもソファに座っていた。寝ている姿を見られるのが嫌なのだろうかと考えても、やはり寂しさを覚えていたのだ。
改めて不思議な人だと思う。寝顔を見せてくれないことだけではなく、包容力のある穏やかでやさしい人であるかと思えば、暴力や支配を好む一面もある。主にセックスをする時に怖い姿を見せることを思えば、男性性とはそういうものなのだろうか。そして昨日堤が言った言葉は、一体何だったのだろうと考えながら、睦希は堤の寝顔を見つめる。
寝顔はいつもよりあどけなく見える。少年時代の姿を想像していると、心の奥でまた何かが揺れ始めた。堤の声は初めて聞いた時から懐かしいと感じた。だが、もしかしたら顔も知っていたのではないかと、睦希は記憶を辿る。八歳違うから学校ではない。街や電車の中だろうか。
その時、堤の双眸が揺れ始め、突然勢いよく開かれる。あまりの唐突さに睦希は驚き、朝の挨拶すら出て来ない。瞼を開いた堤は無表情で、しかも今まで見たことがない程の強い視線で睦希を凝視した。
「堤……さん?」
言いようのない怖さを感じて、睦希は戸惑った声を掛ける。すると、無表情のまま堤の唇だけがゆっくりと動いた。
「やっと見つけた。こんな近くに居たのか」
まるで自動音声が話しているような機械的な不自然さがある。声がいつもよりずっと低く、そして暗く、話すリズムが聞き慣れた堤のものではない。そこに居るのは間違いなく本人なのに、強い違和感から睦希は言葉を失った。
いつも感じている二面性とは根本的に違う、全くの別人がそこにいるようだ。腕が伸びて来た瞬間、睦希は恐怖を感じて振り払う。堤の手はシーツの上にパタンと落ちて、まるで電池が切れたように再び両の瞼が突然閉じられた。
何が起きたのだろうと身体を起こして覗き込んでいると、ビクッと身体を一度大きく跳ねさせた後に再び開かれた瞳と表情は、いつもの堤のそれだった。
「堤さん? 大丈夫ですか?」
「夢を見てた。寝言を言った気がする」
声と話し方もいつも通りだ。睦希は安心して笑い掛け、上体を起こした。
「言ってましたよ。堤さんでもそういうことあるんですね」
「何て言ってた?」
「えっと、『やっと見つけた』だったかな。うわっ、寒い。エアコンつけますね」
明け方の部屋は冷えきっている。裸の上からスウェットを着て、堤がまだ横たわるベッドに向けて、エアコンの吹き出し方向をセットした。
「君が居なくなって探してる夢だったよ。昨日あんなことがあったから、従兄に取り上げられるかもと心配なのかな」
いつものように冗談っぽく笑っている。睦希も一緒に笑顔になった。
朝のコーヒーを煎れ、二人はダイニングテーブルに向かい合う。堤は何か考え事をしている様子だ。カップを空けてテーブルに置くと、真面目な表情で話があると言い出した。
「俺は君を叩く時があるけれど、感情に任せてやってはいないつもりなんだ」
「……はい。あの、私は嫌だと思ってないので、大丈夫です」
「最後まで聞いてくれ。今まではそうだった。でもこの先もずっと、理性を保ったままで居られるかどうかわからない。もし……もしもの話だけれど……俺がいつもと違う様子で、本気で君を壊そうとしてると感じたら、その時はすぐに逃げろ。ためらわずに逃げるんだ。いいな? 約束できるな?」
考えてもみなかった方向の話で、睦希はさっき見たばかりの姿を思い出す。確かに今まで感じたことがない程怖かったし、まるで別人だった。あの状態を指しているのだろうか。どう返事をすべきか、睦希は迷った。
「返事は? できないのか?」
「でも、堤さんから逃げるなんて」
「君が一時的に目の前から消えれば落ち着くから。俺のためにそうしてくれ。そう言えば納得できるか?」
もしかしたら堤は、自分では制御できないほど強い破壊欲求を持て余す時があるのだろうか。長く一緒に居れば居る程、まだ知らない面があるように感じる。彼の全てを理解するのはいつになるのだろうかと思いながら、ようやく睦希は頷く。
「わかりました。本当にそうなった時は、堤さんを置いてすぐ逃げます」
約束だからなと、堤は睦希の手を強く握って念を押した。




