帰趨 - 3
翌朝、釈放されて帰って来た堤は、武史のままだった。自宅謹慎が解かれていない寛生と、帰りを待っていた睦希が揃って出迎える。
「二人に話があるので、座ってもらっていいですか?」
求めに応じて、寛生と睦希は並んでダイニングテーブルに着く。武史は対面に座った。
「猛と今後について話し合いました。この身体は猛に譲って、俺は眠りにつくことにします。警察にも昨日伝えました」
「えっ」
睦希が驚いた声を上げたが、寛生も同じ気持ちだ。説明を求める表情を浮かべると、武史はそれに気付いて頷いた。
「危険なサードが消えたので、もう俺が起きていなくてはならない理由はなくなりました。その上で、今回猛が選んだ作戦を見ての判断です。小野寺さんには本当に申し訳ないことをしましたが……それでも猛は、俺と違って社会の輪の中で生きていかれると信じられたんです。誰も傷つけない選択をした意味は大きいです」
これは相談ではなく決定事項なのだと、寛生は武史の口調から判断している。
「眠りにつくと言うのは? サードと同じように消えると言う意味か?」
「いえ。それとは違います」
寛生に顔を向け、武史は小さく笑い掛ける。
「俺はオリジナルとほぼイコールなので、消えることはできないようです。だから眠ります。冬眠に入ったと思ってくれればイメージは近いです。そして、猛は桐生に帰ることになりました」
それは一体どういう意味なのか。睦希を連れて行くつもりなのか、それとも別れると言うことか。寛生が視線を向けると、睦希も今初めて聞いたのか、動揺していた。
「私も一緒に行っていいんですよね?」
震える声が聞こえる。武史は睦希に顔を向け、その不安げな顔を見つめた。
「睦希、サードを消す協力をしてくれたことには、とても感謝している。でも、君は大きな間違いも冒した。猛が求めるがままに、全て言うことを聞いたね? もっと小野寺さんのことを考えるべきだったし、猛の暴走を抑えて安全策を講じることが、君の担うべき役割だったんじゃないのか? 今君が生きていること、そして猛でもあるこの身体が無事だったのも、ただ幸運が重なったからに過ぎない。それくらい、猛の選んだ作戦は綱渡りだったし、君を殺しかねない危険なものだった。そこを自覚しているか?」
厳しい叱責を聞いて、睦希は苦しげに顔を歪ませ小さく頷いている。寛生にとっては全て同意で、本当にその通りだ。
「君は猛のためなら死んでも良いと思ったんだろうが、その考えは君にとっても、そして猛のためにも間違っている。もし君が命を失っていたら、おそらく猛は崩壊しただろう。そして、君が死んでも良いと考えてしまうのは逃避だ。十七年前に傷ついた心が癒えていないから、判断が狂ってしまうんだと思う。だから、一度猛と離れて学業に専念してくれ。依存している今の精神状態をリセットするんだ。できればカウンセリングも受けて、俺たちが壊してしまった心を回復させてほしいんだ。その後でもまだ、あいつと一緒に居ようと思ってくれるのだったら、その時はもう反対しないよ」
武史の話は、寛生にとってありがたい内容だったが、睦希は返事ができずにいる。反論を探して時々唇を動かしては、何も発せずにまた下を向く。
「猛さんも……同意したんですか?」
やっと音になって出た言葉には、苦悩の色が滲んでいる。厳しい表情だった武史は、ここでやっと睦希に微笑み掛けた。
「その条件だけは呑めないって抵抗された。でも、それこそが依存だと最後には理解してくれた。そして猛も、俺なしで生きていくための訓練が必要なんだ。存在が脆く、責任もない交代人格ではなく、社会の一員として生きるために。これからのことは、二人で良く話し合ってくれ。言うことを聞くんじゃなくて、対等に話し合うんだよ。小野寺さんへの態度を見ていると、君は本来、従順な性格じゃないと思うんだ。もっと素を出して、猛をビシビシ躾けてくれ」
睦希を落ち着かせるためか、武史は最後に冗談を言って睦希に微笑み掛ける。何も口を挟む必要がない寛生は、黙って二人の会話を見守っている。思えば、出会ってすぐの頃から、武史は睦希の精神状態を心配していた。眠りにつく前に、そのフォローをしているのだろうか。
「小野寺さんはしっかり監視してくださいね。猛が約束を破って睦希を呼びつけたら、俺を起こしてください。あなたの声は、眠っていても届くようにしておきますよ」
寛生に笑い掛ける武史の顔は、今まで見たことがないほど爽やかなものだった。
翌日からの動きは早かった。武史は事務所に辞める話を通し、すぐに業務の引き継ぎに入る。そして週末は桐生に通って新居を探し始めた。この部屋は寛生がそのまま借りて、実家には戻らず睦希と二人で暮らすことにした。
最初は意気消沈していた睦希も、毎晩のように猛と話し合いを重ねるうちに、少しずつ笑顔も戻ってきている。漏れ聞こえる会話から、二人は三年離れて頑張ったら桐生で一緒に暮らそうと約束したようだ。睦希と居る時の猛を見ていると、普通の男に過ぎないと寛生は錯覚してしまいそうになる。果たして三年後、本当に猛の元に行くと睦希が言い出した時、快く送り出せるだろうか。
そして、てっきり懲戒処分を受けると覚悟していたのに、所轄の刑事課に戻る内示が降りた。
「なぜ処分しないんですか? 明らかな非違行為をした自覚があります」
呼び出された部長室で、処分ではなく異動を告げられた寛生は戸惑いを隠せない。石川は含みのある表情で、自分の前に立つ寛生を見上げた。
「狩谷事件の再捜査に絡んだことは、全て闇に葬ることになった。お前が堤を殺しかけたことも含めて全てだ。判ってるだろうが、所轄に戻っても何ひとつとして口外するな。そして捜査時に使っていたノートや音声ファイルは必ず処分するんだ。いいな?」
元より伏せられたミッションだと理解しているが、寛生の中には釈然としない感情が残る。破棄命令には了解の返答をした後、言葉を続けた。
「武史が眠るという話は、聞きましたか?」
「あぁ、本人から聞いた。勝ち逃げされたな」
今までの石川ならもっと悔しそうに吐き捨てただろうに、今日はどこか達観した表情だ。あれだけ執着していた狩谷事件は、彼の中でもやっと終わりを迎えたのだろうか。
「まぁ、あんな妖怪には眠ってもらった方が安心だ。お前は警察官として、武史が目を覚ましてまた事件を起こすことがないよう、この先も監視を続けてくれ」
そのために警察で飼っておく判断をしたのかと、寛生はようやく納得した気持ちになる。この先もう二度と会うことはないであろう上司に、頭を下げた。




